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写真伝来——カメラと三脚が中国に渡った時代(〜1949) | 中華三脚クロニクル(1)

三脚
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中華三脚クロニクル THE COMPLETE SERIES — Vol.01

かつて「安かろう悪かろう」の代名詞だった中国製三脚は、いまやプロフェッショナルの撮影現場を支える存在になった。Benro、Sirui、Leofoto——これらの名前を聞いて、もはや「中華三脚」という言葉に安物のイメージを重ねる人は少ないだろう。

しかし、ここに至るまでの道のりは長い。

20世紀初頭、中国にカメラが持ち込まれた時代から、国有工場が計画経済のもとで光学機器を製造した時代、改革開放による外資導入とOEM受注の幕開け、そして2000年代以降の民間ブランドの勃興と世界市場への進出——中国の三脚産業は、中国近現代史そのものと深く結びついている。

本連載では、時代区分を軸に、中国カメラ用三脚産業の通史を5回にわたって辿る。


三脚の歴史を語るとき、多くの人はドイツやイタリア、あるいは日本のメーカーを思い浮かべるだろう。Gitzo、Manfrotto、SLIK、Velbon——こうした名前が「三脚の歴史」と聞いて浮かぶのは自然なことである。

しかし現在、世界で販売されるカメラ用三脚の大半は中国で製造されている。その産業がどこから始まったのかを知る人は、意外なほど少ない。

本記事では、写真術が中国に伝来した19世紀半ばから中華人民共和国の建国(1949年)までの期間を扱い、中国における写真機材——とりわけ三脚——の前史を辿る。


写真術の中国伝来——アヘン戦争と開港がもたらしたもの

写真術が中国に伝わった時期は、1839年のダゲレオタイプ(銀板写真)発明からわずか数年後のことである。

1842年のアヘン戦争終結と南京条約の締結によって、広州・廈門・福州・寧波・上海の五港が開港された。これらの開港場に西洋人の商人・宣教師・外交官が流入し、彼らとともに写真術と写真機材が中国に持ち込まれた。

最初期に中国で写真を撮影した西洋人として記録が残るのは、1844年に広州・マカオで活動したフランスの税関職員ジュール・イティエ(Jules Itier)である。イティエはダゲレオタイプ・カメラを携えており、中国における最古の写真のいくつかを撮影した人物として知られる。

この時期のカメラは、いずれも大型のボックスカメラであり、三脚なしには撮影が不可能だった。イティエをはじめとする初期の写真家たちが使用した三脚は、いずれもヨーロッパから持ち込まれた木製三脚である。中国国内で三脚が製造された記録は、この時期にはまだ存在しない。


19世紀後半——写真館の時代と「舶来品」としての三脚

1850年代から1860年代にかけて、上海・香港・広州を中心に写真館(照相館)が開業しはじめた。

上海では1850年代に外国人写真家が租界内に写真館を構え、やがて中国人写真家もこれに続いた。中国人による写真館として早い時期に記録があるのは、香港の**賴阿芳(Lai Afong)**である。1859年頃に写真術を習得したとされる賴阿芳は、1870年には香港で写真館(Afong Studio)を開業し、湿板写真の技法に習熟した風景写真やポートレートで高い評価を受けた。

この時代の写真撮影には、必ず大型のフィールドカメラと木製三脚が必要だった。湿板コロジオン法では、露光時間が数秒から数十秒に及ぶため、カメラを安定させる三脚は撮影の必須機材であった。

しかし、これらの三脚は例外なく舶来品(輸入品)だった。ヨーロッパやアメリカで製造された木製三脚が、カメラ本体や暗室用品とともに中国に輸入されていた。当時の中国には、精密機械産業の基盤がなく、写真機材を国内で製造する技術も需要もまだ存在しなかった。


20世紀初頭——清末・民国期の写真文化と機材事情

清朝末期の写真受容

20世紀に入ると、写真は徐々に中国社会に浸透していった。

清朝の宮廷では、西太后(慈禧太后)が写真に強い関心を持ったことが知られている。1903年頃から宮廷内で撮影が盛んに行われ、西太后の公式肖像写真が各国公使に配布された。宮廷写真師の裕勛齢(Yu Xunling)がこの撮影を担当した。

宮廷で使用された機材は、すべてヨーロッパからの輸入品だった。大判カメラ、木製三脚、ガラス乾板——いずれも舶来品であり、「三脚を中国国内で製造する」という発想自体が、この時代にはまだ生まれていなかった。

民国期(1912-1949)——上海の写真機材商

1912年の中華民国成立以降、上海は中国における写真文化の中心地となった。

上海の南京路や四馬路(現在の福州路)周辺には、写真機材を扱う商店が集まっていた。これらの店舗は主にドイツ、イギリス、アメリカ、日本から写真機材を輸入し販売していた。カメラ本体だけでなく、三脚、引伸機、暗室用品なども輸入品が中心であった。

1920年代から1930年代にかけて、上海では冠龍照相器材行(のちの冠龍照相器材股份有限公司)をはじめとする写真機材商が台頭した。冠龍は1931年に周東綏によって創業され、南京路445号に開設された「冠龍照相材料行」は、中国人による最初の照相器材会社である。中華人民共和国建国後も国有企業として存続し、のちの中国写真機材産業の礎のひとつとなる存在である。

ただし、この時期の機材商の主要業務はあくまで輸入・販売であり、三脚の国内製造には至っていない。

日中戦争期(1937-1945)の影響

1937年の日中戦争勃発は、中国の写真機材市場にも大きな影響を与えた。

上海の租界を除く多くの地域が戦火に見舞われ、ヨーロッパからの輸入ルートも第二次世界大戦の勃発(1939年)によって途絶した。代わって日本製の写真機材が一部流通するようになったが、全体としては機材の供給が大幅に縮小した時期である。

一方、中国共産党の根拠地(延安など)では、プロパガンダ写真の需要が高まっていた。限られた機材を修繕しながら使い続ける必要があり、簡易な撮影台や三脚の自作が行われたとする証言はあるが、組織的な製造活動とは言えない。


この時代の三脚——なぜ「中国製三脚」は存在しなかったのか

20世紀前半の中国において、カメラ用三脚が国内で製造されなかった理由は、主に3つに集約できる。

1. 精密機械産業の不在

三脚の製造には、金属加工(アルミニウムや真鍮の旋盤加工)、ネジの精密加工、塗装・表面処理といった精密機械産業の基盤が必要である。19世紀末から20世紀前半の中国には、こうした産業基盤がまだ十分に発達していなかった。

上海や天津には近代的な工場が一部存在したものの、兵器工廠や紡績工場が中心であり、光学・写真機器の製造に必要な精密加工技術は育っていなかった。

2. 市場規模の小ささ

写真術を使用していたのは、一部の富裕層・知識人・外国人居留者に限られていた。写真館が都市部に存在したとはいえ、写真機材の消費市場は極めて小さく、国内製造を採算に乗せるほどの需要がなかった。

3. 政治的混乱の連続

清朝の崩壊(1911年)、軍閥割拠、日中戦争(1937-1945年)、国共内戦(1946-1949年)と、この時期の中国は政治的・軍事的混乱が続いた。安定した産業政策のもとで新しい製造業を育成する余裕はなかったのである。


建国前夜——1949年の時点での状況

1949年10月1日、毛沢東が天安門で中華人民共和国の建国を宣言したとき、中国国内にカメラ用三脚を製造する工場は存在しなかった。

写真機材は依然として輸入品に依存しており、上海の冠龍照相器材行のような機材商が在庫を販売している状況であった。一部の修理工房がカメラや付属品の修繕を行っていたが、三脚を系統的に設計・製造する能力は国内に存在しなかった。

しかし、建国とともに状況は一変する。

新中国は「自力更生」のスローガンのもと、あらゆる工業製品の国産化を推進した。ソ連の技術支援を受けながら、各省に国有の精密機械工場・光学機器工場が建設されていく。写真機材——カメラ本体、レンズ、そして三脚——もまた、この国産化の波に乗ることになるのだ。

次回【第2回】では、1949年から1978年の改革開放までの約30年間、計画経済のもとで国有工場が三脚製造に取り組んだ時代を追う。


中華三脚クロニクル THE COMPLETE SERIES

  1. 写真伝来——カメラと三脚が中国に渡った時代(〜1949)
  2. 国有工場の時代——計画経済下の光学機器産業(1949-1978)
  3. 改革開放とOEM——広東省に三脚工場が集まるまで(1978-1999)
  4. 民間ブランドの勃興——Benro・Sirui・Fotoproの台頭(2000-2009)
  5. 世界シェア獲得と高級化——「中華三脚」の再定義(2010-現在)

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参考・典拠一覧

  1. Terry BennettHistory of Photography in China: Western Photographers 1861–1879(London: Quaritch, 2010)。19世紀の中国における西洋人写真家の活動を網羅した一次資料集。 https://www.quaritch.com/books/bennett-terry/history-of-photography-in-china/U51/
  2. Terry BennettHistory of Photography in China: Chinese Photographers 1844–1879(London: Quaritch, 2013)。中国人写真家の活動に関する一次資料集。 https://www.quaritch.com/books/bennett-terry/history-of-photography-in-china/U51/
  3. Régine ThiriezBarbarian Lens: Western Photographers of the Qianlong Emperor’s European Palaces(London: Routledge, 1998)。清朝宮廷における西洋人写真家の活動を扱う。 https://www.routledge.com/Barbarian-Lens-Western-Photographers-of-the-Qianlong-Emperors-European-Palaces/Thiriez/p/book/9781138002234
  4. Claire RobertsPhotography and China(London: Reaktion Books, 2013)。中国における写真文化の通史。 https://reaktionbooks.co.uk/work/photography-and-china
  5. Oliver MoorePhotography in China(Oxford History of Art series, Oxford University Press)。中国写真史の概説。
  6. Jeffrey W. Cody & Frances Terpak 編 — Brush and Shutter: Early Photography in China(Getty Research Institute, 2011)。初期中国写真の展覧会カタログ。 https://www.getty.edu/research/exhibitions_events/exhibitions/brush_shutter/index.html
  7. Wu HungZooming In: Histories of Photography in China(Reaktion Books, 2016)。中国写真史の学術的研究。 https://reaktionbooks.co.uk/work/zooming-in
  8. 上海市地方志弁公室 編 — 『上海照相器材工業志』。上海における写真機材産業の地方志資料。 https://www.shanghai.gov.cn/difangzhi/
  9. Jules Itier のダゲレオタイプ写真については、Musée Français de la Photographie(フランス写真博物館)の所蔵資料に基づく。 https://www.museedelaphoto.fr/
  10. 賴阿芳(Lai Afong) については、Historical Photographs of China(University of Bristol)の研究データベースを参照。 https://hpcbristol.net/photographer/lai-fong-afong-studio
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