中華三脚クロニクル THE COMPLETE SERIES — Vol.03

かつて「安かろう悪かろう」の代名詞だった中国製三脚は、いまやプロフェッショナルの撮影現場を支える存在になった。Benro、Sirui、Leofoto——これらの名前を聞いて、もはや「中華三脚」という言葉に安物のイメージを重ねる人は少ないだろう。
しかし、ここに至るまでの道のりは長い。
20世紀初頭、中国にカメラが持ち込まれた時代から、国有工場が計画経済のもとで光学機器を製造した時代、改革開放による外資導入とOEM受注の幕開け、そして2000年代以降の民間ブランドの勃興と世界市場への進出——中国の三脚産業は、中国近現代史そのものと深く結びついている。
本連載では、時代区分を軸に、中国カメラ用三脚産業の通史を5回にわたって辿る。
1978年、改革開放が始まった。
この政策転換が中国にもたらした変化は、あらゆる産業に及んだ。三脚産業にとっては、それまでの「国有工場が計画に基づいて作る」時代から、「市場が求めるものを、利益を求めて作る」時代への転換である。
とはいえ、改革開放の初日から中国製三脚が世界に輸出されたわけではない。1978年から1999年までの約20年間は、外資の導入、経済特区の設置、OEM(相手先ブランド製造)受注の開始、そして広東省珠江デルタへの産業集積という、長い「助走」の時代だった。
本記事では、この助走期間を4つの局面に分けて辿る。
第1局面:経済特区と外資導入(1978-1985)
深圳・珠海・汕頭・廈門——四つの経済特区
1980年、中国政府は深圳・珠海・汕頭(広東省)および廈門(福建省)の4都市を経済特区に指定した。外国企業に対する税制優遇、土地使用権の長期貸与、輸出入手続きの簡素化などの措置が設けられ、外資を積極的に誘致する政策が開始された。
この時点では、三脚産業に直接的な外資が入ったわけではない。しかし経済特区の設置は、のちに広東省全域の製造業が爆発的に発展する基盤を作った。
香港資本の流入と「来料加工」
改革開放初期に広東省に最も早く流入した外資は、香港資本である。
広東省と香港は地理的・言語的に近く(広東語圏)、香港の製造業者が広東省に工場を設立する「来料加工」(原材料を持ち込み、加工して持ち出す委託加工方式)が急速に広まった。
1980年代前半の来料加工は、繊維・衣料品・プラスチック製品・玩具が中心であり、精密機械やカメラ用品はまだ対象外だった。しかし、この時期に広東省で形成された製造業のエコシステム——安価な労働力、行政の柔軟な対応、港湾へのアクセス——が、のちの三脚産業集積の前提条件となった。
国有カメラ工場の苦境
一方、上海・天津・北京など内陸部の国有カメラ工場は、改革開放によって逆に苦境に立たされた。
市場が開放されたことで、日本製カメラ(Canon、Nikon、Minolta、Pentax等)が中国市場に流入し始めたのである。品質・性能で圧倒的に劣る国産カメラ(海鷗、鳳凰など)は、徐々に市場シェアを失っていった。
三脚も同様だった。日本のSLIK、Velbon、そしてイタリアのManfrottoが香港経由で中国市場に入り始め、国有工場製の簡素な三脚は比較対象にすらならなかった。
第2局面:OEMの幕開け——日本・台湾メーカーの委託生産(1985-1992)
日本メーカーの「中国生産」への関心
1985年のプラザ合意は、日本円の急激な高騰をもたらした。
1ドル=240円前後だった為替レートが、1986年には150円前後にまで急騰し、1988年には120円台に到達した。これは日本の製造業全体にとって輸出競争力の深刻な低下を意味し、生産拠点の海外移転が急務となった。
三脚産業も例外ではなかった。SLIK(スリック)とVelbon(ベルボン)は、ともに日本国内で三脚を製造していたが、円高の影響で輸出価格が上昇し、欧米市場での価格競争力が低下していた。
1980年代後半から1990年代初頭にかけて、日本の三脚メーカーは中国・台湾の工場に生産の一部を委託し始めた。これが、中国における三脚OEM産業の始まりである。
台湾企業の役割——「仲介者」としてのポジション
中国大陸への三脚OEMの流れにおいて、台湾企業が重要な仲介的役割を果たした。
1980年代後半、台湾にはすでにアルミニウム加工を得意とする中小製造業者が多数存在していた。台湾メーカーが日本や欧米のブランドからOEM受注を獲得し、さらにその生産の一部を人件費の安い中国大陸に再委託する、という多層的な構造が形成されたのだ。
台湾の三脚関連企業としては、OEM専門の金属加工業者が複数挙げられる。彼らは1990年代に入ると、広東省(特に中山市・東莞市・深圳市)に自社工場または合弁工場を設立していった。なお、のちに中国発の三脚ブランドとして知られるFotopro(富図宝)は、2004年に広東省中山市で設立された企業であり、台湾企業ではなく中国本土の企業である。
広東省中山市——なぜここに三脚工場が集まったのか
中国の三脚産業を語る上で避けて通れないのが、広東省中山市という地名である。
現在、世界の三脚生産の相当部分が中山市およびその周辺地域に集中している。Benro(百諾)、Sirui(思鋭)、Leofoto(徠図)といった現代の主要ブランドの本社・工場が、いずれもこの地域に位置している。
なぜ中山市だったのか。その理由は複合的だが、主に以下の要因が指摘できる。
1. 地理的条件
中山市は珠江デルタの中心部に位置し、広州・深圳・珠海・香港・マカオのいずれにもアクセスが良い。港湾施設への距離が近く、輸出に適した立地である。
2. 金属加工産業の集積
中山市は改革開放以前から五金(金属加工)産業が盛んな土地であった。ドアノブ、鍵、照明器具など、アルミニウムや亜鉛合金を扱う中小企業が多数存在していた。三脚の製造に必要なアルミニウムの旋盤加工・CNC加工・アルマイト処理(陽極酸化処理)の技術基盤が、すでに地域に蓄積されていたのだ。
3. 初期の成功事例と「産業クラスター」効果
ひとたび一社が三脚OEMで成功すると、その周辺に関連企業(部品サプライヤー、表面処理業者、梱包業者)が集まり、産業クラスターが形成される。中山市ではこのクラスター効果が1990年代を通じて加速した。
第3局面:量産体制の確立とコスト競争力(1992-1997)
鄧小平の「南巡講話」(1992年)
1992年1月から2月にかけて、鄧小平は深圳・珠海・上海などを視察し、改革開放の加速を訴える「南巡講話」を行った。
この講話は、1989年の天安門事件以降やや停滞していた改革路線を再び勢いづけるものであり、外資の対中投資が再び急増するきっかけとなった。三脚産業にとっても、この時期から本格的な量産体制の構築が始まる。
OEM受注の拡大——誰のために作っていたのか
1990年代の中国製三脚は、そのほぼ全量が**OEM/ODM(相手先ブランド設計製造)**であり、中国企業が自社ブランドで販売することはまだまれだった。
主な発注元は以下の通りである。
| 発注元の国・地域 | 主なブランド・企業 | 備考 |
|---|---|---|
| 日本 | SLIK、Velbon、Hakuba、エツミ | 普及価格帯モデルの製造委託。高級モデルは日本国内生産を維持 |
| イタリア | Manfrotto(Vitec Group) | 一部モデルの部品製造・組立を委託 |
| ドイツ | 各種販売代理店 | ノーブランドまたは自社ブランドでの輸入販売 |
| アメリカ | 各種量販店(Walmart、Best Buy等)向けサプライヤー | 低価格帯三脚を大量発注 |
| 台湾 | 各種商社・OEM仲介業者 | 日欧米ブランドへの再販売目的で発注 |
製造技術の段階的向上
1990年代を通じて、中国の三脚工場の製造技術は着実に向上した。その過程は、おおむね以下のように段階化できる。
第1段階(1980年代後半-1992年頃):簡素な手作業中心
- アルミパイプの切断・曲げ加工は手動工作機械が中心
- ネジ・ロック機構は既製品を購入して組み込むだけ
- 品質のばらつきが大きく、高級品の受注は困難
第2段階(1992年-1996年頃):半自動化の進展
- CNC旋盤の導入が始まり、脚パイプのロック部品などの精度が向上
- アルマイト処理(陽極酸化処理)の内製化が進む
- 日本や台湾の発注元から技術指導を受ける工場が増加
第3段階(1997年-1999年頃):ODM能力の芽生え
- 一部の先進的な工場が、発注元のブランドのもとで独自設計を行う**ODM(Original Design Manufacturing)**能力を獲得
- 雲台の設計・金型製作を自社で行える工場が出現
- この時期にのちのBenro、Sirui創業者が業界に参入
第4局面:アジア通貨危機とその影響(1997-1999)
通貨危機の余波
1997年7月にタイから始まったアジア通貨危機は、中国の三脚産業にも間接的な影響を与えた。
中国の人民元は事実上のドルペッグ制を維持しており、通貨の急落は免れた。しかし、周辺国(タイ、韓国、インドネシアなど)の通貨下落により、これらの国々からの輸出品が価格競争力を増し、中国の輸出産業は一時的に厳しい競争にさらされた。
三脚産業においては、アジア通貨危機の影響は限定的だった。なぜなら、三脚の主要輸出先は日本・欧米であり、競合する生産国(東南アジア)には三脚の量産拠点がほとんど存在しなかったためだ。
むしろ通貨危機は、台湾の三脚関連企業が中国大陸への生産移転をさらに加速させる契機となった。台湾ドルも影響を受け、台湾国内の生産コスト圧力が高まったためである。
1999年——ブランド前夜
1999年時点で、中国の三脚産業は以下のような状況にあった。
| 項目 | 1978年時点 | 1999年時点 |
|---|---|---|
| 三脚専業メーカー | なし | OEM/ODM専業の民間企業が広東省に数十社 |
| 主な製品 | スタジオ用大型撮影台 | アルミ合金フィールド三脚(3段-4段)、簡易雲台 |
| 材質 | 木製脚部+金属雲台 | アルミ合金が主流。カーボンファイバーはまだ未導入 |
| 技術水準 | ソ連式設計の踏襲 | CNC加工による中品質の量産。ODM能力の萌芽 |
| 主な供給先 | 国営写真館 | 日本・欧米ブランドのOEM/ODM |
| 自社ブランド | なし | ほぼなし(一部の国内向けノーブランド品のみ) |
| 輸出 | なし | OEM/ODM製品として大量に輸出 |
| 産業集積地 | 上海(国有工場) | 広東省中山市・東莞市・深圳市 |
OEM/ODMの経験を通じて、中国の三脚工場は製造技術だけでなく、品質管理、コスト管理、納期管理のノウハウを蓄積していった。海外ブランドの厳格な品質基準に対応するために、検品体制や製造工程管理を整備せざるを得なかったのだ。
しかし1999年時点で、中国の三脚工場は依然として「他社のブランドのために作る工場」であり、自社ブランドで世界市場に打って出るという発想は、まだほとんど共有されていなかった。
その状況を一変させるのが、2000年代に入ってからの民間ブランドの勃興である。
次回【第4回】では、Benro(百諾)、Sirui(思鋭)、Fotopro(富図宝)をはじめとする中国発三脚ブランドの誕生と、彼らがOEM工場から脱皮してブランドメーカーへと転身していく過程を追う。
中華三脚クロニクル THE COMPLETE SERIES
- 写真伝来——カメラと三脚が中国に渡った時代(〜1949)
- 国有工場の時代——計画経済下の光学機器産業(1949-1978)
- 改革開放とOEM——広東省に三脚工場が集まるまで(1978-1999)
- 民間ブランドの勃興——Benro・Sirui・Fotoproの台頭(2000-2009)
- 世界シェア獲得と高級化——「中華三脚」の再定義(2010-現在)
参考・典拠一覧
- 広東省中山市人民政府 — 各種統計資料。中山市の製造業に関する産業統計・企業数データ。 http://www.zs.gov.cn/
- 中国海関総署(税関総署)— 輸出入統計データベース。光学機器・三脚関連品目の輸出統計。 http://www.customs.gov.cn/
- JETRO(日本貿易振興機構) — 『中国進出企業実態調査』各年版。日系製造業の中国進出動向と現地生産の実態。 https://www.jetro.go.jp/
- 日本写真映像用品工業会(旧・日本写真機工業会)— 『写真用品年鑑』各年版。SLIK・Velbonの生産拠点に関する記述を含む。 https://www.jpvaa.jp/
- Vitec Group plc(現 Videndum plc)— Annual Reports(各年版)。Manfrottoの生産体制・調達戦略に関する開示資料。 https://videndum.com/investors/results-reports-and-presentations/
- World Bank — China 2020: Development Challenges in the New Century(Washington, D.C., 1997)。改革開放後の中国経済成長に関する分析。 https://www.worldbank.org/
- Barry Naughton — The Chinese Economy: Transitions and Growth(MIT Press, 2007)。中国の経済改革と産業発展の包括的研究。 https://mitpress.mit.edu/9780262640640/the-chinese-economy/
- Ezra F. Vogel — Deng Xiaoping and the Transformation of China(Harvard University Press, 2011)。鄧小平と改革開放政策の伝記的研究。 https://www.hup.harvard.edu/books/9780674725867
- 中山市五金製品行業協会 — 業界資料。中山市における金属加工産業の歴史と企業動向。
- 渡邉真理子 編 — 『中国の産業はどのように発展してきたか』(勁草書房、2013年)。広東省を中心とした産業集積のメカニズムを分析した日本語文献。
- プラザ合意と日本製造業の海外移転 については、『通商白書』各年版(経済産業省)を参照。1985年以降の円高と製造業空洞化の議論を含む。 https://www.meti.go.jp/report/tsuhaku/index.html


