半導体登場以前のセンサーたち

イメージセンサー・クロニクル (2)

カメラのイメージセンサーは半導体でできている。だが「何かを感じ取り、それを人間が読める信号に変える」という仕組みそのものは、半導体が生まれるよりはるか昔から存在した。水銀の膨張で気温を示す温度計、空気の重さで天気を占う気圧計、光を浴びると性質が変わる鉱物、そして光を化学変化として定着させる写真。これらはいずれも、世界のある物理量を人間が扱える別の量へ翻訳する装置であり、その意味で立派なセンサーである。

本章では、半導体登場以前のセンサーたちをたどる。古典的な物理量の計測から始め、やがて「光を電気に変える」という決定的な発見にたどり着く。この流れを押さえておくと、後の章で登場するイメージセンサーが、突然の発明ではなく長い系譜の到達点であることが見えてくる。

目次

物理量を捉える古典的な仕組み(温度計・気圧計)

もっとも古いセンサーの一群は、物質が持つ素直な性質を利用していた。温度が上がれば多くの物質は膨張する。ガリレオ・ガリレイやその周辺の人々が17世紀初めに試みた温度計は、この熱膨張を目に見える液柱の高さに置き換える仕掛けだった。のちにガブリエル・ファーレンハイトが水銀を用いた温度計を作り、目盛りを定めたことで、温度という感覚的なものが数値として共有できるようになった。

気圧計も同じ発想の産物である。1643年、エヴァンジェリスタ・トリチェリはガラス管に満たした水銀が大気の重さと釣り合う高さで止まることを示した。空気には重さがあり、その重さは刻々と変化する。目に見えない大気の圧力を、水銀柱という見える量に翻訳したのが気圧計だった。天気の移り変わりが気圧の上下と結びつくことがわかると、気圧計は航海や気象観測に欠かせない道具になった。

物質の性質を電気の変化として取り出す試みは、19世紀の後半にはすでに始まっていた。アメリカの天文学者サミュエル・ピアポント・ラングレーが1878年に発明し、1881年に「ボロメーターと放射エネルギー」として報告したボロメーターがその代表である。金属の電気抵抗が温度によって変わる性質を利用し、二枚の細い金属片をホイートストンブリッジに組み込むことで、放射熱によるごくわずかな温度変化を電気的に捉えた。その感度は驚くべきもので、当時の紹介記事は次のように評している。

AN instrument a thousand times more sensitive to radiant heat than the thermopile, and capable of indicating a change of temperature as minute as 1-100,000th of a single Centigrade degree, deserves the attention of the physicist.

(訳:熱電堆の千倍も放射熱に敏感で、摂氏1度の10万分の1というごくわずかな温度変化をも示すことができる装置は、物理学者の注目に値する。)

ボロメーターは、温度という物理量を金属の抵抗変化を経て電気信号へと変えた点で、目盛りを人間が読む温度計から一歩先へ進んでいた。この赤外線を捉える発想は、のちのサーモグラフィや熱型センサーの源流にもなる。

これらに共通するのは、検知する物理量を、物質の性質を介して別の量へ翻訳するという構造である。温度計や気圧計では最終的に値を読むのは人間の目だったが、ボロメーターはすでに温度を電気の変化として取り出していた。残る大きな課題は、光そのものを電気に変えることである。この課題に答えたのが、次に述べるセレンの物語だった。

光に反応する物質:セレン光電池と光導電

転機は海底ケーブルの現場から訪れた。イギリスの電気技術者ウィロビー・スミスは、大西洋を越える海底電信ケーブルの敷設と試験に携わっていた。陸上局で使う高抵抗の材料を探していた彼は、抵抗が非常に高い物質として知られていたセレンの棒を試した。ところが、その抵抗値が場面によって不安定に変わることに気づく。原因を突き止めると、光が当たると抵抗が下がるという、それまで知られていなかった性質だった。

1873年2月4日、スミスはこの発見を同僚ラティマー・クラークへの手紙にまとめ、それは同月20日発行の学術誌『ネイチャー』に「電流通過中のセレンにおける光の作用」として掲載された。手紙は次のように始まる。

Being desirous of obtaining a more suitable high resistance for use at the Shore Station in connection with my system of testing and signalling during the submersion of long submarine cables, I was induced to experiment with bars of selenium – a known metal of very high resistance.

(訳:長い海底ケーブルの敷設中に用いる、私の試験および信号送出の方式に適した高抵抗体を陸上局で得たいと考え、私は非常に高い抵抗を持つ物質として知られるセレンの棒で実験することにした。)

スミスが見つけたのは、光導電と呼ばれる現象である。ある種の物質は、光を浴びると電気を通しやすくなる。光という物理量が、抵抗という電気的な量に直接姿を変えるのだ。人間の目を介さず、光そのものが電気の変化を生む。この一点において、セレンは温度計や気圧計とは決定的に違う、新しい世代のセンサー材料だった。

この発見は連鎖を生んだ。1876年、ウィリアム・グリルス・アダムズと弟子のリチャード・エヴァンズ・デイは、セレンに光を当てると電流そのものが生まれることを示した。抵抗が変わるだけでなく、光が起電力を作る。そして1883年、アメリカの発明家チャールズ・フリッツは、セレンの薄板に極めて薄い金の層をかぶせ、世界で最初期の固体太陽電池を作り上げた。フリッツはその電池が生む電流を、連続的で、一定で、かなりの強さを持つ(continuous, constant, and of considerable force)ものだと報告している。変換効率はおよそ1パーセントにすぎなかったが、光を電気に変える装置が現実に動いたことの意義は大きい。

セレンをめぐる発見は、二つの巨大な流れの源になった。一つは光を電力に変える太陽電池であり、実用的なシリコン太陽電池は1954年にベル研究所で登場する。もう一つは光を映像信号に変える撮像であり、これがのちのテレビやイメージセンサーへとつながっていく。半導体という言葉がまだ確立していない時代に、セレンはすでに「光を電気で捉える」という営みの入り口を開いていた。

化学式センサーとしての写真

光を電気に変える道とは別に、光を化学変化として記録する道も、19世紀に大きく花開いた。写真である。

銀の化合物、とりわけハロゲン化銀は、光が当たると分解して銀の微粒子を生じる。この感光性を利用し、光の像を物質の変化として定着させたのが写真だった。フランスのルイ・ダゲールは1839年に銀メッキした銅板を用いるダゲレオタイプを公表し、鮮明な一枚画を得た。ほぼ同時期、イギリスのウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットは、紙を感光させて像を得る方式を確立した。

タルボットは1839年1月31日、王立協会で「フォトジェニック・ドローイングの技法」と題した報告を行った。彼はレースや植物の葉のような平たいものを感光紙に密着させ、その影を記録することから始めた。カメラを使った屋外撮影にも早くから挑み、レイコック・アビーの敷地に小型のカメラを並べて風景を写している。妻がねずみ捕りと呼んだその小さな箱が捉えた像について、タルボットはこう記した。

without great stretch of the imagination might be supposed to be the work of some Lilliputian artist.

(訳:たいして想像を働かせずとも、どこかの小人の画家の手になるものと思えるほどだった。)

タルボットの方式が決定的だったのは、光を通す濃淡の反転像、すなわちネガを一度作り、そこから何枚でも紙焼き(ポジ)を作れる点にある。この陰画から陽画へという原理は、その後の写真、映画、印刷の土台になった。

写真を本連載の文脈で見ると、それは化学式のセンサーだと言える。入力は光、出力は銀粒子の濃淡という物質的な記録である。電気信号は生まないが、光の像を空間的な分布として捉え、保存するという点で、のちのイメージセンサーと同じ問題を解いていた。実際、デジタルカメラのセンサーが行う仕事は、この銀塩フィルムの役割を電子的に置き換えたものだと言ってよい。光を面で受け止め、その強弱を場所ごとに記録する。方式が化学から半導体へ移っても、目的は一貫している。

生活の中の古いセンサー(サーモスタット・火災報知・露出計)

研究室の外に目を移すと、半導体以前のセンサーは、すでに人々の暮らしの中で働いていた。

代表がサーモスタット、すなわち自動温度調節器である。原理の核にあるのは、熱膨張率の異なる二種類の金属を貼り合わせたバイメタルだ。温度が上がると両金属の伸び方の差で板がたわみ、その動きで電気接点を開閉する。温度という物理量を、機械的な変位を経て電気のオン・オフに変える仕組みである。温度を保つという発想自体は古く、17世紀のオランダでコルネリウス・ドレベルが孵卵器の温度を一定に保つ調節器を作ったと伝えられる。19世紀に入るとバイメタルを用いた調節器が現れる。1883年、ウィスコンシン州の師範学校(ホワイトウォーター校、現ウィスコンシン大学ホワイトウォーター校)で教授を務めていたウォーレン・ジョンソンは、寒暑の激しい教室を一定の温度に保つために「電気式テレサーモスコープ」の特許を取得した。密閉されたバイメタルの自由端が温度に応じて動き、水銀だまりに出入りすることで電気回路を開閉し、地下の炊き口のダンパーを制御する。これが電気式室内サーモスタットの原型となった。その二年後の1885年には、アルバート・バッツが炊き口のダンパーを自動で開閉する炊き口調節器(ダンパー・フラッパー)を考案して特許を出願し、翌1886年に特許が成立した。バッツはこの発明をもとに、のちのハネウェルへとつながる企業を起こしている。今日の家庭に普及したダイヤル式室温調節器、たとえば1953年に登場したハネウェルの円形サーモスタットは、この系譜の到達点の一つである。

火災報知の仕組みも、身近なセンサーの一例だ。熱で膨張する金属や、一定の温度で溶ける合金を使えば、火災による急な温度上昇を機械的な動作に変えて警報を鳴らせる。19世紀半ばには電信技術を応用した都市の火災報知網が現れ、熱や煙という危険の兆候を、離れた場所へ伝わる電気信号へ翻訳するようになった。ここでも、物理量を電気に変えるというセンサーの本質は変わらない。

そして写真愛好家にとってもっとも縁が深いのが、露出計である。前に述べたセレンの光電池は、光を浴びるだけで電流を生む。この性質を利用すれば、電池を使わずに光の強さを針の振れで示す露出計が作れる。セレン光電池式の露出計はカメラに内蔵され、あるいは単体の測光器として、1960年代まで広く使われた。撮影者が光を測るその小さな窓の奥で、19世紀のセレンの発見が静かに働いていたのである。のちに感度と応答性に優れる硫化カドミウム(CdS)素子やシリコンフォトダイオードへと主役は移るが、光を電気で測るという道筋は変わらなかった。

本章で扱う「世界の潮流」

半導体以前のセンサーを並べてみると、一つの大きな流れが浮かび上がる。人間の感覚や目視に頼っていた計測が、少しずつ物質そのものに肩代わりされ、最終的に電気信号として外へ取り出せるようになっていく流れである。

温度計や気圧計は、物理量を目に見える量に翻訳したが、値を読むのは依然として人間だった。写真は、光の像を人手を介さず物質の変化として記録する段階へ進んだ。そしてセレンの光導電と光起電力の発見は、光をそのまま電気の変化へと変える最後の一歩を用意した。物質が世界を感じ取り、その結果を電気で語る。この構図こそ、のちのイメージセンサーが受け継ぐ発想の骨格である。

日本ではこの時代のセンサー史が、写真や無線の歴史の断片として語られることはあっても、一本の系譜として意識されることは少ない。しかし世界の技術史の視点では、19世紀のセレンをめぐる発見が、太陽電池とテレビという二つの巨大な産業の共通の源流として明確に位置づけられている。光を電気に変えるという小さな驚きが、やがてエネルギーと映像の両面から現代を形づくった。この視点を持って次章以降を読むと、半導体の登場が、この長い助走のうえに来た必然の跳躍だったことがわかるはずだ。

次章では、その半導体とは何か、なぜそれが世界を変える材料になったのかを、原理までさかのぼって見ていく。

典拠(出典一覧)


イメージセンサー・クロニクル

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