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フィルムフォーマット戦争——35mm、120、大判、そして消えた規格たち | フィルム・クロニクル(3)

産業分析
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フィルム・クロニクル(3)

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あなたが手に取るフィルムの「幅」は、偶然の産物ではない。 映画産業の残り物から始まった35mmフィルムが写真の世界標準となるまでには、数十年にわたる規格間の激しい競争——いわば「フォーマット戦争」があった。勝者がいれば敗者もいる。126、110、ディスクフィルム、APS……。華々しく登場しながら歴史の舞台から消えていった規格の物語は、写真産業の栄枯盛衰そのものである。

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  1. 1. フォーマット戦争の構図——なぜ「規格」が乱立したのか
  2. 2. 大判フィルム——写真の「原器」
    1. 2-1. シートフィルムという原点
    2. 2-2. ビューカメラとフィールドカメラ
    3. 2-3. 大判フィルムの現在
  3. 3. 120フィルム——中判写真の「共通言語」
    1. 3-1. ブローニーからプロフェッショナルへ
    2. 3-2. 中判カメラの多様な画面サイズ
    3. 3-3. 220フィルム——倍の長さ、短い命
  4. 4. 135フィルム(35mm)——映画の副産物が世界標準になるまで
    1. 4-1. エジソンの残響
    2. 4-2. ライカの賭け——「ミニチュアフォーマット」の挑戦
    3. 4-3. 135規格の標準化——1934年のKodak Retina
    4. 4-4. 35mmの覇権確立——1960年代後半
  5. 5. Kodakの「簡単さ」戦略——126、110、ディスクフィルム
    1. 5-1. 126フィルム(1963年)——インスタマチックの衝撃
    2. 5-2. 110フィルム(1972年)——ポケットカメラの夢
    3. 5-3. ディスクフィルム(1982年)——Kodakの高価な失敗
  6. 6. APS(Advanced Photo System)——最後のアナログ規格戦争
    1. 6-1. 業界総力戦の夢
    2. 6-2. 「35mmを置き換える」という幻想
    3. 6-3. APSの遺産——「APS-C」という名前
  7. 7. 消えた規格、忘れられた挑戦者たち
    1. 7-1. 828フィルム(1935年)
    2. 7-2. Minoxフィルム(8×11mm)——スパイカメラのフォーマット
    3. 7-3. 616/116フィルム、620フィルム——忘れられたロールフィルム群
  8. 8. フォーマット戦争の勝者と敗者——なぜ35mmが勝ったのか
    1. 8-1. 「十分な画質」×「圧倒的な経済性」
    2. 8-2. エコシステムの厚み
    3. 8-3. 映画産業との共存——スケールメリット
  9. 9. フォーマット戦争の遺産——2020年代の視点から
    1. 9-1. 生き残った三つの規格
    2. 9-2. デジタル時代の「フォーマット戦争」
  10. 10. 結語——規格は死ぬ、しかし写真は残る
  11. 典拠一覧

1. フォーマット戦争の構図——なぜ「規格」が乱立したのか

写真用フィルムの歴史を振り返ると、ひとつの疑問にぶつかる。なぜこれほど多くのフィルム規格が生まれ、そして消えていったのか。

答えは明快である。フィルムフォーマットとは、カメラメーカーにとって「囲い込み」の道具だったからだ。

特定のフィルム規格に対応するカメラを売れば、ユーザーはそのフィルムを買い続けなければならない。カメラ本体を安く売り、フィルムと現像で利益を回収する——第2章で述べたKodakの「ジレットモデル」は、フォーマットの数だけ変奏された。各メーカーは自社の利益を最大化するために独自規格を打ち出し、結果として消費者は規格の洪水に翻弄されることになる。

しかし、フォーマット戦争の原動力はビジネスモデルだけではない。技術的なトレードオフ——すなわち「画質」と「携帯性」の綱引き——が、規格の多様性を必然的に生んだのである。

フィルムの面積が大きければ画質は良い。しかしカメラは大きく、重くなる。フィルムを小さくすればカメラはポケットに入るが、引き伸ばしたときの粒状性(グレイン)が目立つ。この二律背反を、各時代の技術水準でどう解決するかが、新規格誕生の原動力であった。

本章では、写真用フィルムの主要フォーマットを「大判」「中判(120/220)」「小型(135/35mm)」「超小型・特殊規格」に分類し、それぞれの誕生・隆盛・衰退を追う。


2. 大判フィルム——写真の「原器」

2-1. シートフィルムという原点

写真史において最も古いフィルムフォーマットは、大判(ラージフォーマット)のシートフィルムである。4×5インチ(約10×12.5cm)、5×7インチ(約12.5×17.5cm)、8×10インチ(約20×25cm)——これらのサイズは、19世紀のガラス乾板の寸法をそのまま受け継いだものだ。

大判フィルムの画質は圧倒的である。4×5インチのフィルム面積は、35mmフィルム(24×36mm)の約15倍。8×10インチに至っては約60倍にもなる。この面積差は、解像度だけでなくトーンの滑らかさ、ハイライトからシャドーへの階調の豊かさとして直接的に現れる。アンセル・アダムスが8×10のビューカメラでヨセミテの岩肌を撮影したとき、その圧倒的なディテールは大判フィルムの面積があってこそ成立したものだ。

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2-2. ビューカメラとフィールドカメラ

大判フィルムを使うカメラは、基本的にビューカメラ(View Camera)である。前板と後板をベローズ(蛇腹)で繋ぎ、ティルト・シフト・スウィングといったアオリ操作が可能。建築写真では垂直線の歪みを補正し、商品写真ではピント面を自在に制御できる。シャイムフルーフの法則(Scheimpflug Principle)を実践できるのは、大判カメラの特権であった。

しかし、その代償は大きい。8×10のビューカメラは三脚込みで10kgを超えることも珍しくない。1枚撮影するたびにフィルムホルダーを交換し、暗幕を被ってピントグラスを覗く。撮影のテンポは極めて遅い。

2-3. 大判フィルムの現在

大判フィルムは21世紀の現在も生産が続いている。Ilford HP5 Plus、Fomapan 100/200/400、Kodak Tri-XやPortra 160/400などが4×5インチと8×10インチで供給されている。ただし、かつてのように数十種類のフィルムから選べる時代は過ぎ去った。

需要は限定的だが、消滅はしていない。風景写真家、建築写真家、そしてファインアート分野では、大判フィルムでしか到達できない画質の領域が依然として存在する。デジタル中判カメラが1億画素を超えた現在でも、8×10のコンタクトプリント(密着焼き)が持つ独特のトーンは、デジタルでは完全には再現できないと主張する写真家は少なくない。


3. 120フィルム——中判写真の「共通言語」

3-1. ブローニーからプロフェッショナルへ

120フィルムは、1901年にKodakがBrownie No. 2用に開発したロールフィルム規格である。幅は約61mm(6cm)。裏紙(バッキングペーパー)付きのスプールに巻かれており、明室でフィルム交換が可能という利点があった。

当初は大衆向けカメラのためのフォーマットだった120フィルムは、20世紀前半に劇的な地位の変化を遂げる。35mmフィルムが大衆市場を席巻するにつれ、120フィルムはプロフェッショナルとハイアマチュアの領域に押し上げられたのだ。

この逆転は重要である。もともと「安価な大衆向け」として生まれた規格が、より小さなフォーマットの登場によって「高品質」の代名詞になった。フィルムフォーマットの序列は、技術の進歩によって常に書き換えられる。

3-2. 中判カメラの多様な画面サイズ

120フィルムの特徴的な点は、同じフィルム幅でありながら複数の画面サイズが共存したことだ。

  • 6×4.5cm(645):1コマあたりの面積が最小だが、1本のロールで15〜16コマ撮影可能。Mamiya 645、Pentax 645、Bronica ETRsなど。35mmからのステップアップとして人気を博した。
  • 6×6cm:正方形フォーマット。Hasselblad 500シリーズ、Rolleiflex二眼レフの定番。ファッション写真の黄金時代を支えた。Richard AvedonやIrving Pennが愛用したことでも知られる。1本で12コマ。
  • 6×7cm:35mmに近い縦横比(約5:7)で、商業写真やポートレートに適したフォーマット。Mamiya RB67/RZ67、Pentax 67が代表機種。「理想のフォーマット」と呼ぶ写真家もいた。1本で10コマ。
  • 6×9cm:風景写真家に愛されたワイドフォーマット。Fujifilm GW690シリーズ(通称「テキサス・ライカ」)が有名。1本で8コマ。
  • 6×12cm、6×17cm:パノラマフォーマット。Linhof Technorama 617、Fujifilm GX617など。1本で4コマ(6×17)という贅沢な使い方。

同じ120フィルム1本から、カメラによって8コマから16コマまで撮影枚数が変わる。この柔軟性が120フィルムの生命力の源泉であり、120年以上にわたって生き残っている理由のひとつである。

3-3. 220フィルム——倍の長さ、短い命

1965年、Kodakは120フィルムの派生規格として220フィルムを発表した。フィルム幅は120と同じ61mmだが、裏紙をフィルムの先端と末端のみに限定することで、同じスプールに約2倍の長さのフィルムを巻くことに成功した。6×6cmで24コマ、645で32コマの撮影が可能となり、特にウェディングフォトグラファーや報道カメラマンなど、フィルム交換の手間を減らしたいプロフェッショナルに歓迎された。

しかし、220フィルムにはいくつかの弱点があった。裏紙がないため、フィルムの平面性が120に比べてやや劣る。また、カメラ側に220用の圧板(プレッシャープレート)切り替え機構が必要で、対応しないカメラでは使用できなかった。

220フィルムの命は短かった。Kodakは2015年に、Fujifilmは2018年に生産を終了。2020年代の現在、上海のShanghai GP3が白黒220フィルムを少量生産しているものの、カラー220フィルムは事実上消滅している。プロの撮影現場がデジタルに移行したことで、220フィルムの存在意義であった「大量撮影」のニーズ自体が蒸発したのだ。


4. 135フィルム(35mm)——映画の副産物が世界標準になるまで

4-1. エジソンの残響

135フィルム、通称35mmフィルムの物語は、写真ではなく映画から始まる。

1891年、トーマス・エジソンの研究所で、助手のウィリアム・ディクソンが動画撮影装置「キネトスコープ」を開発した際、Eastman Dry Plate and Film Company(後のKodak)から供給された2.75インチ幅のフィルムを半分に裁断し、両側にパーフォレーション(送り穴)を開けた。これが35mm幅フィルムの起源である。

このフィルム幅が映画産業の標準となり、世界中の映画館で35mmフィルムが上映されるようになった。写真用35mmフィルムは、この膨大な映画用フィルムの生産インフラに「ただ乗り」する形で誕生したのである。

4-2. ライカの賭け——「ミニチュアフォーマット」の挑戦

第2章で触れたように、1925年にエルンスト・ライツ社(Ernst Leitz)がLeica Iを発売したことが、35mmフィルムの写真用途への転換点となった。オスカー・バルナック(Oskar Barnack)が設計したこのカメラは、映画用35mmフィルムを流用し、24×36mmの画面サイズ(映画の1コマ18×24mmの約2倍)で撮影する。

当時、24×36mmという画面サイズは「ミニチュア」と呼ばれた。120フィルムの6×6cmと比較すれば面積は約1/3.8。大判4×5インチと比べれば約1/15。写真のプロフェッショナルたちは「こんな小さなネガでまともなプリントができるはずがない」と嘲笑した。

しかし、ライカとそのユーザーたちは、画質の「絶対値」ではなく機動性と即写性という新しい価値軸を提示した。エリッヒ・ザロモン(Erich Salomon)は、Leicaを使って政治家や外交官の素顔を撮影し、「キャンディッド・フォトグラフィー」の先駆者となった。アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)は「決定的瞬間」の概念を35mmカメラで体現した。写真の「質」を画素数ではなく、捉えた瞬間の力で定義し直したのである。

4-3. 135規格の標準化——1934年のKodak Retina

35mmフィルムの写真用途が広がるにつれ、規格の統一が課題となった。初期の35mmカメラは、ユーザーが暗室で映画用フィルムを自分でカセットに詰め替える必要があった。

1934年、Kodakは135フィルムという規格名称を定め、工場で予めカセット(パトローネ)に装填された35mmフィルムを発売した。同時に、この135フィルムを使用する最初のカメラとしてKodak Retinaを投入。Retinaはドイツのナーゲルヴェルク(Nagel-Werk、Kodakが1931年に買収したシュトゥットガルトのカメラメーカー)で設計・製造された。

パトローネ入りの135フィルムは、暗室での詰め替えを不要とし、明るい場所でのフィルム交換を可能にした。この「手軽さ」が35mmフィルムの爆発的普及を加速する。

4-4. 35mmの覇権確立——1960年代後半

135フィルムが120フィルムを販売量で追い抜いたのは、1960年代後半のことである。一眼レフカメラ(SLR)の普及がこの逆転を決定づけた。

Nikon F(1959年)、Canon F-1(1971年)、Pentax SPシリーズ、Minolta SRTシリーズ——日本メーカーが次々と投入した35mm一眼レフカメラは、レンズ交換の柔軟性、TTL測光の正確さ、そして何より1本のフィルムで36枚撮れる経済性で、プロからアマチュアまで幅広い層を取り込んだ。

120フィルムの中判カメラが1本で8〜16コマであるのに対し、35mmフィルムは36コマ。しかもフィルムもカメラも安い。この「コストパフォーマンス」の圧倒的な差が、35mmを写真フィルムの王座に押し上げた。

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5. Kodakの「簡単さ」戦略——126、110、ディスクフィルム

35mmフィルムが標準化されてもなお、Kodakは「もっと簡単に」というテーゼを追求し続けた。135フィルムのパトローネは、カメラへの装填に一定のコツが必要だった。フィルムリーダーをスプールに引っかけ、パーフォレーションをスプロケットに噛ませ、裏蓋を閉じて空シャッターを切る。初心者にとっては、この手順がしばしば失敗の原因となった。

Kodakの回答は、「装填自体を不要にする」ことだった。

5-1. 126フィルム(1963年)——インスタマチックの衝撃

1963年、Kodakは126フィルムと、それを使用するInstamaticカメラシリーズを発表した。126フィルムは、35mm幅のフィルムに裏紙を付け、プラスチック製カートリッジに封入したものである。カメラへの装填は、カートリッジを「パチン」とはめ込むだけ。巻き戻しも不要で、撮影後はカートリッジごと取り出せばよい。

画面サイズは28×28mmの正方形。フィルムの質自体は35mmと大差なかったが、カートリッジ内でのフィルムの平面性が劣り、また安価なカメラに搭載されたレンズの光学性能も低かったため、最終的なプリント品質は135フィルムに及ばなかった。

それでも、Instamaticは爆発的に売れた。発売から最初の数年間で5000万台以上が販売されたとされ、1960年代から70年代の家族写真の多くは126フィルムで撮影されている。「写真を撮ること」の敷居を劇的に下げたという点で、InstamaticはKodak Brownieの精神的後継者だった。

Kodakは1988年にInstamaticカメラの製造を終了し、126フィルムは1999年に生産終了。他社(Ferrania等)の生産も2007〜2008年頃までに停止している。

5-2. 110フィルム(1972年)——ポケットカメラの夢

1972年、Kodakはさらに小型化を推し進め、110フィルムPocket Instamaticカメラを発表した。110フィルムは16mm幅のフィルムをカートリッジに封入したもので、画面サイズは13×17mm。126フィルムの約1/3の面積しかない。

カメラはシャツのポケットに入るほど小さくなった。「手軽さ」の極致である。しかし、画質の代償は大きかった。13×17mmのネガから標準的なLサイズ(89×127mm)のプリントを作るには、大幅な引き伸ばしが必要であり、粒状性の荒さは明らかだった。

110フィルムは1980年代まで人気を維持したが、35mmコンパクトカメラの小型化・低価格化が進むにつれ、存在意義を失っていった。生産は多くのメーカーで終了したが、興味深いことにLomographyが2012年にカラー・モノクロの110フィルムを復活生産している。110フィルムは、それを「置き換える」はずだったディスクフィルムとAPSフィルムの両方よりも長く生き延びたのである。

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5-3. ディスクフィルム(1982年)——Kodakの高価な失敗

1982年、Kodakは写真産業に衝撃を与える新規格を発表した。ディスクフィルムである。

円盤状のプラスチックディスクに15コマの露光面を放射状に配置したこのフォーマットは、フロッピーディスクを連想させる未来的な外観を持っていた。1コマの画面サイズはわずか8×10.5mm。110フィルムの13×17mmよりもさらに小さい。

Kodakの狙いは、超薄型カメラの実現だった。ディスクカメラはわずか2cm程度の厚さに収まり、当時の感覚では極めてスタイリッシュだった。Kodakは乳剤技術の進歩が小さなネガを補うと主張し、専用の6群6枚レンズをプリント用に開発した。

しかし、現実は残酷だった。多くの現像ラボでは、ディスクフィルム専用の高品質レンズではなく、通常の3群3枚レンズでプリントを行った。結果として、消費者が手にするプリントは粒子が荒く、ぼやけたものとなった。「Kodakのエドセル(フォードの大失敗車)」と揶揄されるほどの品質問題が、ディスクフィルムの命運を決した。

Kodakは1980年代末にディスクカメラの製造を中止し、フィルムの生産は1990年代末まで細々と続いた。ディスクフィルムの失敗は、Kodakにとって単なるフォーマットの敗北にとどまらなかった。この時期、Kodakは35mmカメラ事業からの撤退を余儀なくされ、後に海外生産品で復帰するものの、35mm市場での技術的リーダーシップを他社に譲る結果を招いた。


6. APS(Advanced Photo System)——最後のアナログ規格戦争

6-1. 業界総力戦の夢

1996年、写真産業は最後の大規模なフォーマット革命を試みた。APS(Advanced Photo System)、規格名IX240である。

APSは、Kodak単独の取り組みではなかった。Kodak、Fujifilm、Agfa、Konica、Nikonの5社が共同開発した業界標準規格であり、Canon、Minolta、Olympusなど主要カメラメーカーもカメラを投入した。各社はブランド名を変えてAPSフィルムを販売した——KodakはAdvanix、FujifilmはNexia、AgfaはFutura、KonicaはCenturiaの名を冠した。

APSの技術的特徴は野心的だった。

  • 24mm幅のフィルムをカプセル型カートリッジに完全封入。フィルムリーダーの引き出しは不要で、カートリッジをカメラに「ドロップイン」するだけ。
  • 磁気記録層がフィルムの縁に塗布されており、撮影日時、プリントサイズ指定(C/H/Pの3種類のアスペクト比)、露出設定などのメタデータを記録可能。
  • フィルム途中交換(MRC: Mid-Roll Change)機能を持つ上位機種では、撮り切る前にフィルムを取り出し、後日続きから撮影できた。
  • 現像後もフィルムはカートリッジ内に収納されて返却される。ネガの保管が容易。

6-2. 「35mmを置き換える」という幻想

APSには「35mmフィルムに取って代わる」という壮大な野望があった。予測では、APSが数年以内にフィルムカメラの主流になるとされた。

しかし、APSが直面した現実は厳しかった。

画質の問題が最大の壁だった。APS-Cフォーマット(25.1×16.7mm)の画面面積は、35mmフルサイズ(24×36mm)の約48%に過ぎない。フィルムの乳剤技術が向上していたとはいえ、同等の引き伸ばし倍率ではAPSのプリントは35mmに劣った。プロフェッショナルは見向きもしなかった。

コストの問題もあった。APSフィルムと対応カメラは、既存の35mmシステムより高価だった。消費者にとって、「画質が下がって値段が上がる」ことを受け入れる理由は乏しい。

そして何より、デジタルカメラの台頭というタイミングの悪さがAPSの運命を決定づけた。APSが市場に投入された1996年は、まさにコンシューマー向けデジタルカメラが登場し始めた時期だった。APSが提供した利便性——撮影データの記録、プリントサイズの選択、フィルムの簡単装填——は、デジタルカメラがより完璧な形で実現するものだった。

APS一眼レフカメラの販売は2000年頃から急激に落ち込み、2002年には主要なAPS SLRは市場からほぼ消えた。2003年には、カメラ雑誌のバイヤーズガイドでAPSカメラのリストがデジタル一眼レフのリストに置き換えられた。フィルム自体は2011年頃まで販売されていたが、実質的にAPSは10年未満で消滅した最短命のメジャーフォーマットとなった。

6-3. APSの遺産——「APS-C」という名前

APSフィルム自体は消えたが、その名前は意外な形で21世紀に残った。デジタル一眼レフカメラやミラーレスカメラに搭載される、35mmフルサイズより小さなセンサーサイズを指す**「APS-C」**という呼称は、APSフィルムのC(Classic)フォーマット(16.7×25.1mm)に由来する。

Nikon DXフォーマット、Canon EF-Sシステム、Fujifilm Xシリーズ、Sony α6000シリーズ——これらのカメラが採用するセンサーサイズは、APSフィルムのCサイズにほぼ等しい。フォーマットとしては死んだAPSが、デジタル時代の「サイズの基準」として生き続けているのは、写真史の皮肉というほかない。

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7. 消えた規格、忘れられた挑戦者たち

フィルムフォーマットの歴史には、主要規格の陰に隠れた無数の「忘れられた規格」が存在する。そのいくつかを記録しておきたい。

7-1. 828フィルム(1935年)

Kodakが135フィルムのわずか1年後に発表した828フィルムは、35mm幅のフィルムにパーフォレーションを片側1つだけ設け、裏紙を付けたロールフィルムである。画面サイズは28×40mmで、135フィルムの24×36mmよりも約30%広い面積を持つ。スプール径が小さいため、コンパクトなカメラ設計が可能だった。

828フィルムを使用するKodak Bantamシリーズ——特にウォルター・ドーウィン・ティーグ(Walter Dorwin Teague)がデザインしたKodak Bantam Specialは、アールデコ調の美しい外観で知られ、現在ではコレクターズアイテムとなっている。

しかし、828フィルムは広く普及することなく、Kodakは1985年に生産を終了した。135フィルムのエコシステム(カメラ、レンズ、現像所、印画紙)が圧倒的に成長したため、わずかな画面サイズの優位では対抗できなかったのである。

7-2. Minoxフィルム(8×11mm)——スパイカメラのフォーマット

バルト・ドイツ人の技術者ヴァルター・ツァップ(Walter Zapp)が1936年に設計し、ラトヴィアのVEF社が1937年から製造したMinoxカメラは、8×11mmという極小フレームサイズの専用フィルムを使用した。

9.2mm幅の無孔フィルムを専用カートリッジに収め、50コマの撮影が可能。カメラ本体はわずか98×27×15mm——安物のライターほどの大きさ。冷戦時代、CIAやMI6をはじめとする各国の諜報機関が文書の複写にMinoxを使用したことから、「スパイカメラ」の代名詞となった。

高品質のレンズとファインフレインフィルムの組み合わせにより、8×11mmの極小ネガからでも驚くべきディテールの再現が可能だった。Minoxは2003年にフィルムカメラの製造を終了したが、アメリカのBlue Moon Cameraが公式ライセンスのもとMinox用フィルム(Ilford Delta 100ベース)を現在もスリッティング・巻き直し販売している。

7-3. 616/116フィルム、620フィルム——忘れられたロールフィルム群

20世紀前半、Kodakは多数のロールフィルム規格を乱発した。116フィルム(1899年〜1984年)は6.5×11cmの大判ロールフィルム。616フィルム(1932年〜)は116と同じ画面サイズだが、小径スプールでコンパクトなカメラに対応した。620フィルム(1932年〜1995年)は120と同じ画面サイズだが、やはり小径スプールを使用。Kodakが自社カメラ向けに囲い込みを狙った規格だった。

これらの規格は、120フィルムの汎用性と35mmフィルムの経済性に挟み撃ちにされ、ひとつずつ消えていった。620フィルムのカメラを使い続けたいユーザーは、120フィルムを620スプールに巻き直すという手間のかかる作業を強いられた。ユーザーの利便性よりメーカーの囲い込みを優先した規格は、長期的には淘汰されるという教訓を、これらの規格は静かに物語っている。


8. フォーマット戦争の勝者と敗者——なぜ35mmが勝ったのか

数十年にわたるフォーマット戦争を俯瞰すると、勝者の条件が浮かび上がる。

8-1. 「十分な画質」×「圧倒的な経済性」

35mmフィルムは、画質において最高のフォーマットではなかった。大判はもちろん、120中判にも及ばない。しかし、一般消費者のプリントサイズ(Lサイズ〜キャビネサイズ)において「十分な画質」を提供できた。

そして、その「十分な画質」を、1本のフィルムから36枚という圧倒的な撮影枚数と、数百円という低価格で実現した。画質の絶対値ではなく、品質とコストの比において、35mmフィルムは他のすべてのフォーマットを凌駕したのである。

8-2. エコシステムの厚み

フォーマットの勝敗を決めるのは、フィルム単体の性能ではない。カメラの種類、レンズの選択肢、現像所の数、印画紙やケミカルの入手性——要するにエコシステム全体の厚みが決定的な要因となる。

35mmフィルムは、世界中のあらゆる現像所で処理可能だった。カメラは数十社が製造し、レンズは数百種類が市販された。このエコシステムの厚みが、一度確立された標準を自己強化的に拡大する「ネットワーク効果」を生んだ。後発規格がどれほど技術的に優れていても、この壁を突破するのは極めて困難だった。

8-3. 映画産業との共存——スケールメリット

35mmフィルムが持つ決定的な構造的優位は、映画用フィルムとの生産ラインの共有である。写真用35mmフィルムと映画用35mmフィルムは、同じ幅のフィルムベースから製造される。映画産業が消費する膨大な量のフィルムが生産スケールを維持し、写真用フィルムのコストを引き下げた。

126も110もディスクもAPSも、写真専用の生産ラインが必要だった。映画産業という巨大な「援軍」を持たない規格は、コスト競争力で35mmに太刀打ちできなかったのである。


9. フォーマット戦争の遺産——2020年代の視点から

9-1. 生き残った三つの規格

2020年代の現在、市販されている写真用フィルムのフォーマットは、事実上三つに集約されている。

  • 135(35mm):依然として最も種類が豊富で入手しやすい。Kodak、Fujifilm、Ilford、Lomography、CineStill、Foma、Agfa(Agfa Photo)など、多数のメーカーがカラー・モノクロ・リバーサルを生産。
  • 120:中判フォーマットとして存続。Kodak Portra、Fujifilm Pro 400H(生産終了)、Ilford HP5 Plusなどが流通。選択肢は35mmに比べて限られるが、消滅はしていない。
  • 大判シートフィルム(4×5、8×10):最も選択肢が少ないが、Ilford、Foma、Kodakが生産を継続。

この三つの規格に共通するのは、いずれもデジタルでは完全に代替しにくい「体験」や「品質」を提供しているということだ。35mmフィルムはフィルムカメラの射撃感と操作の楽しさ。120フィルムはデジタルでは高価なレンズとセンサーがなければ得られない被写界深度と階調。大判シートフィルムはコンタクトプリントという唯一無二の表現領域。

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9-2. デジタル時代の「フォーマット戦争」

興味深いことに、デジタルカメラの世界でもフォーマット戦争は形を変えて続いている。フルサイズ(35mm相当)、APS-C、マイクロフォーサーズ、中判デジタル、1インチセンサー——センサーサイズの多様性は、フィルム時代のフォーマット乱立の反復のようにも見える。

ただし、決定的な違いがある。デジタルではセンサーサイズが異なっても同じメモリーカードに記録できる。フィルム時代のように、フォーマットごとにフィルムを買い替え、対応するカメラを揃える必要はない。「囲い込み」の道具としてのフォーマットは、デジタル化によって無力化されたのだ。

フィルムフォーマット戦争は、アナログ写真のビジネスモデルそのものだった。消耗品としてのフィルムが利益の源泉である限り、規格の囲い込みは合理的な戦略だった。しかし、その戦略が消費者を混乱させ、市場を分断し、最終的にはフィルム写真のエコシステム全体を脆弱にしたことも否めない。


10. 結語——規格は死ぬ、しかし写真は残る

本章で辿ったフィルムフォーマットの興亡は、技術標準の栄枯盛衰の縮図である。

126フィルムで撮られた1960年代のクリスマスの家族写真。110フィルムで記録された1970年代の修学旅行。ディスクフィルムで残された1980年代の誕生日パーティー。規格は消えても、そのフィルムに焼き付けられた記憶は消えない。

問題は、その記憶をどうやって未来に引き継ぐかだ。消えた規格のネガを現像・プリントできるラボは年々減っている。126や110のフィルムスキャナーを持つサービスも限られている。フォーマット戦争の真の敗者は、特定の規格ではない。互換性を失った記録媒体に大切な記憶を閉じ込めてしまった消費者なのかもしれない。

次章では、フィルムフォーマットの多様性の上に花開いた「カラーフィルムの民主化」——Kodachrome、Ektachrome、Fujicolorが、どのようにして写真を「色」の時代に導いたかを追う。


Kodak カラーネガティブフィルム プロフェッショナル用 35mm ポートラ400 36枚
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LomoChrome Turquoise 110
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フィルム・クロニクル

連載ガイド

Part I:銀塩写真の誕生と発展(19世紀〜20世紀前半)

Part II:フィルムの黄金時代(1950年代〜1990年代)

  • 4.カラーフィルムの民主化——Kodachrome、Ektachrome、Fujicolor
  • 5.フィルムメーカーの群雄割拠——Kodak・Fujifilm以外の巨人たち
  • 6.インスタントカメラの衝撃——Polaroid、特許戦争、そしてInstaxの世紀
  • 7.写真が「消費」されるものになった時代——使い捨てカメラ、ミニラボ、そしてフィルム消費のピーク

Part III:デジタルの衝撃とフィルムの退潮(1990年代〜2010年代)

  • 8.デジタル写真の黎明——フィルムを殺す技術はフィルム会社から生まれた
  • 9.カメラ付き携帯電話——写真を「撮る」から「送る」へ変えた破壊者
  • 10.フィルムカメラメーカーの淘汰——2000年代、消えたブランドと残ったブランド
  • 11.デジタル一眼レフ時代のフィルム——「暗黒時代」を生き延びた銀塩の灯火

Part IV:フィルムの復興(2010年代〜現在)

  • 12.フィルムリバイバルの始まり——SNS世代が銀塩に手を伸ばした理由
  • 13.Kodakの復活——破産から再びフィルムを世界に届けるまで
  • 14.Fujifilmのフィルム戦略——「フィルムの会社」が選んだ縮小と拡大の二重奏
  • 15.新興・復活フィルムメーカー——ポストKodak/Fujifilm時代の製造地図
  • 16.現行フィルムカメラ——2025年、新品で買えるフィルムカメラの世界地図
  • 17.中古フィルムカメラ市場——「新品が存在しない」時代の流通構造
  • 18.フィルム写真のコスト構造——1枚のシャッターに、いくらかかるのか
  • 19.フィルム写真の現在と未来——誰がフィルムを選び、なぜ撮り続けるのか

Part V:総括

  • 20.総括——銀塩写真が問い続けるもの

典拠一覧

  1. Edison, Thomas A. — Kinetoscope patent filing, 1891. 35mm幅フィルムの起源としての映画用フィルム。
  2. Kodak. “135 Film” — 1934年にKodakが規格名称「135」を制定。Kodak Retinaとともに発売。
  3. Wikipedia contributors. “135 film.” — 135フィルムが1960年代後半に120フィルムの販売量を追い抜いた記録。
  4. Kodak. “126 Instamatic Film” — 1963年発売。カートリッジ式装填による簡便さで5000万台以上のInstamaticカメラが販売された。
  5. Kodak. “110 Pocket Instamatic” — 1972年発表。13×17mmの超小型フォーマット。
  6. Disc film — Camera-wiki.org. 1982年にKodakが発表。8×10.5mmの極小ネガ、15コマ。1990年代末に生産終了。
  7. Advanced Photo System (APS) — Wikipedia. 1996年発売、2011年頃まで販売。5社共同開発のIX240規格。
  8. Amateur Photographer. “APS cameras: the film format that was dead within 10 years.” — APSの急速な衰退を記録。
  9. 828 film — Wikipedia. 1935年にKodakが発表。28×40mmの画面サイズ。1985年生産終了。
  10. Minox — Camera-wiki.org / Crypto Museum. 1937年製造開始の8×11mmサブミニチュアカメラ。冷戦時代のスパイカメラとして知られる。
  11. 220 film — Obsolete Media. 1965年にKodakが発表。Kodak 2015年、Fujifilm 2018年に生産終了。
  12. The Darkroom. “A Guide to Popular Film Formats.” — 各フィルムフォーマットの仕様と歴史の包括的ガイド。

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