サムヤン(SAMYANG Optics)——韓国が生んだレンズメーカーの半世紀と、その先

2008年。キヤノンがEOS 5D Mark IIを発売し、デジタル一眼レフで動画撮影という新たな潮流が生まれた年。奇しくもこの年、韓国・馬山の工場から出荷された1本のレンズが、サムヤンの運命を変えることになる。85mm F1.4——サムヤンが自社ブランドで初めて世に問うた、本格的なDSLR用マニュアルフォーカスレンズである。
85mm F1.4——「サム・ツァイス」伝説の始まり
2008年、サムヤンは85mm F1.4 AS IF UMCを発売した。これは、同社にとって単なる新製品発売ではなく、ビジネスモデルの根本的な転換を意味していた。
それまでのサムヤンは、廉価なOEMズームレンズやミラーレンズを他社ブランド向けに供給する「黒子」であった。しかし85mm F1.4は、自社ブランドで、かつ光学性能に自信を持って送り出した製品だった。
このレンズが注目を集めた理由はシンプルだ——価格に対して描写性能が極めて高かったのである。
85mm F1.4というスペックは、キヤノンEF 85mm F1.2L II USMやニコンAF-S 85mm F1.4Gといった純正レンズのテリトリーであり、これらは当時10万円〜20万円台の価格帯であった。一方、サムヤンの85mm F1.4はマニュアルフォーカスながら、3万円前後という破格の価格設定。しかも描写は「価格を考えれば信じられないほど良い」と各国のレビュワーから絶賛された。
イギリスのDigital Photo誌およびPractical Photography誌はこのレンズに「Gear of the Year – Best Budget Lens」を授与。また、同時期に発売された8mm F3.5 Fish-EyeはポーランドのFilm Video Foto誌から受賞するなど、サムヤンの自社ブランド製品は国際的な評価を得始めた。
広角・魚眼への展開
85mm F1.4の成功に勢いを得たサムヤンは、広角域と魚眼レンズに急速にラインナップを拡大していく。
主要製品年表(2008〜2015)
| 年 | 主な製品 | 備考 |
|---|---|---|
| 2008 | 85mm F1.4 AS IF UMC | 自社ブランド初の本格DSLR用レンズ。各誌「ベストバジェットレンズ」受賞 |
| 2009 | 8mm F3.5 Fish-Eye | 対角線魚眼レンズ。天体写真・風景撮影で人気に |
| 2010 | 14mm F2.8 ED AS IF UMC | 超広角レンズ。フルサイズ対応。非球面レンズ・EDレンズ採用 |
| 2011 | 7.5mm F3.5 Fish-Eye | マイクロフォーサーズ用 |
| 2012 | 24mm F1.4 ED AS IF UMC / 8mm F2.8 Fish-Eye | 輸出額3000万ドル突破 |
| 2013 | T/S 24mm F3.5 / 16mm F2.0 / 300mm F6.3 | ティルト・シフトレンズまで自社開発。VIGパートナーズが買収 |
| 2014 | 50mm F1.4 / 10mm F2.8 / 12mm F2.0 | VIP ASIA Awards受賞(50mm T1.5) |
| 2015 | 135mm F2.0 / 100mm F2.8 Macro / XEEN シリーズ発表 | シネレンズブランド「XEEN」立ち上げ。GOOD DESIGN Award受賞 |
特筆すべきは、サムヤンが得意としたのが広角〜超広角域の大口径MFレンズであったという点だ。14mm F2.8、12mm F2.0、10mm F2.8、8mm F3.5 Fish-Eyeといった超広角・魚眼レンズは、天体写真、建築写真、風景写真の愛好家から高い支持を得た。
これらの焦点距離帯は、純正レンズでは高価格帯に位置づけられることが多く、かつマニュアルフォーカスでもさほど不便を感じにくい領域である。サムヤンは、この「純正が高い」「MFでも使いやすい」というニッチを的確に突いたのだ。
VIGパートナーズによる買収と経営改革(2013年)
前章で触れた経営危機を経て、2013年8月にVIGパートナーズ(ボゴファンド)に買収されたサムヤンは、新CEO黄忠賢(ファン・チュンヒョン)の下で大胆な事業再編を行う。
NamuWikiは、この改革について以下のように記している。
「VIGパートナーズに買収された後、黄忠賢がCEOに就任し、OEM生産とCCTVレンズ事業を清算、シネレンズ(XEEN)とAFレンズの開発に注力することで事業再編に成功した」
具体的な施策は以下の通りである。
- OEM生産の清算: 他社ブランド向けの廉価レンズ製造から撤退し、自社ブランドに経営資源を集中
- CCTVレンズ事業の清算: 利益率の低い監視カメラ用レンズから撤退
- R&D投資の大幅拡大: 研究開発投資を増加させ、MFレンズグループを2017年までに15種から40種に拡大
- シネレンズブランド「XEEN」の立ち上げ: プロ映像制作市場への本格参入
- AFレンズの開発: 次世代の成長エンジンとして自動焦点レンズの開発に着手
この改革は、「量より質」「OEMから自社ブランドへ」「スチルからスチル+シネへ」という明確な戦略転換であった。MF専業時代の売上構成(MFレンズ100%)は、2017年には「MFレンズ54%、残りがAFレンズ・シネレンズ」へと大きく変化している。
XEENの衝撃——シネレンズ市場への参入(2015年)
2015年、サムヤンはプロフェッショナル向けシネレンズブランド「XEEN」を立ち上げる。
映像制作の世界において、シネレンズは「統一された鏡筒サイズ」「正確なフォーカスギア」「デクリック絞り」「T値(実効F値)表記」「最小限のフォーカスブリージング」といった特殊な要件を求められる。これらの要件を満たすレンズは、キヤノンのCNシネマシリーズ、ソニーのCineAltaシリーズ、ツァイスのCP.2シリーズなど、いずれも数十万円〜100万円超の価格帯であった。
XEENは、14mm T3.1から135mm T2.2まで8本のラインナップを揃え、価格帯は10〜20万円台と、既存のシネレンズ市場に対して大幅に低い価格で参入した。プロダクションバリューの高い映像を撮りたいインディペンデント・フィルムメーカーや、DSLR・ミラーレスで動画撮影を行うクリエイターにとって、XEENは画期的な選択肢であった。
2015年にはGOOD DESIGN Awardを受賞。その後も2016年のXP 85mmがePHOTOzine「Gear of the Year」に選ばれるなど、サムヤンの製品は国際的な賞を次々と獲得していく。
プレミアムMFレンズ「XPシリーズ」
2016年以降、サムヤンは「XP(eXtreme Performance)」シリーズという新たなプレミアムラインを展開する。
- XP 85mm F1.2(2016年)
- XP 14mm F2.4(2016年/2017年)
- XP 35mm F1.2(2018年)
- XP 50mm F1.2
- XP 10mm F3.5(2019年)
XPシリーズは、5000万画素以上の高画素センサーに対応する解像性能を目指した設計で、従来のサムヤン製品よりも高価格帯に位置づけられている。特にXP 85mm F1.2はePHOTOzine「Gear of the Year 2016」を受賞し、サムヤンが「安かろう」のイメージから脱却しつつあることを示した。
新工場建設と「世界300大企業」認定
2016年1月、サムヤンは馬山に新生産工場を建設し、老朽化した旧工場を改修した。これは生産能力の拡大だけでなく、品質管理体制の強化を意味していた。
同年、サムスン電子がカメラ市場から撤退。NXシリーズの生産終了により、サムヤンオプティクスは韓国で唯一の交換レンズの設計・製造が可能な企業となった。この事実は、韓国の光学産業にとって象徴的な出来事であった。
2017年には、韓国政府から「世界300大企業(World Class 300 Enterprise)」に認定される。これは、グローバル市場で競争力を持つ韓国の中堅企業に与えられる称号であり、同年にはKOSDAQ(韓国店頭市場)への上場も果たしている。iF Design Awardの受賞もこの年であった。
この時代のサムヤンを振り返って
2008年から2015年は、サムヤンにとって「第二の創業」とも言える時期であった。
85mm F1.4という1本のレンズから始まった自社ブランド戦略は、魚眼、超広角、ティルト・シフト、マクロ、シネレンズと、驚くべき速度でラインナップを拡大していった。VIGパートナーズによる買収と黄忠賢CEOの経営改革は、OEMの黒子から自社ブランドのレンズメーカーへという変革を加速させた。
しかし、このすべてはマニュアルフォーカスレンズの物語である。デジタルカメラがミラーレスへと移行し、オートフォーカスが当然のものとなっていく中で、サムヤンはMFレンズだけで生き残り続けることはできなかった。次なる進化——AFレンズへの参入——は、次章で詳述する。
サムヤン(SAMYANG Optics)——韓国が生んだレンズメーカーの半世紀と、その先
- サムヤン(SAMYANG)・ロキノン(Rokinon)とは何か
- デジタル一眼レフ以前のサムヤン——OEMとミラーレンズの時代(1972〜2007)
- デジタル一眼レフ時代のサムヤン——高品質MFレンズへの転身(2008〜2015)
- ミラーレス時代のサムヤンとAFレンズへの参入(2016〜現在)
- 中華レンズとの競合——サムヤンが切り拓いた道と新たな挑戦者たち
- 欧米市場におけるサムヤンのプレゼンス——ロキノン、バウアー、そしてLKサムヤンへ
- なぜ韓国にはカメラ関連企業が少ないのか
典拠
- LK Samyang 公式ウェブサイト — History(https://www.lksamyang.com/en/about/history.php)
- Wikipedia — “LK Samyang”(https://en.wikipedia.org/wiki/LK_Samyang)
- NamuWiki — “LK삼양”(https://en.namu.wiki/w/LK삼양)
- ePHOTOzine — “A Golden Anniversary – 50 Years Of Samyang”(https://www.ephotozine.com/article/a-golden-anniversary—50-years-of-samyang-36151)
- PetaPixel — “A Guide to Third-Party Chinese Lens Brands”(https://petapixel.com/chinese-lens-brands/)
- LensTip.com — Samyang AF 50 mm f/1.4 FE II Review(https://www.lenstip.com/653.0-Lens_review-Samyang_AF_50_mm_f_1.4_FE_II_.html)
- 매일경제(毎日経済)— “Samsung Electronics, which was leading the K-optical industry”(https://www.mk.co.kr/en/business/11181079)


