
ミラーレス一眼という新大陸を最初に発見したのは、富士フイルムではなかった。パナソニックであり、オリンパスであり、ソニーだった。では、カメラ史の大転換が起きていた二〇〇八〜二〇一一年、富士はどこで何をしていたのか。「出遅れた会社」と切り捨てるのは簡単だ。だが本章を読み終えるころには、その評価は少し変わっているはずだ。
第Ⅲ部もいよいよ大詰めである。前章まで、フィルムカメラの名機、チェキ、そしてスーパーCCDハニカムとFinePixの苦悩を見てきた。本章で扱うのは、その続き——デジタル一眼レフが市場を支配し、やがて「ミラーレス一眼」という新しいカテゴリーが生まれた、二〇〇八年からの数年間だ。この時期、ライバル各社が新大陸へ我先にと船を出すなか、富士フイルムは港に残っているように見えた。だがその港で、富士は静かに一隻の船を仕立てていた。それが、Xマウント誕生の直前夜の物語である。

「黒船」が来た——ミラーレスという新大陸
話の前提として、ミラーレスが生まれる手前の地形を押さえておきたい。
デジタル一眼レフ(DSLR)は長らく、フィルム一眼レフのボディにセンサーを組み込む発想で作られてきた。レンズが捉えた光を、ミラーで上方のファインダーへ跳ね上げ、撮影の瞬間だけミラーが跳ね上がる——この精巧な機構(クイックリターンミラー)こそが「一眼レフ」の心臓だった。だが、それは同時にボディを大きく重くする要因でもあった。

この「ミラーボックス」を最初から取り払ってしまえばどうなるか。センサーが捉えた像を電子ビューファインダー(EVF)や背面液晶でそのまま見る方式にすれば、ボディは劇的に小さくできる。この発想を製品として結晶させたのが、オリンパスとパナソニックが二〇〇八年八月五日に発表した「マイクロフォーサーズシステム」だった。ミラーレス一眼カメラ専用の共通規格としては、世界初である。[1]
その下敷きには、二〇〇三年にオリンパスとコダックが策定した「フォーサーズ規格」があった。フィルムの流用ではなく、デジタル専用にゼロから設計された一眼レフシステムだ。センサーへ光を垂直に当てる「テレセントリック性」を追求し、小型軽量と高画質の両立を狙ったものだったが、一眼レフのスタイルである以上、キヤノン・ニコンの牙城は崩せなかった。[2] その反省を踏まえ、ミラーを捨てて生き残りを賭けたのがマイクロフォーサーズだったのである。
そして二〇〇八年十月三十一日、マイクロフォーサーズ規格に準拠した初の市販機として、パナソニック「LUMIX DMC-G1」が発売された。[1] レンズ交換式デジタルカメラからミラーを取り除いた、現在のミラーレスの出発点とされる一台である。有効一二一〇万画素、本体約三八五グラム。アイセンサー付きの大きく高精細なEVF、フリーアングルモニター、高速化を狙ったコントラストAF——いま振り返っても、現在のミラーレスに続く骨格がすでにここにあった。[3] まさにカメラ史に残る「黒船」だった。

二〇〇九〜二〇一一、勃興の三年間
ここから数年は、ミラーレスが一気に勢力を広げる時代になる。
二〇〇九年七月、オリンパスが「PEN E-P1」を発売する。一九五九年の名機「オリンパス・ペン」の名を冠した、金属外装のクラシカルなボディ。発売時点で「世界最小・最軽量のレンズ交換式デジタルカメラ」を謳い、アートフィルターという遊び心も載せて、写真好き以外の層にも刺さった。[4] マイクロフォーサーズが「小さくて、おしゃれで、本格的」という新しいイメージを獲得した瞬間だった。
翌二〇一〇年五月、今度はソニーが「NEX-3」「NEX-5」を発表する。APS-Cという、マイクロフォーサーズより一回り大きいセンサーを、信じられないほど小さなボディに詰め込んできた。マウント基部の直径がボディ全高を上回るという、掟破りのスタイリングが強烈な印象を残した。[5] このとき採用されたEマウントは、フランジバック一八ミリ、マウント内径四六・一ミリとされる。当時は誰も、これがのちにフルサイズセンサーまで担うとは夢にも思っていなかった。[5]

この二〇一〇年、ミラーレスはレンズ交換式カメラの実に三割を占めるに至り、市場全体の底上げに寄与したとされる。[5] さらに二〇一一年にはニコンが「Nikon 1」、ペンタックスが「PENTAX Q」を投入し、多くの主要メーカーが新大陸に上陸した。そして翌二〇一二年、オリンパスは名機「OM-D E-M5」でミラーレスを「本格派の道具」へと押し上げていく。
わずか四年で、カメラの勢力図は塗り替わった。だがこの新大陸の地図のどこを探しても、富士フイルムの旗は見当たらない。
そのとき、富士はどこにいたか
では、富士はこの三年間、何をしていたのか。
端的に言えば、富士には「レンズ交換式のシステム」がなかった。富士最後の一眼レフは、二〇〇七年発売の「FinePix S5 Pro」である。これはニコンD200のボディをベースに、自社のスーパーCCDハニカムSR PROセンサーとソフトウェアを組み込んだ、ニコンFマウントの一眼レフだった。[6][7] つまり富士のレンズ交換式カメラは、ボディもマウントも他社のものを借りた「間借り」のかたちで成立していたのである。S5 Proを最後に、富士はこの一眼レフ事業から事実上退く。自前のレンズ交換式システムを持たないまま、ミラーレスの時代を迎えてしまった。
手元に残ったのは、苦戦するFinePixのコンパクト機だけだった。前章で見たとおり、カメラ付き携帯とスマートフォンの普及で、コンパクトデジカメ市場は急速にやせ細っていく。実際、二〇一〇年ごろの富士フイルムのカメラ事業は、フィルムの衰退と低価格カメラの価格競争が重なり、収益面でも厳しい局面に置かれていた。[8]
こうして並べると、富士は完全に出遅れた敗者のように見える。レンズ交換式の自社システムを持たず、一眼レフから退き、コンパクトでは市場ごと縮んでいく——四方を塞がれた格好だ。だが、ここからの一手が、富士という会社の真骨頂だった。

富士の答え——「X100」という宣言
二〇一〇年九月、ドイツの写真見本市フォトキナ。富士フイルムが一台のカメラを開発発表する。「FinePix X100」だ。
反響は大きかった。海外メディアが「フォトキナ2010の(現時点での)勝者」と書き立てるほど、来場者と写真愛好家の心をつかんだ。[9] そして二〇一一年三月五日、店頭予想価格十二万八千円前後で発売される。[10]
面白いのは、X100が「ミラーレス一眼」ではなかったことだ。レンズは交換できない。三五ミリ判換算で三五ミリ相当(実焦点距離二三ミリ)、開放F2の単焦点を固定で備えた、いわば高級コンパクトである。撮像素子はAPS-Cサイズ相当の有効一二三〇万画素CMOS。そして最大の見どころが、光学ファインダー(OVF)と電子ビューファインダー(EVF)を切り替えられる「ハイブリッドビューファインダー」を世界で初めて搭載したことだった。[10] フィルムカメラを思わせるクラシカルな意匠、絞りリングとシャッタースピードダイヤルという物理操作——それは「ミラーレス競争に小さく軽くで勝つ」のとは、まるで違う方向の答えだった。

X100そのものの衝撃と、それがなぜカメラ史を動かしたのかは、次章でじっくり掘り下げる。ここで押さえておきたいのは一点だけ。富士はミラーレスの土俵で台数を競うのではなく、「カメラとは何か」を問い直す一台で勝負を仕掛けた、ということだ。そしてこのX100の成功が、翌二〇一二年のレンズ交換式システム「Xマウント」へとまっすぐつながっていく。
独自の視点——「出遅れ」ではなく「待ち」だった
ここで一歩引いて考えたい。富士のミラーレス参入は、本当に「出遅れ」だったのか。私はむしろ「待ち」だったと見ている。
理由は三つある。
第一に、後発だったからこそ、規格を自由に選べた。二〇〇八〜二〇一〇年の時点で慌ててミラーレスに飛び込んでいたら、富士はおそらくマイクロフォーサーズ陣営に相乗りするか、より小さなセンサーで妥協していただろう。自社システムを持たなかったがゆえに、富士は白紙から「APS-Cで、独自マウントで」という選択ができた。フォーマットをめぐる富士の判断については、姉妹連載のAPS-Cクロニクル——写真と映像の「スタンダード」を問い直す第10章「富士フイルムの選択」がより踏み込んで論じているが、要は——焦らなかったことが、独自路線の自由度を残したのである。

第二に、富士には「借り物ではない武器」があった。S5 Proで他社ボディを間借りしていた一方、富士はFUJINONというレンズ技術(第Ⅱ部)と、スーパーCCDハニカムで培った色と画づくりの蓄積(第10章)、そしてフィルムカメラ時代の意匠の記憶(第8章)を持っていた。ミラーレスの小型化競争に乗り遅れた数年は、これらの自社資産をどう一台に束ねるかを練る時間でもあった。

第三に、そして最も本質的な点——富士は「他社と同じ土俵で戦わない」という構えを、この時期に固めた。LUMIXやPEN、NEXが「小さい・軽い・高画質」を競い合うなか、富士が出したX100は「撮る道具としての佇まいと体験」を問うものだった。台数では勝てないと悟ったとき、富士はスペックの数値ではなく、所有する喜びと撮影体験そのものへ舵を切った。これは前章で見た「量で戦わない」という覚悟の、具体的な第一歩だったといえる。
ミラーレス勃興期、富士は新大陸の地図には載っていなかった。だがそれは、まだ船を出していなかったからではない。誰も向かわなかった方角へ、独りで漕ぎ出す準備をしていたからだ。その船の名は、X100。次章で、いよいよその衝撃に踏み込む。
出典・参考
- Wikipedia「マイクロフォーサーズシステム」 https://ja.wikipedia.org/wiki/マイクロフォーサーズシステム
- OM SYSTEM「OM-D E-M1X 開発者が語る、誕生のストーリー」(フォーサーズ規格の狙い) https://jp.omsystem.com/product/dslr/om-omd/omd/em1x/interview/01.html
- デジカメ Watch「オールドデジカメの凱旋:パナソニックLUMIX DMC-G1(2008年)」 https://dc.watch.impress.co.jp/docs/review/oldcamera/626010.html
- オリンパス ニュースリリース「世界最小・最軽量のレンズ交換式デジタルカメラ『オリンパス・ペン E-P1』を発売」 https://www.olympus.co.jp/jp/news/2009a/nr090616ep1j.html
- デジカメ Watch「デジタルカメラニュースの20年を振り返る/第7回(2010年)」(NEX登場・ミラーレス3割) https://dc.watch.impress.co.jp/docs/column/20th/1623573.html
- Wikipedia(英語)「Sony E-mount」(Eマウントのフランジバック・内径) https://en.wikipedia.org/wiki/Sony_E-mount
- Wikipedia(英語)「FinePix S5 Pro」 https://en.wikipedia.org/wiki/FinePix_S5_Pro
- デジカメ Watch「写真で見る 富士フイルム『FinePix S5 Pro』」(D200ベース・Fマウント) https://dc.watch.impress.co.jp/cda/review/2007/01/26/5430.html
- note・miyachi「FinePix X100という思い出を記録してきたカメラ」(X100前後の富士フイルムの状況) https://note.com/miyachi0730/n/n9b2675df02f6
- Photo Rumors「The Photokina 2010 winner so far: Fujifilm FinePix X100」 https://photorumors.com/2010/09/20/the-photokina-2010-winner-so-far-fujifilm-finepix-x100/
- デジカメ Watch「富士フイルム、APS-Cセンサー搭載の『FinePix X100』を国内発表」 https://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/425658.html
編集注:本章では、マイクロフォーサーズによるミラーレス誕生から、PEN・NEXによる勃興、そして自社システムを持たなかった富士の立ち位置と、X100という「待ち」の一手までをたどった。ここで第Ⅲ部は幕を閉じ、いよいよ第Ⅳ部「Xマウント誕生——転換点」に入る。次章「12|X100の衝撃」では、レトロ意匠とハイブリッドビューファインダーが何を変えたのか、そしてなぜこの一台がXシリーズの原点となったのかを、正面から描く。

