※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

フィルムメーカーの群雄割拠——Kodak・Fujifilm以外の巨人たち | フィルム・クロニクル(5)

産業分析
※当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。 記事内のリンクから商品を購入すると、当サイトに紹介料が支払われる場合があります。

フィルム・クロニクル(5)

※Adobe Firefly 及び Google Gemini 3.1 (w/ Nano Banana2 )により生成したイメージ画像です。

Kodak と Fujifilm の二強だけがフィルムの歴史を作ったわけではない。 ヨーロッパにはAgfa とIlford、日本にはKonica(小西六)、イタリアにはFerrania——世界各地で独自の技術と市場を築いたメーカーが存在した。彼らの盛衰は、フィルム産業が単なる二社寡占ではなく、地政学的・文化的な多極構造を持っていたことを示している。本章では、Kodak・Fujifilm以外の主要フィルムメーカーの歴史を追い、その技術的貢献と市場での役割を概観する。


Agfa——ドイツ化学産業が生んだフィルムの巨人

創業からIG Farbenへ

Agfa(Aktiengesellschaft für Anilinfabrikation)は1867年、ベルリン近郊のルンメルスブルクでアニリン染料メーカーとして設立された。写真化学への参入は19世紀末に遡り、乾板や印画紙の製造から始まった。

1925年、Agfaはドイツ化学産業の巨大統合体「IG Farben」に吸収される。IG Farbenは BASF、Bayer、Hoechstなど主要化学企業を統合した世界最大の化学コングロマリットであり、Agfaの写真化学部門はその一角を担った。この統合がもたらしたのは、圧倒的な研究開発リソースである。

Agfacolor Neu(1936年)——カプラー内蔵フィルムの革命

前章で触れたとおり、KodakのKodachrome(1935年)が外式カプラー方式を採用したのに対し、Agfaは1936年に「Agfacolor Neu」を発表した。この製品の技術的革新性は、カプラーを乳剤層に内蔵した点にある。Kodachromeが複雑な現像工程(後のK-14プロセス)を要求したのに対し、Agfacolor Neuは比較的シンプルな現像処理で済む構造を持っていた。

Agfacolor Neuに関連する特許は278件にのぼるとされ、この技術体系は第二次世界大戦後、連合国によって接収・公開された。戦後のカラーフィルム技術——Fujifilmのカラーフィルム、ソ連のフィルム技術、さらには多くの欧州メーカーの製品——は、直接・間接にAgfacolor Neuの技術的遺産の上に構築されている。現代のC-41プロセスに至るカプラー内蔵型カラーネガフィルムの系譜は、技術的にはKodachromeではなくAgfacolor Neuに端を発する。

戦後の再建とBayer傘下

第二次世界大戦後、IG Farbenは連合国により解体された。Agfaの写真部門は西ドイツ側で1952年に「Agfa AG」として再出発し、Bayer(バイエル)の傘下に入った。東ドイツ側のAgfa工場はVEB Film- und Chemiefaserwerk Agfa Wolfen(通称ORWO——ORiginal WOlfen の略)として国有化され、独自のフィルム生産を続けた。冷戦下で東西に分裂したフィルムメーカーという構図は、ドイツの分断そのものを映し出していた。

西側のAgfaは1964年にベルギーのGevaert(ゲバルト)と合併し「Agfa-Gevaert」となった。コンシューマー向けフィルムではAgfa Vista、Agfa Ultra、プロ向けではAgfa Optima やRSXシリーズなどを展開し、欧州市場ではKodakに次ぐシェアを維持した。

消費者向け写真事業の終焉

2004年、Agfa-Gevaertは消費者向け写真事業をマネジメント・バイアウト(MBO)により分離し、「AgfaPhoto GmbH」として独立させた。しかしデジタル化の波は容赦なく、AgfaPhoto GmbHはわずか1年後の2005年に破産を申請した。Agfaブランドのフィルムは、その後ライセンス供給の形で残存するが、自社生産ラインは失われた。現在「Agfa」の名を冠するフィルムは、実質的には他社(主にHarman Technology)によるOEM製品である。

なお、東ドイツのORWOブランドは2020年代に入って復活の動きを見せている。これについては第15章で詳述する。


Ilford——モノクロフィルムの守護者

創業と英国写真産業

Ilfordの歴史は1879年、ロンドン東部イルフォードの地でAlfred Hugh Harman(アルフレッド・ヒュー・ハーマン)が自宅で乾板の製造を始めたことに遡る。「Britannia Works Company」として法人化された同社は、英国における写真感光材料のパイオニアとなった。

20世紀初頭、Ilfordは印画紙とモノクロフィルムの製造で確固たる地位を築いた。同社の名を冠した「Ilford」という地名が先か、会社名が先かと混同されるほど、地域と一体化した企業であった。

モノクロへの特化

Ilfordの戦略的特徴は、カラーフィルム市場での覇権を追わず、モノクロ感光材料に注力し続けた点にある。Kodak、Fujifilm、Agfaがカラーフィルム市場で激しく競争するなか、Ilfordはモノクロフィルムと印画紙の品質で独自のポジションを確立した。

代表的な製品ラインは以下のとおりである。

  • HP5 Plus(ISO 400)——報道・ストリートフォトグラフィーの定番。粒状性と感度のバランスに優れ、プッシュ現像にも強い。
  • FP4 Plus(ISO 125)——中庸な感度で微粒子・高シャープネスを実現。風景・建築写真に好まれる。
  • Delta 100 / Delta 400 / Delta 3200——T粒子(平板状結晶粒子)技術を採用した近代的な乳剤。特にDelta 3200は超高感度モノクロフィルムとして独自の地位を持つ。
  • Pan F Plus(ISO 50)——極めて微粒子の低感度フィルム。精密描写を求めるフォトグラファーに支持される。
  • XP2 Super——C-41プロセスで現像可能なモノクロフィルム。一般のカラーネガ現像所で処理できるという利便性を持ち、フィルムリバイバル時代に再評価された。

経営危機と再生

Ilfordもデジタル化の波を免れなかった。2004年、親会社のInternational Paper(米国の製紙大手)による売却を経て経営危機に陥り、2005年に管理下に置かれた。しかしここからがIlfordの特異な再生物語である。

従業員と経営陣による買収が成立し、「Harman Technology Ltd」として再出発した。**本社はイングランド北西部チェシャー州モバリー(Mobberley)**に置かれ、モノクロフィルムと印画紙の製造を継続している。カラーフィルムという巨大市場を追わなかったことが、逆にデジタル化時代の生存戦略として機能したのである。KodakやAgfaが消費者向けカラーフィルム事業の崩壊に引きずられたのに対し、Ilfordのモノクロ特化路線は、比較的安定した専門市場(ファインアートプリント、暗室愛好家、写真教育)を基盤としていた。

2020年代現在、Harman Technology(Ilford)は世界で最も安定したフィルムメーカーのひとつであり、140年以上の歴史を持つ現役企業として、モノクロフィルムの製造を続けている。さらに、同社は「Harman」ブランドでカメラ(ピンホールカメラや使い捨てカメラ)の販売も行っている。


Konica(小西六)——日本最古の写真企業

創業から小西六写真工業へ

1873年(明治6年)、杉浦六三郎が東京・小西本店として写真材料の販売を開始した。これは日本最古の写真関連企業の起源である。小西本店は当初、輸入写真材料の販売を手がけていたが、やがて国産化に着手し、1903年には日本初のブランドカメラ「Cherry」を発売した。

社名は「小西六写真工業」(小西本店の「小西」と六三郎の「六」に由来)を経て、1987年に「コニカ株式会社」(Konica Corporation)に変更された。

フィルム製造と技術革新

Konicaはフィルム製造においていくつかの重要な「世界初」を持つ。

  • 1940年——日本初のカラーフィルム「さくら天然色フィルム」を発表(翌1941年に発売)。
  • 1977年——世界初のISO 400カラーネガフィルム「Sakuracolor 400」を発表。高感度カラーネガフィルムの普及に大きく貢献した。

Konicaの「さくら」(Sakura)ブランドは、日本国内でKodakやFujifilmに次ぐ第三のフィルムブランドとして長年親しまれた。海外市場では「Konica」ブランドで展開した。

カメラ事業とオートフォーカスの先駆

フィルムメーカーとしてのKonicaを語るうえで、カメラ事業にも触れざるを得ない。1977年の「Konica C35 AF」は世界初のオートフォーカスカメラ(コンパクトカメラ)として知られ、写真撮影の自動化・大衆化に決定的な一歩を刻んだ。カメラの詳細は姉妹連載「カメラ覇権の地殻変動」に譲るが、フィルムとカメラの両方を製造する垂直統合企業としてのKonicaの存在は、日本の写真産業構造を理解するうえで不可欠である。

Minoltaとの合併、そして撤退

2003年、KonicaはMinoltaと合併し「コニカミノルタ」(Konica Minolta)となった。しかし合併後わずか3年、2006年にコニカミノルタはカメラ・写真フィルム事業からの完全撤退を発表した。カメラ事業はSonyに譲渡され(これがSonyのαシリーズの源流となる)、フィルム事業は終了した。

日本最古の写真企業が、デジタル化の波のなかで写真事業そのものから撤退するという事実は、この産業の構造転換の激しさを象徴している。コニカミノルタは現在、複合機(MFP)や産業用光学機器のメーカーとして存続している。


Ferrania / 3M——イタリアのフィルム産業と「Kodak of Italy」

Ferraniaの創業

イタリア北西部リグーリア州の小さな町カイロ・モンテノッテ(Cairo Montenotte)に、1923年、FILM社(Fabbrica Italiana Lamine Milano)が設立された。後にFerrania(フェラーニア)と呼ばれるようになるこの企業は、イタリアにおけるフィルム製造の中心となった。

Ferrania は映画用フィルムからスタートし、スチル写真用フィルム、X線フィルム、磁気テープなど感光材料全般に事業を拡大した。イタリア映画の黄金時代——ネオレアリズモの巨匠たちの作品の多くは、Ferraniaのフィルムで撮影されている。

3Mによる買収と「Scotch」ブランド

1964年、米国のMinnesota Mining and Manufacturing Company(3M)がFerraniaを買収した。3Mは自社のフィルム製品を「Scotch」ブランドで展開しており、Ferraniaの製造設備と技術を取り込むことで、欧州市場でのプレゼンスを強化した。

3M/Ferraniaは最盛期には世界第4位のフィルムメーカーとされ、「Kodak of Italy」の異名をとった。Scotch Chromeスライドフィルムやカラーネガフィルムは、特に欧州市場で一定のシェアを持っていた。カイロ・モンテノッテの工場はイタリアの地方経済を支える大規模な製造拠点でもあった。

フィルム生産の終焉と復活運動

3Mは1990年代末にフィルム事業の縮小を開始し、Ferrania部門は複数回の売却・再編を経た。2009年、カイロ・モンテノッテ工場でのフィルム生産は完全に停止した。

しかし物語はここで終わらない。2013年、元従業員らを中心に「FILM Ferrania」が再設立された。彼らは旧工場の一部と製造設備を引き継ぎ、フィルム生産の復活を目指した。2014年にはKickstarterでクラウドファンディングを実施し、世界中のフィルム愛好家から支援を集めた。

2017年、FILM FerraniaはP30 Alpha——モノクロフィルム——の出荷を開始した。かつて「Kodak of Italy」と呼ばれた工場から、ごく限られた量ではあるが再びフィルムが出荷されるようになったのである。

2025年には、ORWOブランドを所有するJake Seal がFILM Ferraniaを買収したことが報じられた。Ferraniaの製造設備とORWOのブランド・流通網の統合が、どのような展開を見せるかは、新興・復活フィルムメーカーの動向として第15章で詳述する。


その他の注目すべきフィルムメーカー

Foma Bohemia(チェコ)

チェコ共和国フラデツ・クラーロヴェー(Hradec Králové)に拠点を置くFoma Bohemiaは、1921年の創業以来、モノクロフィルムと印画紙の製造を続けている。同社のFomapan 100 / 200 / 400は、手頃な価格のモノクロフィルムとして世界中の写真愛好家に知られている。共産主義時代を含め、100年以上にわたってフィルムを製造し続けている数少ない企業のひとつである。

Lucky Film(中国)

中国河北省保定市のLucky Film(楽凱フィルム、正式名称:中国楽凱集団)は、中国最大のフィルムメーカーであった。1958年設立の国有企業で、中国国内市場向けにカラーネガフィルムや印画紙を大量生産した。品質面では日米欧の製品に及ばなかったものの、圧倒的な価格競争力で中国の一般消費者に写真を普及させた功績は大きい。デジタル化以降は感光材料事業を縮小し、現在は機能性フィルムや新素材分野に軸足を移している。

Svema / Tasma(旧ソ連)

ソビエト連邦は独自のフィルム製造体制を構築していた。ウクライナのSvema(ショストカ所在)とロシアのTasma(カザン所在)が二大フィルム工場であった。戦後に接収したAgfaの技術(前述のAgfacolor Neuの特許群)を基盤とし、ソ連圏および友好国向けにフィルムを供給した。ソ連崩壊後、両社の生産は激減したが、2020年代にはSvemaブランドのフィルムが少量ながら市場に再登場している。


フィルム産業の多極構造——なぜ「Kodak対Fujifilm」だけでは語れないのか

本章で概観したメーカーの歴史が示すのは、フィルム産業が地理的・政治的・文化的に多極的な構造を持っていたという事実である。

  • ドイツはAgfa(およびORWO)を通じて、化学産業の延長としてフィルムを製造した。IG Farbenの解体、東西分裂という政治史がそのまま製品ラインの分岐に反映されている。
  • 英国はIlfordを通じて、モノクロフィルムという専門領域で生き残る道を選んだ。
  • 日本はKodak帝国への対抗として、Fujifilmだけでなく小西六(Konica)という独自のプレイヤーを持ち、オートフォーカスカメラの発明など技術革新でも世界をリードした。
  • イタリアはFerraniaを通じて、映画産業と結びついた独自のフィルム文化を育んだ。
  • チェコ中国旧ソ連には、それぞれの経済圏を支える地域的フィルムメーカーが存在した。

この多極構造は、デジタル化という「共通の津波」によって一気に崩壊した。2000年代半ばの数年間に、Agfa、Konica、Ferraniaが相次いで脱落し、フィルム市場はKodakとFujifilmの二社——それも急速に縮小する二社——にほぼ集約された。Ilfordはモノクロ特化という「ニッチの要塞」に立てこもることで生存し、Foma Bohemiaは低コスト構造を武器に生き延びた。

こうしたメーカーの興亡は、単にフィルムという製品の歴史にとどまらない。20世紀の化学産業、戦争と冷戦、グローバリゼーション、そしてデジタル・ディスラプションという巨大な歴史的力学が、一枚のフィルムの製造に凝縮されていたのである。


フィルム・クロニクル

連載ガイド

Part I:銀塩写真の誕生と発展(19世紀〜20世紀前半)

Part II:フィルムの黄金時代(1950年代〜1990年代)

  • 4.カラーフィルムの民主化——Kodachrome、Ektachrome、Fujicolor
  • 5.フィルムメーカーの群雄割拠——Kodak・Fujifilm以外の巨人たち
  • 6.インスタントカメラの衝撃——Polaroid、特許戦争、そしてInstaxの世紀
  • 7.写真が「消費」されるものになった時代——使い捨てカメラ、ミニラボ、そしてフィルム消費のピーク

Part III:デジタルの衝撃とフィルムの退潮(1990年代〜2010年代)

  • 8.デジタル写真の黎明——フィルムを殺す技術はフィルム会社から生まれた
  • 9.カメラ付き携帯電話——写真を「撮る」から「送る」へ変えた破壊者
  • 10.フィルムカメラメーカーの淘汰——2000年代、消えたブランドと残ったブランド
  • 11.デジタル一眼レフ時代のフィルム——「暗黒時代」を生き延びた銀塩の灯火

Part IV:フィルムの復興(2010年代〜現在)

  • 12.フィルムリバイバルの始まり——SNS世代が銀塩に手を伸ばした理由
  • 13.Kodakの復活——破産から再びフィルムを世界に届けるまで
  • 14.Fujifilmのフィルム戦略——「フィルムの会社」が選んだ縮小と拡大の二重奏
  • 15.新興・復活フィルムメーカー——ポストKodak/Fujifilm時代の製造地図
  • 16.現行フィルムカメラ——2025年、新品で買えるフィルムカメラの世界地図
  • 17.中古フィルムカメラ市場——「新品が存在しない」時代の流通構造
  • 18.フィルム写真のコスト構造——1枚のシャッターに、いくらかかるのか
  • 19.フィルム写真の現在と未来——誰がフィルムを選び、なぜ撮り続けるのか

Part V:総括

  • 20.総括——銀塩写真が問い続けるもの

典拠・参考資料

  1. Agfa-Gevaert, “History of Agfa,” Agfa corporate website.
  2. Pritchard, Michael. A History of Photography in 50 Cameras, Bloomsbury, 2014.
  3. Harman Technology Ltd, “Our History,” Ilford Photo official website.
  4. Konica Minolta, “History of Konica Minolta,” corporate website.
  5. Jenkins, Reese V. Images and Enterprise: Technology and the American Photographic Industry 1839 to 1925, Johns Hopkins University Press, 1975.
  6. FILM Ferrania, “Our Story,” filmferrania.it.
  7. 日本写真学会編『写真工学の基礎——銀塩写真編』コロナ社、1998年。
  8. 「コニカミノルタ、カメラ・フォト事業から撤退」日本経済新聞、2006年1月19日。
  9. Koshofer, Gert. Color Photography: The First Hundred Years 1840–1940, Barrie & Jenkins, 1981.
  10. 「3M/Ferrania: The Rise and Fall of Italy’s Kodak,” Kosmo Foto, 2019.
  11. Foma Bohemia, “Company History,” foma.cz.
  12. 「FILM Ferrania P30 Alpha Review,” 35mmc, 2017.
タイトルとURLをコピーしました