画像を電気で捉える

イメージセンサー・クロニクル (6)

前前章では、光や熱、磁気、動きをとらえるセンサーたちが、半導体という共通の土台の上で生活のすみずみへ溶け込んでいく様子を見た。その一族の中でも、とりわけ華やかな一員として名前だけを挙げておいたのが、カメラのイメージセンサーである。本章では、いよいよそのイメージセンサーへと話を戻す。

ただし、ここで一つ大きな段差を越えなければならない。これまで見てきた光センサーの多くは、一点の明るさを測る素子だった。フォトダイオード一つは、そこに当たる光の強さを電流に変えるだけである。ところがカメラが写し取りたいのは、一点の明るさではなく、二次元に広がった「像」だ。無数の明暗が縦にも横にも並んだ絵を、どうやって電気の信号に変え、順序よく取り出すのか。この問いに人類が本格的に挑み始めたのは、写真の発明から一世紀近くも後、テレビという新しい仕組みが登場してからだった。本章では、真空管の中で電子ビームが像を走査した撮像管の時代から、光を受ける部品を平面にびっしりと並べる固体撮像素子への発想の転換、そしてCCDの発明までをたどっていく。

目次

撮像管の時代(アイコノスコープ、ビジコン)

テレビが生まれる前、動く像を遠くへ送る試みは、回転する円盤に穴を開けたニプコー円盤のような、機械仕掛けの走査装置から始まった。だが、機械で像を切り刻む方式は速さにも精度にも限界があった。像を電気の信号に変える最初の実用的な方法は、真空管の中で完結する電子式の撮像管として現れる。

その草分けが、ロシア生まれのアメリカ人技術者ウラジミール・ツヴォルキンが考案したアイコノスコープである。彼は1923年12月29日にこの撮像管の特許を出願した。もっとも、特許が正式に成立したのは大幅な改訂を経た1938年12月20日のことで、書誌の上では成立年に留意する必要がある。ツヴォルキンは当時ウェスチングハウス社に在籍しており、のちに「テレビの父」と呼ばれるようになった。アメリカの国立強磁場研究所(National MagLab)は、アイコノスコープの仕組みを次のように説明している。

Within glass housing, the iconoscope contained a photosensitive plate or “mosaic,” which divided the image to be televised into tiny sections called pixels. An electron gun, also placed in the housing, projected a scanning beam of electrons toward the plate. Deflecting coils directed the electron beam, which charged the plate’s pixels. The charge of individual pixels was proportional to the brightness of light initially focused on them, so that the electrical signal produced derived from the original image.

(訳:ガラスの筐体の中に、アイコノスコープは感光性の板、すなわち「モザイク」を備えていた。この板が、テレビで送るべき像を画素(ピクセル)と呼ばれる小さな区画に分割した。同じく筐体の中に置かれた電子銃が、走査用の電子ビームをその板に向けて放った。偏向コイルが電子ビームを導き、板の画素を帯電させた。個々の画素の電荷は、そこに最初に結ばれた光の明るさに比例していたので、生み出される電気信号はもとの像に由来するものとなった。)

ここで早くも「画素(ピクセル)」という言葉が登場していることに注目したい。像を小さな区画へ分け、その一つ一つの明るさを電気に変えるという発想は、この時点ですでに芽生えていたのである。ただしアイコノスコープは、感光板を電子ビームでなぞって順に読み取る方式であった。像を受ける部分と、それを走査する電子銃とが、同じガラス管の中で向き合っている。像を分ける仕事は真空管が引き受けていたわけだ。ツヴォルキンの方式は、彼が受像側の装置キネスコープを完成させたのち、1939年にRCAによって初めて一般向けのテレビ放送に用いられた。アイコノスコープはアメリカで1946年ごろまで放送用の主力として使われ、その後より高感度なイメージオルシコンへと道を譲っていく。

テレビの父と呼ばれたツヴォルキンだが、晩年の彼は自らが育てた技術が向かった先を憂えていたと伝えられる。娯楽に偏った番組を嘆き、「私は彼らが私の子どもにしたことが嫌いだ。自分の子どもには決して見せない」と漏らしたという逸話も残る。発明が生んだものが、発明者の意図を離れて社会を変えていく。この皮肉は、本章の後半でCCDをめぐっても、形を変えて繰り返される。

放送用の高性能な撮像管が大きく高価だったのに対し、もっと小さく安い撮像管への需要も高まっていた。そこで1950年ごろ、RCAのP・K・ワイマーらによって開発されたのがビジコンである。ビジコンは、光が当たると電気抵抗が変わる光導電膜を像の受け皿として使う撮像管で、イメージオルシコンより構造が単純で、小さく安く作れた。この扱いやすさから、ビジコンは1950年代から1980年代にかけて、放送スタジオのカメラ、監視カメラ、そして手持ちのビデオカメラまで、幅広い現場で長く使われた。

こうして撮像管はテレビ時代の目として活躍した。だが、その正体はどこまでいっても真空管である。第4章で見たとおり、真空管は大きく、熱を持ち、高い電圧を必要とし、衝撃に弱い。撮像管も例外ではなく、暖機に時間がかかり、強い光を受けると像が焼き付き、長く使えば劣化した。トランジスタが真空管を電子回路から追い出していったのと同じ流れが、やがて撮像の世界にも及ぶことになる。すなわち、像をとらえる仕事を、ガラス管の中の電子ビームから、固体の半導体そのものへと移すという流れである。

固体撮像素子という発想の転換

真空管を半導体に置き換えるという発想は、電子回路においてはトランジスタと集積回路がすでに実現していた。では、像をとらえる撮像管を、同じように固体の半導体で置き換えることはできないか。この問いへの答えは、一足飛びには出なかった。まず現れたのは、真空管の枠組みを保ちながら、光を受ける部分だけを半導体に置き換えるという折衷的な段階である。

その代表が、ベル研究所が開発したシリコンダイオードアレイ撮像管である。1969年にベル・システム技術誌へ発表された論文「The Silicon Diode Array Camera Tube」は、この撮像管を従来のビジコンと対比して次のように述べている。

While the vidicon has an evaporated photoconducting film as the image sensing target, the new camera has a planar array of reverse biased silicon photodiodes.

(訳:ビジコンが像を感じ取る受け皿として蒸着した光導電膜を持つのに対し、この新しいカメラは、逆方向に電圧をかけたシリコンフォトダイオードを平面に並べた配列を受け皿として持つ。)

ここで語られている「シリコンフォトダイオードを平面に並べた配列」こそ、固体撮像素子の核心に触れる発想である。第5章で見たフォトダイオードを、一つの点としてではなく、平面にびっしりと敷き詰める。すると、その一枚の面がそのまま像を受け取る受け皿になる。フォトダイオードを並べれば像がとらえられるという、前章の末尾で予告した合流が、ここで現実の部品として姿を現したのだ。

このシリコン標的を持つ撮像管は、思わぬ場所で活躍した。もともとベル研究所が電話に映像を添える「ピクチャーフォン」のために開発したものだが、その高い感度と広いダイナミックレンジが天体観測に向いていたのである。スミソニアン航空宇宙博物館は、収蔵するシリコン標的撮像管(SIDAC)について、こう記している。

This vacuum tube was initially developed and manufactured at the Bell Laboratories for use with telephone picture phones. It consists of a Vidicon imaging tube, similar to those used for TV, in which the photosensitive front image target has been replaced by a silicon photodiode.

(訳:この真空管は、もともと電話のピクチャーフォンに使うためにベル研究所で開発・製造されたものである。テレビに使われるものと似たビジコン撮像管の、前面にある感光性の標的を、シリコンフォトダイオードに置き換えた構造になっている。)

ただし、この段階はまだ折衷であった。光を受ける標的こそシリコンの半導体になったが、それを読み取るのは相変わらずガラス管の中を走る電子ビームである。真空管という器から抜け出せてはいない。本当の意味での転換は、電子ビームをすっかり捨て去り、光を受けることも、受け取った信号を運び出すことも、すべて半導体そのものの中で完結させることだった。第4章で見たMOS構造や集積回路の思想を、そのまま撮像に持ち込む。この最後の一歩を踏み出したのが、CCDの発明である。

CCDの発明(1969年、ベル研、ボイルとスミス)

CCD、すなわち電荷結合素子(Charge-Coupled Device)は、1969年、アメリカのベル研究所で生まれた。発明者は、ウィラード・ボイルとジョージ・スミスの二人である。電気電子学会(IEEE)のマイルストーンは、その日付を1969年10月17日と記録している。

興味深いのは、CCDが最初からカメラの部品として構想されたのではなかったという事実だ。二人は当時、上司から半導体を使った新しい記憶装置、すなわちメモリを作るよう指示されていた。当時ベル研究所で研究が進んでいた磁気バブルメモリから着想を得て、二人はある日、短い議論の中でCCDの原型を描き上げる。IEEEのマイルストーンは、その場面をこう伝えている。

In a brainstorming session lasting less than an hour, they sketched out the basic structure of what was originally called a “charge bubble device” and outlined its principle of operation. Later this structure became known as the Charge-Coupled Device or CCD.

(訳:一時間に満たない議論の中で、二人は当初「電荷バブル素子」と呼ばれた仕組みの基本構造を描き出し、その動作原理の概略を示した。この構造は後に電荷結合素子、すなわちCCDとして知られるようになった。)

翌1970年、ボイルとスミスはその成果をベル・システム技術誌に発表する。論文「Charge Coupled Semiconductor Devices」の要旨は、この素子の考え方を簡潔に述べている。

In this paper we describe a new semiconductor device concept. Basically, it consists of storing charge in potential wells created at the surface of a semiconductor and moving the charge (representing information) over the surface by moving the potential minima.

(訳:本論文では、新しい半導体素子の考え方を述べる。それは基本的に、半導体の表面に作った電位の井戸に電荷をたくわえ、電位の谷を動かすことで、情報を表す電荷を表面上で移動させるものである。)

さらに要旨は、この素子の使い道として次のように挙げている。

Examples of possible applications are as a shift register, as an imaging device, as a display device, and in performing logic.

(訳:考えられる応用例としては、シフトレジスタとして、撮像素子として、表示素子として、そして論理演算を行うものとしての用途がある。)

注目したいのは、「撮像素子(imaging device)」が、いくつも並んだ用途の一つとして、さりげなく挙げられている点である。CCDは記憶装置として生まれ、そのついでに「像もとらえられるかもしれない」と書き添えられていた。ところが、まさにその副次的な用途こそが、後に世界を変えることになる。CCDを撮像に使う道を具体的に切り開いたのは、ボイルとスミスの同僚マイケル・トンプセットであった。最初の実験的な素子は1970年に作られ、わずか8ビットの一列に並んだだけのものだったが、1971年にはベル研究所が縦横100かける100の画素を持つ、面で像をとらえるCCDを作り上げている。点から線へ、線から面へ。撮像素子は、ここから急速に育っていく。

CCDの動作原理(バケツリレー)

では、CCDはどうやって像を電気に変え、それを運び出すのか。ここで第4章のMOS構造と、光を電気に変える光電効果とが一つに結びつく。

CCDの表面には、第4章で見たMOSコンデンサ、すなわち金属の電極と半導体のケイ素との間に二酸化ケイ素の薄い膜をはさんだ構造が、格子状にびっしりと並んでいる。電極に電圧をかけると、ケイ素の表面に電荷をためこめる「電位の井戸」ができる。この井戸の一つ一つが、像の一点、すなわち画素にあたる。

そこへ光が当たると、第5章で見た光電効果によって、光のエネルギーがケイ素の中に電荷を生む。明るく照らされた画素ほど、多くの電荷が井戸にたまる。露光が終わったとき、CCDの表面には、明暗の像がそのまま電荷の量の多い少ないとして刻み込まれていることになる。ここまでは、平面に並んだフォトダイオードと大きくは変わらない。CCDが真に巧みなのは、この電荷をどうやって運び出すかという工夫にある。

そのしくみは、しばしばバケツリレーにたとえられる。火事の現場で、人々が一列に並び、水を満たしたバケツを隣の人へ次々と手渡していく、あの光景である。CCDでは、電極にかける電圧を順序よく上げ下げすることで、ある井戸にたまった電荷を、隣の井戸へ、そのまた隣の井戸へと、こぼさずに送っていく。バケツの中身が水ではなく電荷であり、手渡す人が電位の井戸なのだ。こうして各画素の電荷を端まで順に送り届け、最後に一つずつ電圧に変えて読み出し、増幅する。電荷を隣へ隣へと結び合わせて運ぶことから、この素子は電荷結合素子、すなわちCharge-Coupled Deviceと名づけられた。

図1 CCDのバケツリレー転送
図1 CCDのバケツリレー転送

この方式のうまさは、像をとらえる部分の構造を極めて単純にできる点にある。撮像管のように電子ビームを走らせる必要も、真空を保つガラス管も要らない。一枚のケイ素の板の上で、光を受けることも、電荷をためることも、それを運び出すことも、すべてが完結する。第4章で見た集積回路の思想、すなわち平面の上に部品を焼き付けてまとめ上げるという作法が、ここでは撮像そのものに適用されている。撮像管の時代が真空管の時代の一部だったとすれば、CCDの登場は、撮像における半導体革命の始まりだったといえる。

図2 光が数値になるまで
図2 光が数値になるまで

ノーベル物理学賞(2009年)

CCDの価値が最も高い形で認められたのは、発明から40年を経た2009年のことだった。この年のノーベル物理学賞は、光ファイバー通信の礎を築いたチャールズ・カオと、CCDを発明したボイルおよびスミスに贈られた。授賞理由は、簡潔にこう記されている。

for the invention of an imaging semiconductor circuit – the CCD sensor

(訳:撮像用の半導体回路、すなわちCCDセンサーの発明に対して。)

王立スウェーデン科学アカデミーのプレスリリース(ノーベル賞公式サイト掲載)は、CCDがなぜこれほど重要なのかを、平易な言葉で説明している。

In 1969 Willard S. Boyle and George E. Smith invented the first successful imaging technology using a digital sensor, a CCD (Charge-Coupled Device). The CCD technology makes use of the photoelectric effect, as theorized by Albert Einstein and for which he was awarded the 1921 year’s Nobel Prize.

(訳:1969年、ウィラード・S・ボイルとジョージ・E・スミスは、デジタルのセンサーを使った、初めて実用となる撮像技術、すなわちCCD(電荷結合素子)を発明した。CCDの技術は、アルバート・アインシュタインが理論づけ、その業績によって1921年のノーベル賞を受けた光電効果を利用している。)

ここで、光電効果がふたたび顔を出すことに注意したい。光を電気に変えるという撮像の大もとの原理は、アインシュタインが1905年に理論づけ、1921年にノーベル賞を受けた光電効果に立脚している。19世紀のセレンの発見から、アインシュタインの理論、そしてCCDへ。本連載がたどってきた系譜が、ここで一本につながる。プレスリリースは、CCDがもたらした変化を次のように言い切っている。

The CCD is the digital camera’s electronic eye. It revolutionized photography, as light could now be captured electronically instead of on film.

(訳:CCDは、デジタルカメラの電子の目である。それは写真に革命をもたらした。光を、フィルムの上にではなく、電子的にとらえられるようになったからだ。)

受賞者本人であるジョージ・スミスは、ノーベル講演の締めくくりで、CCDの出自と広がりをこう振り返っている。

In summary, CCDs were born in the Si-SiO2 revolution and, because of their unique properties, created their own revolution in widespread imaging device applications.

(訳:まとめると、CCDはケイ素と二酸化ケイ素の革命の中で生まれ、その独特の性質ゆえに、広範な撮像素子の応用という、それ自身の革命を生み出した。)

スミスが「ケイ素と二酸化ケイ素の革命」と呼んだものは、まさに第4章で見たMOS構造とその製造技術のことである。CCDは、その土台の上に咲いた果実だった。そして講演によれば、CCDは天文学の現場でとりわけ大きな威力を発揮した。講演に掲げられた比較表によれば、光を電荷に変える効率(量子効率)はCCDで約90パーセントと、フィルムの約5パーセントを大きく上回る。この利点が、それまで写せなかった宇宙の遠い光までとらえることを可能にし、暗黒物質の存在の実験的な検証にまで貢献したという。記憶装置として構想され、片手間に「像もとれる」と書き添えられた素子が、写真を、放送を、医療を、そして宇宙の観測までを塗り替えたのである。

本章で扱う「世界の潮流」

本章からは、いくつもの潮流が読み取れる。

第一に、真空管から固体素子への転換が、電子回路に続いて撮像の世界にも及んだということだ。第4章では、トランジスタと集積回路が真空管を電子回路から追い出していく様子を見た。本章でたどったのは、それと同じ流れが撮像管に及び、アイコノスコープやビジコンといったガラス管の目が、シリコンダイオードアレイという折衷の段階を経て、CCDという固体の目へ置き換わっていく過程である。大きく、熱く、壊れやすい真空管を、小さく、丈夫で、量産できる半導体が置き換える。この一貫した潮流が、ここでも繰り返されている。

第二に、発明と用途のあいだのずれである。CCDは記憶装置を作れという指示から生まれ、撮像はいくつも並んだ応用例の一つにすぎなかった。ところが、その脇役の用途こそが世界を変えた。撮像の原理そのものも、アインシュタインが1905年に理論づけた光電効果に立脚しており、理論の登場から実用の製品まで半世紀以上の時間が流れている。発見や発明は、それが本当に生きる場所へたどり着くまでに、しばしば作り手の予想を超えた回り道をする。本連載が繰り返し見てきたこの構図が、CCDでも鮮やかに現れている。

第三に、発明された場所と、それが大きく実を結ぶ場所とが、必ずしも一致しないということだ。CCDはアメリカのベル研究所で生まれた。だが、この小さな固体の目が、やがてデジタルカメラや携帯電話に載って世界中に広まっていく過程で、その量産と改良の主役がどこへ移っていったのかは、本連載の後の章で詳しく見ることになる。さらにいえば、ここで主役として登場したCCDそのものも、やがて別の方式の固体撮像素子に主役の座を譲っていく。次章では、その逆転劇、すなわち一度は脇役と見なされたCMOSイメージセンサーが、いかにしてCCDを追い越していったのかをたどる。画像を電気で捉えるという長い挑戦は、CCDの発明でひと区切りを迎えたが、物語はここで終わらない。むしろ、ここからが本番である。

典拠(出典一覧)


イメージセンサー・クロニクル

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