カメラ覇権の地殻変動——日本メーカー独占の終わりは来るのか(12)

12-1. リード:なぜAFが重要なのか
カメラを手にしたとき、ユーザーが最初に体感する性能は何か。画素数でも、ダイナミックレンジでもない。オートフォーカス(AF)である。シャッターボタンを半押しした瞬間、被写体にピントが合うまでの速度と正確さ——それがカメラに対する第一印象を決定づける。
プロフェッショナルの世界では、AFの重要性はさらに際立つ。スポーツ写真家にとって、0.01秒のAF遅延は決定的瞬間の喪失を意味する。ウェディングフォトグラファーにとって、暗い教会堂での確実な合焦は仕事の成否を左右する。野鳥写真家にとって、枝から飛び立つ鳥を追い続ける被写体追尾AFは、かつて不可能だった写真を可能にした。
AF技術の特殊性は、それがカメラボディとレンズの両方にまたがる統合技術であることだ。ボディ側ではイメージセンサー上の位相差AF画素がピントのズレを検出し、画像処理エンジンが被写体を認識し、最適なAFアルゴリズムを実行する。レンズ側ではAFアクチュエータ(駆動モーター)がフォーカスレンズ群を高速かつ精密に移動させる。この二つが高速な通信プロトコルで連携して初めて、「一瞬で合焦する」体験が生まれる。
日本のカメラメーカーは、この統合技術を数十年にわたって磨き上げてきた。キヤノンが1987年にEOS 650(参考:CANON CAMERA MUSEUM)で世界初の完全電子マウントAFシステムを発売して以来、AF技術は一貫して日本メーカーのコア・コンピタンスであり続けている。位相差AF画素の配置設計、被写体認識アルゴリズム、レンズ内モーターの制御プログラム——これらは何世代ものカメラ開発を通じて蓄積されたノウハウの塊であり、新規参入者にとって最も高い障壁のひとつとされてきた。
しかし2020年代に入り、この「堀」に変化の兆しが現れている。AIによる被写体認識の急速な進歩、中国メーカーのAFレンズの驚異的な品質向上、LiDAR(光検出と測距)を用いた新たなフォーカシング手法——これらが従来のAFの常識を書き換えつつある。
本章では、AF技術の基本原理から最新のAI AF競争、レンズ内アクチュエータのサプライチェーン、マウントプロトコルの壁に至るまで、「日本メーカー最後の堀」の現在地を多角的に検証する。
12-2. AFの基本技術:位相差、コントラスト、ハイブリッド
位相差AF——速さの源泉
オートフォーカスの原理は、大きく分けて二つある。一つ目が位相差検出方式(Phase Detection AF)だ。
位相差AFでは、被写体からの光をセンサー上の対になった画素(位相差画素)で受光し、二つの像のズレ(位相差)からピントの方向と量を一度の演算で算出する。原理的に「どちらの方向に、どれだけレンズを動かせばよいか」が一発で分かるため、高速なフォーカシングが可能になる。
一眼レフ時代には、ミラーボックス内の専用AFセンサーモジュールが位相差検出を担っていた。測距点はファインダー中央部に集中し、その数も数十点程度だった。ミラーレス時代に入ると、イメージセンサー自体に位相差画素を組み込む像面位相差AFが主流となった。これにより測距点は画面全域に拡大し、数百点から数千点規模へと飛躍的に増加した。
キヤノンEOS R1は1,053のAFエリアに最大4,897の個別選択可能なAF測距点を配置し、画面のほぼ100%をカバーする。ソニーα9 IIIは759点(静止画)の位相差AF測距点を持ち、検出輝度範囲はEV -5〜+20に及ぶ。ニコンZ9/Z8は493点のフォーカスポイントを画面全域に配置する。各社とも画面全域AF・暗所AF性能の両面で限界を押し広げ続けている。
コントラストAF——精度の追求
二つ目がコントラスト検出方式(Contrast Detection AF)だ。これはイメージセンサーの出力画像のコントラスト(明暗差)を解析し、コントラストが最大になるレンズ位置を探索する方式である。
コントラストAFの利点は、原理的に高い合焦精度を実現できることだ。実際の撮像面でコントラストを評価するため、位相差AFのような光学系の調整誤差が生じにくい。一方で、最大コントラスト点を探すためにレンズを前後に駆動する必要があるため(ウォブリング)、位相差AFと比べて合焦速度が遅くなる傾向がある。
かつてのミラーレスカメラはコントラストAFが主流だったが、「動きものに弱い」という致命的な弱点があった。
ハイブリッドAF——ミラーレス時代の回答
現代のミラーレスカメラは、位相差AFとコントラストAFを組み合わせたハイブリッド方式を採用している。通常の撮影では位相差AFが高速に合焦し、最終的な微調整や低コントラスト被写体ではコントラストAFが精度を補完する。
このハイブリッド方式において決定的に重要なのが、演算アルゴリズムである。同じセンサーハードウェアを使っていても、AFアルゴリズムの優劣で合焦速度・追尾精度・被写体認識能力に大きな差が生じる。ファームウェアアップデートでAF性能が劇的に改善されるケースが多いのはこのためだ。ニコンZ9はファームウェアv5.00でZ8と同等のAF性能に引き上げられ、被写体検出能力が大幅に向上した。ハードウェアを変えずにソフトウェアだけで性能を引き上げられる——これはAF技術がますますソフトウェア・ドリブンになっていることの証左である。
そしてこの「ソフトウェア・ドリブン」という特性こそが、AI技術で急速に力をつける中国企業が将来的にAF競争に参入し得る根拠となる。その詳細はセクション12-5で論じる。
12-3. レンズ内AFアクチュエータの世界
AF性能はボディ側のセンサーとアルゴリズムだけでは完結しない。ボディからの「ここにピントを合わせろ」という指令を受けて、レンズ内のフォーカスレンズ群を物理的に移動させるAFアクチュエータ(駆動モーター)がもう一つの主役である。
リニアモーター(VCM / XDリニア / Silky Swift VCM)——最新世代の主流
リニアモーター方式は、磁力を用いてフォーカスレンズ群を直線的に駆動する。回転運動を直線運動に変換する必要がないため、応答性が極めて高く、静粛性にも優れる。現在のフラッグシップレンズの多くがこの方式を採用している。
キヤノンはVCM(Voice Coil Motor)と呼ぶリニアモーターを最新RF Lレンズに搭載している。磁石の間に配置されたコイルに電流を流し、磁力でフォーカスユニットを直接駆動する。重いフォーカスレンズ群を持つ大口径レンズでの高速AFに威力を発揮する。ソニーはXDリニアモーター、ニコンはSilky Swift VCMと呼ぶ同様の技術を展開しており、各社とも電磁式リニア駆動の原理は共通している。
Viltroxもまた、独自のQuad HyperVCM技術を開発した。4基のVCMを搭載し、従来のSTMモーターと比較してAF速度150%向上、最短100ミリ秒での近接→遠景フォーカス移行を実現したとされる。これは中国レンズメーカーがAFアクチュエータ技術でも急速に追い上げている証左である。
超音波モーター(USM)——キヤノンが拓いたAF革命
キヤノンが1987年に実用化したリング型USM(Ultrasonic Motor)は、AF技術の歴史における革命的イノベーションだった。圧電素子の超音波振動を回転運動に変換し、フォーカスレンズ群を駆動する。高速・静粛で、フルタイムマニュアルフォーカスにも対応する。EFレンズ時代の大口径Lレンズの多くがこの方式を採用し、キヤノンのAF性能の評価を決定づけた。
2016年にはキヤノンがNano USMを発表。リング型USMの高速性とSTMの静粛性を両立させた新世代モーターで、スチルとビデオの両立が求められるミラーレス時代に対応した。2019年にはRF 70-200mm F2.8L IS USMでDual Nano USMが登場し、2つのフォーカス群を独立駆動することでフォーカスブリージングの抑制と高速AFを両立させた。
ステッピングモーター(STM)——コストと静粛性の最適解
ステッピングモーター(STM)は、デジタルパルス信号でモーターを一定角度ずつ回転させ、精密な位置制御を実現する方式だ。構造がシンプルでコストが低く、動作音が静かなため、動画撮影を重視するエントリー〜ミドルクラスのレンズに広く採用されている。
YONGNUOのZマウントレンズ群(85mm F1.8Z DF DSM、50mm F1.8Z等)はDSM(Digital Stepping Motor)を搭載している。AF速度ではVCMに及ばないが、静粛性と低コストを武器に100〜150ドル台の価格帯を実現しており、エントリー層への訴求力は高い。
AFアクチュエータのサプライチェーン
レンズ交換式カメラのAFアクチュエータは、キヤノン・ソニー・ニコンの各社が社内で設計・製造しているケースが多い。特にリニアモーターの磁気回路設計やフィードバック制御アルゴリズムは、長年の開発で蓄積されたノウハウの塊であり、新規参入者が模倣しにくい領域とされてきた。
しかし、この状況にも変化が見られる。スマートフォン用カメラモジュールのAFアクチュエータ市場(2022年時点で約42億ドル規模)では、ミネベアミツミやアルプスアルパインといった日本メーカーに加え、韓国のサムスン電機(SEMCO)、Jahwa Electronics、さらには中国メーカーが大きなシェアを持っている。スマートフォン用VCMで培われた量産技術と微細加工技術が、レンズ交換式カメラ用のAFアクチュエータに転用されつつある。
ケンブリッジ・メカトロニクス(CML)が開発するSMA(Shape Memory Alloy=形状記憶合金)アクチュエータは、VCMとは異なる原理でAF+OIS(光学式手ブレ補正)を一体化した小型モジュールを実現しており、中国と日本の実績あるサプライチェーンを通じて量産されている。このように、AFアクチュエータの技術は多様化し、供給源も広がりつつある。
12-4. 中国AFレンズの急成長
「使えるAF」から「優れたAF」へ
第4章で詳述した中国レンズメーカーの台頭は、AF性能においても急速に進行している。わずか数年前まで「AFは遅い、不安定、純正には遠く及ばない」と評されていた中国製AFレンズは、2024〜2025年にかけて評価が一変した。
Viltrox AF 35mm F1.2 LAB FEは、レビューサイトOpticalLimitsから8.5/10「Highly Recommended」の評価を受けた。Dustin Abbott氏のレビューでは「サードパーティレンズとしてはAF性能の上位層にある。Viltroxがわずか数年でここまで来たのは驚異的だ」と評価されている。Fstoppersのレビューも「4基のVCMによる高速かつ静粛なAF」を高く評価し、ソニーα7R Vでの被写体追尾は「期待通り」に機能すると報告した。
この急速な品質向上の背景には、中国レンズメーカーの技術戦略の転換がある。初期にはマニュアルフォーカスレンズで光学設計力を磨き、次にリバースエンジニアリングでマウント通信プロトコルを解析してAF対応を実現し、さらにVCMやSTMの自社開発に投資してアクチュエータ技術を内製化した。Viltroxの「HyperVCM」はその象徴であり、STM比150%のAF速度と100msの遷移時間を謳っている。
残されたギャップ——連写速度制限とプロトコルの壁
しかし、中国AFレンズと純正レンズの間にはまだ明確なギャップが存在する。最も象徴的なのが、ソニーの連写速度制限だ。
ソニーのミラーレスカメラは、サードパーティレンズ装着時に連写速度を制限する仕様がある。α1やα9 IIIでは純正レンズで30fpsの連写が可能だが、Viltrox LABレンズ装着時には最大15fpsに制限される。α9 IIIの120fpsブラックアウトフリー連写に至っては、サードパーティレンズでは到底享受できない。Dustin Abbott氏が指摘するように「スポーツボディを使うなら、最大連写速度の半分しか使えないことは重大な制約」である。
興味深いことに、ニコンZマウントではこのような制限は報告されていない。同じViltrox LABレンズでも、Zマウント版ではカメラの最大連写速度がそのまま利用できるとされる。このプラットフォーム間の差異は、マウントプロトコルの設計思想の違いを反映している(詳細はセクション12-6で論じる)。
YONGNUOのRFマウント戦略——グレーゾーンの挑戦
キヤノンRFマウントにおけるサードパーティレンズの状況はさらに複雑だ。キヤノンは2022年頃、Viltroxを含む複数のメーカーに対してRFマウントAFレンズの販売停止を求めたとされる。これに対しYONGNUOは独自のアプローチを取った。レンズマウント部を改良し、通常のカメラ側リリースボタンではなくレンズ側のボタンで脱着する方式を採用してRFマウントAFレンズの販売を継続している。
2024年4月、キヤノンはシグマとタムロンに対してRFマウントのライセンスを供与し、両社がAFレンズを開発・販売することを認めた。ただしこのライセンスはAPS-C(RF-S)レンズに限定されており、フルフレーム用RFレンズは依然としてキヤノン純正のみという状況が続いている。DPReviewの報道によれば、キヤノンはRFマウントのライセンスを「ケースバイケース」で検討するとしており、一括ライセンスではなくレンズごとの個別交渉が必要だという。
この閉鎖的な姿勢は、キヤノンが高マージンのフルフレームレンズ市場を守りつつ、APS-Cセグメントではサードパーティレンズの品揃えでエコシステムの魅力を高めるという、二重戦略を採っていることを示唆する。
AFの「最後の壁」——被写体認識と追尾
中国AFレンズがハードウェアレベルで純正に迫っていても、被写体認識・追尾AFにおいては決定的な差が残る。被写体認識(人物の瞳、動物、車両、飛行機など)はカメラボディ側の機能であり、レンズメーカーが直接関与できない領域だ。しかし、AFの追尾精度はレンズのAF駆動速度・精度と密接に連動しており、レンズ側の応答性が追尾性能のボトルネックになることがある。
加えて、ボディとレンズ間の通信遅延もAF追尾に影響する。純正レンズはメーカーが通信プロトコルの全仕様を把握しているため、最適化が容易だ。サードパーティレンズはリバースエンジニアリングに依存するため、通信のオーバーヘッドやファームウェアアップデートによる互換性の変動というリスクを常に抱えている。
12-5. AI被写体認識AFの競争
ディープラーニングがAFを変えた
2020年代のAF技術における最大の革新は、AI(ディープラーニング)による被写体認識の急速な進化である。かつてのAFは「コントラストが高い部分にピントを合わせる」という受動的な技術だったが、現在のAFは「画面内のどこに何がいるかを理解し、撮影意図を推測して最適な被写体にピントを合わせ続ける」という能動的な知能を持つに至った。
この進化を牽引したのは、日本メーカーのカメラに搭載された専用AIプロセッサである。
Canon EOS R1のDeep Learning AF——Action Priority
キヤノンEOS R1(2024年7月発売)は、DIGIC AcceleratorとDIGIC Xのデュアルプロセッサ構成を採用し、AF演算の革新を遂げた。その象徴がAction Priorityモードである。
Action Priorityは、ディープラーニングを活用してスポーツシーンにおける「アクションを行っている人物」を自動的に識別し、AF測距点を能動的に移動させる機能だ。たとえばサッカーの試合でボールを蹴る選手、テニスのサーブを打つ選手——それまでは撮影者がAF測距点を手動で追いかける必要があった場面で、カメラが自律的に「主役」を判断してフォーカスを合わせる。
さらにEOS R1はイメージセンサーレベルでの世界初のクロスタイプAFを実現した。従来の像面位相差AFが水平方向のみの検出だったのに対し、EOS R1は水平・垂直の両方向で位相差を検出する。これにより、横縞の被写体や低コントラストのシーンでも安定した合焦が可能になった。AF測距点は1,053エリア(最大4,897の個別選択可能点)、動作輝度範囲はEV -7.5〜21、電子シャッターで40fpsの連写が可能だ。
Sony α9 IIIのAI AF——120回/秒の演算
ソニーα9 III(2023年11月発表、2024年春発売)は、世界初のフルフレームグローバルシャッターミラーレスカメラとして衝撃を与えたが、AF性能もまた驚異的だ。759点(静止画)の位相差AF測距点を持ち、毎秒120回のAF/AE演算を実行する。
ソニーのAI AFは、レビュアーから「魔法のよう」と評されている。人物の瞳、動物、鳥、昆虫、車両、列車、飛行機——多様な被写体を高精度に認識し、画面内を高速で移動する被写体にもAFが吸い付くように追尾する。検出輝度範囲はEV -5〜+20。120fpsのブラックアウトフリー連写と合わせて、スポーツ・報道カメラマンにとっての究極の撮影ツールとなっている。
ソニーα7R V(2022年10月発表)は、同社で初めて専用AI処理ユニットを搭載したカメラであり、AI AFの先駆けとなった。この技術がα9 IIIにも発展的に継承されている。
Nikon Z9 / Z8の3DトラッキングAF
ニコンZ9/Z8は、一眼レフ時代から定評のある3DトラッキングAFをミラーレスに昇華させた。被写体認識とAF-C(コンティニュアスAF)を組み合わせ、被写体が画面内を動いてもAFポイントが自動的に追従する。
被写体認識は人物(顔・瞳)、犬・猫・鳥、車両、飛行機、自転車、列車など多岐にわたる。ファームウェアv5.00によりZ9はZ8と同等のAF性能に到達し、被写体検出の精度と速度が大幅に改善された。ニコンのEXPEED 7画像処理エンジンは前世代比約10倍の処理速度を持ち、毎秒120回のAF/AE演算を実行する。
DJI Ronin 4DのLiDAR AF——光学AFの常識を覆す
AF技術の革新は、従来のカメラメーカーからだけではない。DJIのRonin 4Dは、LiDAR Range Finderを搭載し、光学AFとは全く異なるアプローチを提示した。
LiDAR AFは43,200点のリアルタイム3Dポイントクラウドを生成し、被写体までの距離を直接測定する。有効測距距離は最大10m。3つのAFモードを備える:LiDAR Waveform(アシスト型マニュアルフォーカス)、Autofocus(顔・体認識+ActiveTrack Pro対応)、Automated Manual Focus。
最も革新的なのは、X9 Focus Motorを通じてマニュアルフォーカスレンズでもAFが可能になることだ。シネマの世界では、高品質なマニュアルフォーカスレンズ(ツァイス、クック、アナモルフィックレンズ等)が依然として主流であり、これらのレンズでAFが使えることのインパクトは大きい。さらに4軸アクティブスタビライゼーションを組み合わせることで、ワンオペレーターでのシネマ撮影を可能にしている。
このDJIのアプローチは、従来の「センサー+レンズ通信プロトコル」というAFの枠組みを根本から覆す可能性を秘めている。LiDARやToF(Time of Flight)センサーによる距離測定が高精度・低コスト化すれば、マウントプロトコルの壁は意味を失う。
中国のAI技術がカメラAFに向かうとき
AIベースのAFにおいて、将来的に中国企業が優位に立つ可能性は無視できない。その根拠は中国のAI研究開発力にある。
世界知的所有権機関(WIPO)が2025年に公表したデータによれば、中国はAI特許の世界最大の保有国であり、全世界のAI特許の約60%を占める。中国のAI研究論文の出版数は2024年時点でアメリカ・イギリス・EUの合計に匹敵し、全世界の引用注目度の40%以上を獲得している。モルガン・スタンレーのレポートは、世界のトップAI研究者の47%が中国に拠点を持ち、AI特許の50%以上を中国が保有していると指摘する。中国国内には6,000社以上のAI企業が存在し、AI中核産業の規模は1.2兆人民元(約1,743億ドル)を超える。
SenseTime(商湯科技)は、自動運転向けのカメラ認識技術(車線検出、歩行者検出、交通標識認識)を開発しており、単眼カメラからの高精度物体検出・追尾・認識を実現している。Megvii(旷视科技)は顔認識技術のFace++で知られ、コンピュータビジョンの学術コンペティションでGoogleやMicrosoftのチームを破った実績を持つ。
これらの技術がカメラのAF被写体認識に直接応用されるシナリオは十分に考えられる。ディープラーニングによる物体検出・追尾は、自動運転もカメラAFも基本原理は共通だからだ。中国メーカーがカメラボディを開発する場合(あるいはDJIのように既に開発している場合)、これらのAI技術を統合することで、日本メーカーのAI AF能力に匹敵する、あるいは特定分野では凌駕するシステムを構築する可能性がある。
12-6. マウントプロトコルの壁
ボディ⇔レンズ間通信の重要性
AF性能の最後の要素は、カメラボディとレンズの間の通信プロトコルである。現代のミラーレスカメラでは、ボディとレンズの間で毎秒数百回以上のデータ交換が行われている。AF駆動指令、レンズ位置フィードバック、レンズ光学データ(収差情報、歪曲補正データ)、手ブレ補正の連携信号——これらが高速・低遅延で伝達されることが、AF性能の発揮に不可欠だ。
純正レンズの最大のアドバンテージは、メーカーがこの通信プロトコルの全仕様を握っていることにある。レンズのAFアルゴリズムとボディのAFアルゴリズムは協調動作するよう設計され、レンズ固有の光学特性(フォーカスブリージング量、AF駆動の非線形特性など)がボディ側に事前登録されている。この「完全な相互理解」が、純正レンズの圧倒的なAF信頼性の源泉だ。
サードパーティレンズの限界
サードパーティレンズメーカーは、マウント通信プロトコルをリバースエンジニアリングによって解析している。しかしリバースエンジニアリングには本質的な限界がある。
第一に、プロトコルの全てを解明できるとは限らない。特に暗号化されたコマンドや、特定のカメラモデルでのみ使用される拡張コマンドは解析が困難だ。第二に、カメラメーカーがファームウェアアップデートでプロトコルを変更した場合、サードパーティレンズの互換性が突然失われるリスクがある。これはユーザーにとって「純正でないと安心できない」という心理的障壁を生む。
前述のソニーにおける連写速度制限(サードパーティレンズで15fps上限)は、この通信プロトコルの壁の具体的な表れだ。ソニーがこの制限を意図的に設けているのか、プロトコル上の技術的制約なのかは不明だが、結果としてサードパーティレンズとの間に明確な性能差が生じている。
Lマウントアライアンスの開放モデル
マウントプロトコルの「開放」と「閉鎖」の対比として、Lマウントアライアンスは興味深いケーススタディを提供する。
Lマウントアライアンスは2018年、ライカ、パナソニック、シグマの3社が設立した提携関係だ。ライカが開発したLマウント規格を3社が共有し、カメラとレンズの相互互換性を保証する。ユーザーはライカのボディにシグマのレンズを、パナソニックのボディにライカのレンズを装着しても、AF・手ブレ補正・収差補正などの機能が完全に動作する。
シグマはLマウント向けに「各レンズに最適化されたAF駆動制御プログラムと高速通信」を実装しており、AF-Cモードにも対応する。ボディ内手ブレ補正との連携やレンズ内収差補正データの活用も完全にサポートされている。
2025年には17の新しいカメラ・レンズが発表され、さらに中国の7ArtisansやTTArtisanなどのブランドもLマウントへの参入を表明している。Lマウントは「開放モデル」の典型として、エコシステムの拡大を続けている。
キヤノンRFマウントの閉鎖モデル
対照的に、キヤノンRFマウントは「閉鎖モデル」の代表例だ。2018年のRFシステム導入以来、キヤノンはサードパーティのAFレンズを事実上排除してきた。
2022年頃には、ViltroxなどのメーカーがリバースエンジニアリングでRFマウントAFレンズを発売していたが、キヤノンが特許侵害を主張してAFレンズの販売停止を求めたとされる。その後、マニュアルフォーカスレンズのみが市場に残った。
2024年4月、キヤノンはシグマとタムロンにRFマウントのライセンスを供与したが、対象はAPS-Cレンズのみ。両社の製品には「This product is developed, manufactured, and sold under a license agreement with Canon Inc.」という注記が付く。フルフレーム用RFレンズの第三者ライセンスは2025年末時点でまだ実現していない。
キヤノン幹部はインタビューで「RFマウントに制限はない」「サードパーティメーカーとコミュニケーションを取っている」と述べているが、DPReviewが報じた「ケースバイケースの個別審査」という実態は、事実上の制限として機能している。Canon Rumorsの2025年6月の記事では、フルフレームRFレンズのサードパーティ開放が近いとの噂が報じられているが、具体的な時期は確定していない。
マウント情報のライセンスが変われば——ゲームチェンジの可能性
もしキヤノンがフルフレームRFレンズのライセンスを全面開放すれば、それは市場のゲームチェンジとなる。Viltrox、シグマ、タムロンがフルフレーム対応のRF AFレンズを発売できれば、キヤノンユーザーのレンズ選択肢は飛躍的に広がる。
逆に、Lマウントアライアンスのような開放モデルが拡大すれば、閉鎖モデルを維持するメーカーは「レンズエコシステムの貧弱さ」という競争劣位を負うことになる。マウントプロトコルの開放性は、AF技術の優劣だけでなく、カメラシステム全体の競争力を左右する戦略的要素である。
12-7. AF技術の未来——「堀」は持続するか
従来型AFでは日本メーカーの優位は明確
位相差AF+コントラストAFのハイブリッド方式において、日本メーカーの技術的優位は現時点で揺るぎない。キヤノン、ソニー、ニコンの3社は、数十年にわたるセンサー設計、AF画素配置の最適化、レンズ内アクチュエータの開発、通信プロトコルの進化——これらの蓄積が他の追随を許さないAF性能を生み出している。
EOS R1のクロスタイプAFとAction Priority、α9 IIIの120回/秒演算、Z9/Z8の3DトラッキングAF——いずれも数十年の技術蓄積の上に成り立つ成果であり、一朝一夕に追いつけるものではない。
AI AFの台頭——ソフトウェアがハードウェアを凌駕する可能性
しかし、AI AFの世界では力学が異なる。被写体認識・追尾のアルゴリズムはディープラーニングで学習されるため、「データ量」と「計算資源」と「AI人材」が競争力の源泉となる。この3つの要素において、中国は世界トップクラスの実力を持つ。
AI特許の60%を保有し、3万人のアクティブなAI研究者を擁し、6,000社以上のAI企業が活動する中国——このAI技術の厚みがカメラのAF被写体認識に本格的に向かったとき、何が起こるか。SenseTimeの物体検出技術やMegviiのコンピュータビジョン技術がカメラに統合されれば、日本メーカーのAI AFに匹敵する、あるいは凌駕するシステムが生まれる可能性は否定できない。
DJI Ronin 4DのLiDAR AFは、その先駆けとも言える。マウントプロトコルに依存しないAF手法は、従来のカメラメーカーの「堀」を無効化する可能性を秘めている。LiDAR・ToFセンサーの小型化・低コスト化が進めば、レンズ交換式スチルカメラにも搭載される日が来るかもしれない。
それでもAFは「統合力」で決まる
一方で、AFの本質は「レンズとボディの総合力」であることを忘れてはならない。AIアルゴリズムがいかに優れていても、それを物理的に実現するのはレンズ内のアクチュエータであり、ボディ⇔レンズ間の高速通信であり、光学系全体の精密な設計だ。
光学設計、メカニカルエンジニアリング、ソフトウェアアルゴリズム——この三位一体を高い次元で統合できるメーカーだけが、最高のAF性能を提供できる。日本メーカーは光学とメカの両方で数十年の蓄積を持ち、そこにAIを加えた統合力では依然として世界をリードしている。
中国企業がAIで優位に立ったとしても、光学設計とメカニカルエンジニアリングの蓄積を同時に獲得するには相当の時間がかかる。ただし、DJIのようにシステム全体を独自設計し、LiDARのような非従来型アプローチを採用するメーカーが現れた場合、この「統合力」の定義自体が変わる可能性がある。
12-8. 本章のまとめ
AF(オートフォーカス)技術は、日本のカメラメーカーが数十年かけて構築した最大の「堀」のひとつである。位相差AF画素のセンサー設計、演算アルゴリズム、レンズ内アクチュエータ、マウント通信プロトコル——これらの統合技術は、新規参入者にとって最も模倣困難な領域だ。
しかし2020年代、この堀に複数の亀裂が走り始めている。
第一に、中国AFレンズの急速な品質向上。 ViltroxのQuad HyperVCMやLABシリーズが示すように、中国メーカーはAFアクチュエータの自社開発と光学設計力の向上を同時に達成しつつある。レビューサイトでの評価は「サードパーティの上位層」に達し、日常的な撮影では純正との差はほとんど感じられないレベルに近づいている。
第二に、AI被写体認識の台頭。 AFがますますソフトウェア・ドリブンになる中、AI研究で世界をリードする中国がこの領域に本格参入すれば、力学が変わる可能性がある。WIPO統計でAI特許の60%を占め、30,000人のAI研究者を擁する中国のAI技術力は、潜在的な脅威だ。
第三に、LiDARのような非従来型アプローチ。 DJI Ronin 4Dが示したように、マウントプロトコルに依存しないAF手法は、従来の「堀」を迂回する可能性を持つ。
一方で、マウントプロトコルの壁は依然として強固だ。ソニーの連写速度制限、キヤノンのRFマウントのフルフレームレンズ未開放——これらはサードパーティレンズの競争力を構造的に制限している。Lマウントアライアンスのような開放モデルとの対比は、マウント戦略が市場構造を大きく左右することを示唆する。
AFは日本メーカーの最後の「堀」か?——答えは「現時点ではイエス、しかし永遠ではない」だ。光学・メカ・ソフトウェアの三位一体の統合力において、日本メーカーの経験の蓄積は依然として巨大なアドバンテージである。だがAI技術の進化と中国企業の台頭は、この堀の侵食速度を加速させている。次章以降で論じる知的財産権、ブランド力、サービスネットワークといった「非技術的な堀」が、最終的にはより重要な防御線になるかもしれない。
カメラ覇権の地殻変動——日本メーカー独占の終わりは来るのか
- 導入ガイド
- 第Ⅰ部:現状認識——日本は本当に「独占」しているのか
- 第Ⅱ部:レンズの世界——中国勢が「気がつけば席巻」しつつある領域
- 第Ⅲ部:サプライチェーンの深層——カメラは何でできているのか
- 8.イメージセンサー——ソニーの「独占」とその裂け目
- 9.光学ガラスと非球面レンズ——日本とドイツの牙城、中国の追い上げ
- 10.カメラの「頭脳」——画像処理エンジンとAI処理チップ
- 11.メカニカル部品とボディ製造——シャッター、手ブレ補正、防塵防滴
- 12.AF(オートフォーカス)技術——日本メーカー最後の「堀」か
- 第Ⅳ部:カメラボディメーカーの動向——国・地域別深掘り
- 13.中国のカメラボディメーカー——DJI、Zcam、Kinefinity、そして小米の野望
- 14.韓国のカメラ産業——Samsung撤退後の空白と復活の可能性
- 15.アメリカのカメラ産業——RED買収、コダックの遺産、シリコンバレーの計算写真
- 16.欧州のカメラ産業——Leica、ARRI、Phase One、Hasselblad(DJI傘下)
- 17.オーストラリア・台湾・インド——Blackmagic Designと新興勢力
- 第Ⅴ部:構造分析と未来予測
- 18.製造業の大移動——欧州→米国→日本→中国、歴史的パターンの分析
- 19.コンピュテーショナルフォトグラフィの衝撃——スマートフォンが変えた「写真」の定義
- 20.2030年のカメラ産業のシナリオ分析——日本メーカー独占の終わりは来るのか
- 21.総括——カメラ覇権の地殻変動は、どこへ向かうのか
典拠一覧
- Canon EOS R1 プレスリリース(2024年7月)——DIGIC Accelerator、クロスタイプAF、Action Priorityモード、1,053 AFエリア、4,897選択可能測距点、EV -7.5〜21
- Sony α9 III プレスリリース(2023年11月発表)——759点位相差AF、毎秒120回AF/AE演算、EV -5〜+20検出範囲
- Sony α7R V プレスリリース(2022年10月)——同社初の専用AI処理ユニット搭載
- Nikon Z9 / Z8 技術資料——493点AF、3DトラッキングAF、EXPEED 7(10倍高速化)、ファームウェアv5.00でZ8同等性能
- Canon lens focusing motor technology(Canon Europe InfoBank)——USM、Nano USM、Dual Nano USM、VCM各技術の解説
- Luminous Landscape「Canon’s VCM Technology」——Sony XD Linear Motors、Nikon Silky Swift VCM、Fujifilm linear motorsとの比較
- Viltrox AF 35mm F1.2 LAB FE 製品情報——Quad HyperVCM、STM比150%高速化、100ms遷移時間
- OpticalLimits「Viltrox AF 35mm f/1.2 LAB FE Review」——8.5/10 Highly Recommended
- Dustin Abbott「Viltrox AF 35mm F1.2 LAB FE Review」——「サードパーティAFの上位層」、Sony 15fps制限、Nikonでは制限なし
- Fstoppers「Viltrox 35mm f/1.2 FE LAB Review」——4基VCM、Sony α7R Vでの追尾性能
- YONGNUO製品カタログ——Zマウントレンズ群(85mm F1.8Z DF DSM、50mm F1.8Z)、RFマウントレンズ(レンズ側リリースボタン方式)
- DJI Ronin 4D 技術資料——LiDAR Range Finder(43,200点3Dクラウド、10m測距)、X9 Focus Motor、3つのAFモード
- WIPO 2025年データ / Qiushi「China becomes world’s largest holder of AI patents」——中国がAI特許の約60%を保有、6,000社以上のAI企業、AI中核産業1.2兆人民元超
- Digital Science Report(2025年7月)——中国のAI研究論文が米英EU合計に匹敵、全世界の引用注目度40%以上
- Morgan Stanley「China Quickly Becoming an AI Global Leader」——トップAI研究者の47%が中国拠点、AI特許50%以上
- SenseTime Intelligent Automobile Technology——単眼カメラでの車線・歩行者・交通標識検出、LiDAR認識
- WIRED「Behind the Rise of China’s Facial-Recognition Giants」——Megvii Face++、学術コンペでGoogle・Microsoft撃破
- PetaPixel(2024年4月)「Canon is Finally Letting Sigma and Tamron Make RF Mount Lenses」——RF-Sライセンス供与
- DPReview「Canon reiterates RF-mount is open to third parties」——ケースバイケースの個別ライセンス
- Digital Camera World「Canon FINALLY takes the handcuffs off third-party lenses」——APS-C限定、フルフレーム未開放
- SIGMA公式発表(2024年4月23日)——RF-Sマウント6レンズ、「under license from Canon Inc.」
- Canon Rumors(2025年6月)——フルフレームRFレンズのサードパーティ開放が近いとの噂
- L-Mount Alliance公式サイト——Leica・Panasonic・Sigmaの3社提携、マウント規格共有
- B&H eXplora「L-Mount Alliance’s 2025」——2025年に17の新製品、中国ブランドの参入
- SIGMA L-Mount Lineup(sigma-global.com)——L-Mount向けAF最適化、AF-C対応、ボディ内手ブレ補正連携
- Cambridge Mechatronics(CML)——SMA Lens Shift AF+OIS、VCMの代替技術、中国・日本のサプライチェーン
- MinebeaMitsumi Optical Devices——スマートフォン用VCMアクチュエータ、AF+OISモジュール
- Fstoppers「Explaining the Different Types of Lens Autofocus Motor」——マイクロモーター、USM、STM、VCMの比較



