映画産業のフジノン——シネマレンズの系譜と現場の評価|Xマウントの軌跡(7)

Xマウントの軌跡 富士フイルムはなぜ「色」を選んだのか (7)

かつてシネマレンズは「借りるもの」だった。1本数百万円、PLマウント、重くて大きく、交換には人手がいる——映画やCMの現場でしか出会えない、特別な機材。だが2017年、富士フイルムはその常識を静かに覆した。50万円前後で買える、片手で扱えるシネマレンズ。レンズ屋・富士フイルムは、放送で磨いた光学技術を、こんどは映画の現場へ持ち込んだ。本章は、フジノン・シネマレンズの系譜と、撮影現場が下した評価をたどる。

第6章では、放送用レンズという、もっとも過酷な現場でフジノンが世界シェアの一角を占めてきたことを見た。本章は、その技術が向かったもう一つの行き先——映画・CM・ドラマの世界を扱う。放送で培った解像・色再現・堅牢性が、シネマレンズという新しい器でどう花開いたのか。そして「シネマレンズを所有する時代」を切り開いたMKシリーズが、現場でどう受け止められたのか。順に見ていこう。

目次

シネマレンズとは何が違うのか

まず、写真用レンズとシネマレンズの違いを押さえておきたい。両者は「光を結ぶ」点では同じだが、設計思想がまるで違う。

写真用レンズは、一瞬を切り取るために最適化されている。オートフォーカスは速いほどよく、軽さや価格も重視される。だがシネマレンズは、動き続ける映像を、人の手で操るために作られる。

  • ズーム時にピントがずれない——写真用ズームの多くは、ズームすると微妙にピントが動く。映像では致命的だ。シネマレンズはズーム全域でピント位置を保つ「パーフォーカル」設計が基本となる。
  • ブリージングを抑える——フォーカスを動かすと画角がわずかに変化する現象を「ブリージング」と呼ぶ。被写体に寄ったり引いたりするたびに画面が伸縮しては、観客の没入を削ぐ。シネマレンズはこれを徹底的に抑える。
  • 無段階(クリックレス)の絞り——録画中に絞りを滑らかに変えられるよう、写真用のようなカチカチした段階を持たない。
  • 統一された外径とギア位置——フォローフォーカスやマットボックスを付け替えずに、レンズを交換できる。現場の効率に直結する。

つまりシネマレンズは、「画質」だけでなく「人が操作する道具としての完成度」が問われる。富士フイルムが放送用レンズで半世紀かけて磨いてきたのは、まさにこの種の作り込みだった。

PLマウントという高い壁——プロ用シネマレンズの世界

シネマレンズの世界には、長らく「PLマウント」という業界標準が君臨してきた。PLマウントは1980年代初頭、ドイツのシネマカメラメーカー・ARRI(アーノルド&リヒター)が、それまでのARRIバヨネットを発展させる形で普及させた規格で、ツァイス、ARRI、クックといった名門シネマレンズメーカーがこぞって採用してきた。堅牢なロック機構を持ち、撮影中の振動や衝撃にも揺るがない。映画制作の信頼性を支える、世界共通のプラットフォームである。

富士フイルムも、このPLマウントの世界に「FUJINON」のシネマレンズで参入してきた。代表がCabrio(カブリオ)シリーズだ。

  • ZK19-90mm T2.9——着脱式のサーボドライブユニットを備えるのが特徴。スタジオ的な電動操作と、映画的なマニュアル操作を一台で切り替えられる。
  • XK20-120mm T3.5——4K対応の光学性能を持ち、20mmから120mmという広い焦点域をカバーする。

これらはPLマウントの本格シネマズームであり、価格は1本15,000ドル(数百万円)から。レンタルが当たり前の、プロフェッショナル専用の機材だった。フジノンは放送で培った色再現と堅牢性をそのまま映画の現場へ持ち込み、ハイエンドの一角に食い込んでいった。

2017年、MKシリーズという「下剋上」

ところが2008年末のキヤノンEOS 5D Mark II以降、状況が一変する。大判センサーを積んだ「DSLRムービー」が台頭し、続いてRED、Blackmagic、ソニーFS7/FS5といった、ミドル〜ローレンジのシネマカメラが続々と登場した。撮影機材は急速に民主化していった。だが肝心のシネマレンズは、依然として高価でPLマウント中心。カメラは手が届くのに、レンズが届かない——そんな歪みが生まれていた。

ここに切り込んだのが、2017年に登場したMKシリーズだ。

  • MK18-55mm T2.9MK50-135mm T2.9——スーパー35フォーマット対応。二本でほぼ18〜135mmをカバーする。
  • マウントはPLではなく、ソニーEマウントを採用(のちにXマウント版「MKX18-55」も登場)。
  • 価格は1本約3,799ドル(50万円前後)。Cabrioシリーズの設計・コーティングを受け継ぎながら、思い切ったコストパフォーマンスを実現した。

ズーム全域でT2.9の明るさを保ち、フォーカス回転角200°でピント送りは精密。クリックレス絞り、ブリージングや光軸ズレの抑制といったシネマレンズの要件を満たしつつ、片手で扱える軽さに収めた。さらにMK・HK・ZK・XKといった他のフジノンレンズと色味を合わせてあり、複数のレンズを混ぜて使ってもカットがつながる。

富士フイルムはこのMKシリーズで、従来のPLマウントのシネマレンズが10倍以上していた価格の壁を崩した。映像ジャーナリストたちはこぞって「シネマレンズを所有する時代がやってきた」と書いた。借りるものだったシネマレンズが、個人や小規模スタジオの手の中に入ったのである。

2019年、Premista——ラージフォーマットへの本気

MKが「裾野を広げる」一手だったとすれば、2019年に登場したPremista(プレミスタ)シリーズは、富士フイルムが再びハイエンドの頂へ攻め上がる一手だった。

Premistaは、近年急速に普及したラージフォーマット(フルサイズ以上)センサーのシネマカメラに対応したPLマウントのズームレンズである。最大46.3mmの大きなイメージサークルをカバーする。

  • Premista28-100mm T2.9(2019年8月)——1本でラージフォーマット用シネマ単焦点およそ6本分の焦点域をカバーする標準ズーム。
  • Premista80-250mm T2.9-3.5(2019年内)——望遠側を担う。
  • Premista19-45mm T2.9(2020年発表・2021年発売)——わずか約3.3kg・全長約230mmの広角ズーム。ステディカムやクレーンでの撮影も視野に入る軽さに収めた。

大口径非球面レンズと独自のズーム方式により、画面の隅々まで高い解像力を実現。13枚絞り羽根による円形に近いボケ、ズーム全域でのフレア/ゴースト抑制など、撮影監督の表現欲求に応える設計だ。富士フイルム北米法人は「2019年の発売以来、長編映画やハイエンドTV制作で、興奮と実使用の両面でとてつもない反響があった」と語っている。Keslow Cameraなどの大手レンタルハウスが在庫を揃え、Premistaは欧米のハイエンド制作の現場に着実に根を下ろしていった。

現場の評価——「フジの色」は動いても変わらない

では、撮影現場はフジノン・シネマレンズをどう評価したのか。

MKシリーズについては、Newsshooter、DPReview、フィリップ・ブルーム(Philip Bloom)といった世界の映像系メディア・作家が早くからレビューを公開した。共通する評価は、「この価格・このサイズで、この光学性能は驚異的」という点だ。スーパー35のシネマズームとして頼れる描写を持ち、コンパクトでKomodoのような小型機ともよく合う。一方で、開放でのブリージングや周辺の口径食を指摘する声もある。完璧な万能レンズというより、価格と性能の均衡が絶妙な「実用の名器」として受け入れられた、と言うのが正確だろう。

そして見逃せないのが、富士フイルムが2025年に投入した初のプロ向けデジタル・フィルムメイキングカメラ「GFX ETERNA 55」の存在だ。ラージフォーマットのGFXシステムにPLレンズ運用を組み合わせられる設計が示され、2026年公開のBTSでは、ドラマ「相棒」チームと撮影監督・会田正裕による実使用例も紹介された。放送で鍛えたレンズ、写真で磨いた色、そして自社のシネマカメラ——三者が一つの現場で噛み合いはじめている。

富士フイルムのシネマレンズに一貫するのは、「色」への姿勢だ。スチルのフィルムシミュレーションで知られる富士の色作りは、シネマレンズの色再現にも通底している。動く映像であっても、フジの色は変わらない。そこに、写真と映像を同じ思想で貫こうとする会社の意志が表れている。

独自の視点——映画というレンズ屋の「実験場」

ここからは筆者の見立てである。

富士フイルムにとって映画・シネマの現場は、単なる一事業ではなく、光学技術の「実験場」として機能してきたのではないか。理由は二つある。

一つは、シネマが要求する操作性の高さだ。パーフォーカル、ブリージング抑制、無段階絞り、色のマッチング——これらは写真用レンズが必ずしも突き詰めてこなかった領域だ。映画の現場で鍛えられた操作性の作法は、のちに動画性能を重視するXシリーズのレンズ設計へ静かに還流していく(第Ⅵ部・映像機としてのXで詳しく触れる)。

もう一つは、ブランドの説得力だ。ハリウッドや国内のハイエンド制作で「FUJINON」が選ばれているという事実は、写真用XFレンズにとっても無言の裏書きになる。放送用レンズと同じく、映画もまた、富士フイルムが「世界で通用する光学屋」であることを証明する舞台なのだ。

もちろん、シネマで強いことが、ただちに写真用レンズの優位を意味するわけではない。だが、撮影から鑑賞までを押さえ、放送・映画・写真のすべてで光を制してきた——この層の厚さこそが、富士フイルムというレンズ屋の正体である。

次章へ——カメラメーカーへの道

第Ⅱ部では、レンズメーカー・富士フイルムの世界を、技術的背景(第5章)、放送用レンズの覇者(第6章)、そして映画産業のフジノン(本章)という三つの章で見てきた。富士フイルムが「色を語る前に、まず光を制してきた会社」であることが、輪郭をもって見えてきたはずだ。

だが本連載の主役は、あくまでXマウントというカメラシステムである。続く第Ⅲ部では、視点を再びカメラ本体へ戻す。富士フイルムはレンズ屋であると同時に、フィルムカメラの時代から確かなカメラメーカーでもあった。第8章では、レンジファインダーから中判、そして「写ルンです」まで——デジタル以前の富士のカメラづくりをたどっていく。

出典・参考

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