トランジスタの誕生

イメージセンサー・クロニクル (4)

前章では、半導体とは何かを、物質の中で電子がどう振る舞うかという原理までさかのぼって見た。方鉛鉱に針を当てた整流効果、猫のひげ検波器、そして第二次世界大戦のレーダー研究が結晶の純度と制御の技術を押し上げたところまでを追った。だが、そこまでの半導体はまだ「電流を一方向に通す」だけの受け身の素子にとどまっていた。信号を受け取ることはできても、弱った信号を大きくすること、すなわち増幅はできない。増幅という仕事は、長らく真空管という別の装置が独り占めにしてきた。

本章の主役は、その真空管を置き換え、やがて表舞台から追いやることになる小さな結晶の素子、トランジスタである。1947年にアメリカのベル研究所で生まれたこの素子は、半導体に増幅という新しい役目を与えた。そこから接合型トランジスタ、電界効果型のMOSへと進化し、無数の素子を一枚のチップに敷き詰める集積回路の時代を開く。そしてこの流れの延長線上に、現代のカメラのイメージセンサーが立っている。本章では、トランジスタの誕生と進化をたどりながら、それがどのようにセンサーと結びついていくのかを見ていく。

目次

1947年、ベル研究所での発明

トランジスタが登場する前、電気信号を増幅する役目を担っていたのは真空管だった。ガラスの管の中を高温に熱し、真空にした空間で電子を飛ばして電流を制御する装置である。ラジオもテレビも初期のコンピュータも、この真空管なしには成り立たなかった。だが真空管には弱点が多かった。大きく、熱を持ち、電気を大量に食い、ガラスであるがゆえに壊れやすい。灯りをともすフィラメントが切れれば、その一本は寿命が尽きる。数千本の真空管を並べた初期のコンピュータは、どこかの管がいつ切れるかとの終わりのない戦いでもあった。もっと小さく、丈夫で、電気を食わない増幅素子はないか。この問いが、半導体へと向けられることになる。

半導体で増幅器を作るという発想そのものは、1920年代からあった。コンピュータ歴史博物館は、当時の状況をこう整理している。

Scientists in the 1920s proposed building amplifiers from semiconductors. But they didn’t understand the materials well enough to actually do it. In 1939, William Shockley at AT&T’s Bell Labs revived the idea as a way to replace vacuum tubes.

(訳:1920年代、科学者たちは半導体で増幅器を作ることを提案していた。しかし彼らは、それを実際に作れるほど材料を理解してはいなかった。1939年、AT&Tのベル研究所にいたウィリアム・ショックレーが、真空管を置き換える手立てとしてこの着想をよみがえらせた。)

ここでも、前章で見た「発見や着想が理論と技術に先行する」という構図が繰り返されている。半導体で増幅できるはずだという見通しは早くからあったのに、材料を思い通りに操る術がなかったために、二十年ものあいだ実現しなかったのだ。

転機は第二次世界大戦後に訪れる。戦時中のレーダー研究でゲルマニウムやケイ素の結晶を高純度に精製する技術が磨かれ、ようやく半導体を設計通りに扱う下地が整った。ベル研究所ではショックレーの指揮のもと、理論家のジョン・バーディーンと実験家のウォルター・ブラッテンが半導体増幅器の実現に挑む。そして1947年12月、二人はゲルマニウムの小片に二本の金の針をごく近い間隔で立てた素子で、ついに増幅を成し遂げた。コンピュータ歴史博物館は、この発明の要点を次のように記している。

Under Shockley’s direction, John Bardeen and Walter Brattain demonstrated in 1947 the first semiconductor amplifier: the point-contact transistor, with two metal points in contact with a sliver of germanium. In 1948, Shockley invented the more robust junction transistor, built in 1951.

(訳:ショックレーの指揮のもと、ジョン・バーディーンとウォルター・ブラッテンは1947年、最初の半導体増幅器を実演した。ゲルマニウムの薄片に二本の金属の針を接触させた、点接触型トランジスタである。1948年にはショックレーが、より頑丈な接合型トランジスタを発明し、1951年にそれを実際に作り上げた。)

この最初のトランジスタがどう働いたのかは、原理を知るとかえって面白い。装置は、余分な電子を含むように処理したn型のゲルマニウムの小片に、二本の金の針をごく近い間隔で立て、プラスチックのくさびで押さえたものだった。一方の針をエミッタ、もう一方をコレクタと呼ぶ。エミッタから電流を流し込むと、その近くのごく薄い層で電子が足りない状態、すなわち局所的にp型に近い状態が生まれる。すると、もう一方のコレクタに流れる電流の量が変わる。ここが肝心なところで、エミッタに流す小さな電流の変化が、コレクタの大きな電流の変化を生む。博物館の説明を引く。

A small change in the current through the emitter caused a larger change in the collector current. They had created a current amplifier.

(訳:エミッタを流れる電流のわずかな変化が、コレクタ電流のより大きな変化を引き起こした。彼らは電流増幅器を作り出したのである。)

小さな入力で大きな出力を操る。これこそ増幅の核心であり、それまで真空管が独り占めにしてきた仕事だった。それを、熱したガラス管ではなく、固体の結晶の中で成し遂げた。ここに半導体エレクトロニクスの時代が始まる。ちなみにトランジスタ(transistor)という名前は、信号を伝える働きを表すtransferと、電気抵抗を表すresistorを組み合わせた造語である。発表当時、電気の専門誌はこの素子を「結晶三極管(Crystal Triode)」とも呼んだ。三極管とは、まさに増幅を担う代表的な真空管の呼び名だった。新しい素子が、古い素子の言葉を借りて語られていたわけである。

点接触型から接合型、そしてMOSへ

最初の点接触型トランジスタは、歴史を切り開いた一方で、扱いにくい素子でもあった。二本の針を結晶の表面にそっと立てる構造は繊細で、性能にばらつきが出やすく、大量生産にも向かなかった。前章で見た初期の結晶検波器が気まぐれだったのと、どこか似た弱さである。

この弱点を乗り越えたのが、ショックレーが1948年に考案した接合型トランジスタだった。針を立てるのではなく、性質の異なる半導体の層を三段に重ねる。前章で説明したn型とp型を、n・p・nの順、あるいはp・n・pの順に接合した構造である。針の当たり外れに頼らず、結晶そのものの内部で増幅を起こすため、点接触型よりはるかに頑丈で安定していた。この接合型を実際に作るには、溶かしたゲルマニウムに微量の不純物をぱらぱらと落とし込み、狙った層を持つ結晶を育てるという、材料技術の精密な進歩が必要だった。ベル研究所のゴードン・テイールとモーガン・スパークスが、その難題をやってのける。こうして接合型トランジスタは1951年に形になり、量産できる増幅素子への道が開けた。

トランジスタの発明は、すぐさま世界に認められた。バーディーン、ブラッテン、ショックレーの三人は1956年のノーベル物理学賞を受賞する。その授賞理由はこう記されている。

for their researches on semiconductors and their discovery of the transistor effect

(訳:半導体に関する研究、およびトランジスタ効果の発見に対して。)

前章で1874年のブラウンによる整流効果の発見を紹介したが、そこから数えれば、半導体が現象の発見から一大産業の礎へと登りつめるまでに、八十年余りがかかったことになる。

そして、現代へまっすぐつながる決定的な一歩は、もう一つ先にあった。金属(Metal)、酸化膜(Oxide)、半導体(Semiconductor)を三層に重ねた構造を持つ、MOS電界効果トランジスタである。1959年、ベル研究所のジョン・アタラ(M. M. Atalla)とダウォン・カーン(Dawon Kahng)が、これを世界で初めて動作させた。電界の力で電流を制御するという考え自体は点接触型より前からあったが、長らく実現できずにいた。半導体の表面に電界が入り込むのを妨げる「表面準位」という厄介な問題があったからだ。コンピュータ歴史博物館は、二人がどうこの壁を破ったかを説明している。

In 1959 M. M. (John) Atalla and Dawon Kahng at Bell Labs achieved the first successful insulated-gate field-effect transistor (FET) … by overcoming the “surface states” that blocked electric fields from penetrating into the semiconductor material.

(訳:1959年、ベル研究所のM・M(ジョン)・アタラとダウォン・カーンは、半導体材料へ電界が入り込むのを妨げていた「表面準位」を克服することにより、絶縁ゲート型電界効果トランジスタ(FET)を世界で初めて成功させた。)

その鍵になったのが、前章で触れたケイ素の強みだった。ケイ素を熱して酸素と結びつけると、表面に二酸化ケイ素という良質な絶縁膜が育つ。この熱酸化膜を金属の電極と半導体のあいだにはさむと、表面準位が劇的に減り、電界がきれいに半導体へ届くようになる。金属・酸化膜・半導体のサンドイッチ、それがMOSという名の由来である。

発明された当初、MOSトランジスタは動作が遅く、電話会社であるベル研究所にとって差し迫った用途もなかったため、深くは追求されなかった。だがカーン自身は、1961年の社内メモでこの素子の可能性を鋭く見抜いていた。博物館によれば、カーンはMOSの利点として「ease of fabrication and the possibility of application in integrated circuits」、すなわち「作りやすさと、集積回路への応用の可能性」を挙げていたという。この見通しは正しかった。博物館は現在の状況をこう総括している。

Because of their smaller size and lower power consumption than bipolar devices, over 99 percent of microchips produced today use MOS transistors.

(訳:バイポーラ素子よりも小型で消費電力が低いため、今日つくられるマイクロチップの99パーセント以上がMOSトランジスタを用いている。)

カーンがMOSの原理を記した特許は、いまも一次資料として読むことができる。「電界制御半導体素子(Electric Field Controlled Semiconductor Device)」と題された米国特許3,102,230号で、1960年5月31日に出願され、1963年8月27日に成立した。その中核となる構造を、明細書はこう述べている。

The invention in its preferred form comprises a semiconductor wafer, typically silicon, including first, second and third regions defining respectively first and second p-n junctions which intersect a major surface of the wafer.

(訳:本発明はその好ましい形態において、ウェハの主表面と交わる第一および第二のp-n接合をそれぞれ形づくる、第一・第二・第三の領域を含む半導体ウェハ、典型的にはケイ素のウェハからなる。)

ここでケイ素という材料と、二酸化ケイ素の膜と、p型・n型の接合という、前章までに登場した要素が、ひとつの素子の上で組み合わさっていることに注目したい。現代のイメージセンサーの主流であるCMOSは、このMOSトランジスタを性質の異なる二種類組み合わせた回路方式に名を由来する。カメラのセンサーの一つ一つの画素の中で、光が生んだ電気信号を受け止め、増幅し、外へ送り出しているのは、まさにこのMOSトランジスタなのである。

集積回路への道

一つのトランジスタが増幅という仕事をこなせるようになると、次に人々が望んだのは「たくさんのトランジスタを、いかに小さくまとめるか」だった。真空管を並べていた時代のように、素子と素子を金属の線でつなぐやり方では、数が増えるほど配線が膨れ上がり、どこか一か所のはんだ付けの不良で全体が止まってしまう。この配線の悩みを根本から解くのが集積回路、すなわち一枚の半導体の基板の上に、多数の素子と配線をまとめて作り込むという発想だった。1958年にテキサス・インスツルメンツのジャック・キルビーが集積回路の原型を示し、翌1959年には、同じくフェアチャイルドのジャン・ホーニが、平らな面の上に素子を作り込むプレーナー方式を発明する。そして同じ年、同僚のロバート・ノイスが、その平らな表面に配線を印刷するように載せる工程を加えることで、量産できる集積回路の構造を作り上げた。素子を一つずつ手で組み立てる時代から、写真の技術を応用して回路をいちどきに焼き付ける時代への転換だった。キルビーはこの功績により、2000年のノーベル物理学賞を受賞している。その授賞理由は簡潔である。

for his part in the invention of the integrated circuit

(訳:集積回路の発明における彼の役割に対して。)

この集積化の流れと、先に述べたMOSトランジスタが出会ったとき、半導体は本領を発揮する。MOSは構造が単純で作りやすく、消費電力も小さい。だからこそ、一枚のチップの上に何万、何百万という数を敷き詰めることができた。カーンが社内メモで見抜いた「集積回路への応用の可能性」は、こうして現実になった。今日のマイクロプロセッサやメモリ、そしてイメージセンサーが、いずれもケイ素の小さな板の上に膨大な素子を作り込んで成り立っているのは、この二つの流れ、すなわちトランジスタの発明と集積回路の発明が合流した結果である。

イメージセンサーにとって、集積回路の発想はとりわけ重い意味を持つ。光を受ける画素を平面にびっしりと並べ、その一つ一つに増幅や信号処理の回路を組み込む。これはまさに、平面の上に無数の素子を作り込む集積回路そのものの考え方だ。後の章で見るように、CCDもCMOSイメージセンサーも、この集積回路技術の土台の上に築かれている。トランジスタと集積回路がなければ、私たちが今手にしているカメラのセンサーは生まれえなかった。

日本での開花:トランジスタラジオ

トランジスタはアメリカで生まれたが、それを世の中の人々の手のひらに届く製品へと育てたのは、日本の小さな会社だった。当時の社名を東京通信工業、のちのソニーである。

物語は1952年にさかのぼる。創業者の一人である井深大が、アメリカのウエスタン・エレクトリックがトランジスタの特許を有料で公開するらしいと聞きつけ、自社のトランジスタでラジオを作るという挑戦を決意する。トランジスタでラジオを作るなど無謀だと多くの人が考えた時代だった。だが技術陣は数々の壁を乗り越え、1954年に日本で初めてのPNP接合型トランジスタの試作に成功する。そして1955年、日本初のトランジスタラジオ、TR-55を世に送り出した。ソニーはこのTR-55を、次のように位置づけている。

Japan’s first transistor radio, employing five transistors developed in-house. The TR-55 became the forerunner of later portable radios.

(訳:五つの自社開発トランジスタを用いた、日本初のトランジスタラジオ。TR-55は、後のポータブルラジオの先駆けとなった。)

ここで史実を正確にしておきたい。世界で初めて売り出されたトランジスタラジオは、TR-55ではない。それに先立つ1954年、アメリカのリージェンシー社がテキサス・インスツルメンツのトランジスタを用いたTR-1を発売している。TR-55は、あくまで日本で初めて、そして自社製トランジスタで作られたトランジスタラジオという位置づけになる。とはいえ、その後の展開を見れば、この製品の持った意味は小さくない。TR-55は「ソニー」というブランド名を初めて掲げた製品でもあった。会社の名はまだ東京通信工業のままだったが、世界で通じる名前を求めて、製品にソニーの名を与えたのである。

ラジオを持ち歩くという体験は、この小さな箱から始まった。真空管のラジオは大きく重く、家族が一台を囲んでニュースや音楽を聴くものだった。トランジスタは、その体験を一人ひとりの手のひらへと解き放った。1957年には世界最小をうたうTR-63が登場し、シャツの胸ポケットに入る大きさを売りにしてアメリカ市場へ本格的に進出する。トランジスタラジオはやがて日本の主要な輸出品となり、日本が民生用エレクトロニクスの強国へと歩み出す最初の足がかりになった。テレビ、ビデオ、そしてウォークマンへと続く道は、この一台のラジオから始まっている。

この日本での開花は、本連載にとって見逃せない伏線でもある。半導体を民生機器に組み込み、小型化と量産で世界を席巻するという日本の得意技は、のちにイメージセンサーの分野でも繰り返されることになるからだ。トランジスタラジオで培われた「他国が発明した素子を、誰よりも上手に製品化する」という筋肉は、数十年後、ソニーが撮像素子で世界の首位に立つ流れへと、静かにつながっていく。

本章で扱う「世界の潮流」

本章からは、いくつもの世界的な潮流が読み取れる。

第一に、増幅という機能の担い手が、熱いガラス管から冷たい固体の結晶へと移り変わったことだ。真空管から半導体へというこの交代は、単に部品が置き換わったという話ではない。壊れやすく大食いだった電子機器が、小さく、丈夫で、省電力なものへと生まれ変わる転換点であり、これがなければコンピュータもスマートフォンもカメラのセンサーも今の姿になっていない。トランジスタの発明は、二十世紀後半の技術文明を支える土台を据えた出来事だった。

第二に、前章から続く「発見が理論に、理論が応用に先行する」という時間差の構造が、ここでも姿を見せていることだ。半導体で増幅できるという着想は1920年代にありながら、材料の理解が追いつかず、実現までに二十年を要した。MOSトランジスタもまた、原理が示されてから世界を覆うまでに長い時間がかかった。技術の歴史は、思いつきと理解と実用が、しばしば別々の時代に、別々の人々によって担われるリレーとして進む。

第三に、発明の地と製品化の地が異なっていたことだ。トランジスタはアメリカのベル研究所で生まれ、集積回路もアメリカで芽吹いた。しかしそれを人々の手のひらに載る製品へと磨き上げる仕事では、日本が世界の先頭に躍り出た。特許を公開したアメリカと、それを買って製品にした日本という関係は、技術が国境を越えて広がっていく道筋を象徴している。この発明と製品化の役割分担は、のちのイメージセンサーの歴史にも形を変えて現れる、繰り返しの主題である。

そして最後に、本章で登場したMOSトランジスタと集積回路という二つの技術が、そのまま次章以降で描くイメージセンサーの土台になるという点だ。ケイ素の上に、二酸化ケイ素の膜を育て、p型とn型の接合を作り込み、それを平面にびっしりと集積する。この一連の技術は、光を電気に変えて記録する固体撮像素子を作るための、まさに必要な道具立てそのものである。次章では、いったんカメラから離れ、この半導体技術が私たちの生活のあらゆる場所へどのように溶け込んでいったのかを見ていく。温度を測り、光をとらえ、動きを感じ取る無数のセンサーたちの物語である。

典拠(出典一覧)


イメージセンサー・クロニクル

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