X-Pro1とXマウントの設計思想——短フランジバックが開いた可能性|Xマウントの軌跡(13)

Xマウントの軌跡 富士フイルムはなぜ「色」を選んだのか (13)

X100が証明したのは、「固定レンズでも、撮る体験そのものが武器になる」という思想だった。では、その思想にレンズ交換という自由を与えたら、何が生まれるのか。2012年、富士フイルムはその問いに、まったく新しいマウントで答えた。一眼レフの常識を捨て、わずか17.7mmという短いフランジバックに賭けた一台。それがX-Pro1であり、いまに続くXマウントの出発点である。

前章では、固定レンズ機FinePix X100が世に問うた「思想」を見てきた。本章ではその思想がいかにしてレンズ交換式システムへと結実したのかを追う。主役は、初のXマウント機となったX-Pro1と、富士フイルムがゼロから設計した新マウント「Xマウント」そのものだ。なお、X-Pro1が積んだX-Transセンサーの中身は次章で、物理ダイヤルの設計思想は第15章で、AFや画像処理の進化は第16章で、それぞれ掘り下げる。ここでは「なぜ新しいマウントだったのか」「短いフランジバックが何を可能にしたのか」に焦点を当てたい。

目次

固定レンズから、システムへ

2011年春に発売されたX100は、富士フイルムの予想を超える反響を呼んだ。だが同時に、ユーザーからは当然の欲求が湧き上がる。「このカメラの画質と操作感のまま、レンズを交換したい」と。

X100は23mm F2の単焦点を固定で備えた一台だった。広角も望遠も、マクロもない。35mm相当の画角一本で世界を切り取るストイックさが魅力でもあったが、本格的に写真に取り組む者ほど、レンズ交換式への発展を望んだ。

富士フイルムにとっても、これは大きな決断だった。レンズ交換式のシステムを立ち上げるということは、ボディだけでなく、マウント、レンズ群、そして将来にわたるロードマップまでを背負うということだ。1980年代後半に35mm一眼レフから撤退して以来、富士は自社のレンズ交換式システムを持たずにいた。前章までで見たとおり、Fマウントを「間借り」したFinePix S5 Proが最後の一眼レフであり、それも他社ボディがベースだった。

つまりX-Pro1は、富士フイルムにとって四半世紀ぶりとなる、完全自社設計のレンズ交換式システムの第一歩だったのである。

なぜ、新しいマウントだったのか

ここで富士フイルムは、重要な分岐点に立つ。既存のマウントに乗るのか、それとも新しいマウントをつくるのか。

選択肢はいくつもあった。前章で見たマイクロフォーサーズの陣営に加わる道もあった。あるいは、どこかのマウントのライセンスを受ける道も。だが富士フイルムは、どれも選ばなかった。APS-Cという大きなセンサーを活かしきるために、ゼロから自分たちのマウントを設計する——それが富士の答えだった。

この判断の意味は大きい。新しいマウントをつくるということは、レンズ資産がゼロからのスタートになるということだ。発売時に揃えられるレンズは数本に過ぎず、ユーザーにとっては「将来きちんとレンズが揃うのか」という不安がつきまとう。実際、富士フイルムは発売時点で「2013年春までにさらに7本のレンズを追加する」というロードマップを示し、システムへのコミットメントを強調しなければならなかった。

それでも自社マウントにこだわったのは、ひとえに「画質を最優先する」という思想ゆえである。他人の決めた寸法に縛られず、富士が理想とする画質とシステムを、自分たちの手で設計する。その自由こそが、新マウントを選んだ最大の理由だった。

17.7mmという数字の意味

Xマウントの設計を語るうえで欠かせないのが、二つの数字だ。フランジバックと、マウント径である。

まず、フランジバック。これはレンズの取り付け基準面から撮像面(センサー)までの距離のことだ。Xマウントのフランジバックは17.7mmと、当時のミラーレス機のなかでもかなり短い部類に入る。

なぜ短さが重要なのか。一眼レフを思い出してほしい。一眼レフは、レンズとセンサーのあいだに跳ね上がり式のミラーを備えるため、フランジバックを長く取らざるを得ない(おおむね40mm以上)。この長い距離を埋めるために、広角レンズでは「レトロフォーカス」という、前に凹レンズ、後ろに凸レンズを置く複雑な構造が必要になる。これはレンズ設計上の大きな制約であり、レンズが大きく重くなる原因でもあった。

ところがミラーレスは、そもそもミラーがない。だからフランジバックを大胆に短くできる。フランジバックが短ければ、レンズの後玉をセンサーぎりぎりまで近づけられ、レトロフォーカスのような無理な設計をせずに済む。結果として、広角レンズの設計自由度が増し、素直な構成で高画質・小型のレンズを実現しやすくなる。これが「ミラーレス化でレンズ設計の自由度が増す」と言われる理屈の核心だ。

もう一つの数字、マウントの内径は約44mm。これはミラーレスとしては比較的大きめで、大口径レンズや、センサー周辺部までしっかり光を届ける設計に余裕を持たせている。富士はこの「短いフランジバック+ゆとりあるマウント径」という組み合わせに、APS-Cというフォーマットの可能性を最大化する答えを見たのである。

レンズが先か、ボディが先か——画質優先の設計

Xマウントの設計思想を一言で表すなら、「画質優先」に尽きる。

富士フイルムは、X-Pro1の開発発表の時点から「35mmフルサイズセンサー搭載機を凌ぐ解像感を実現する」と高らかに掲げていた。APS-Cという、フルサイズより一回り小さいセンサーで、より大きなセンサーの機種を解像感で上回る——。これは挑発的とも言える宣言だった。

その裏づけとなったのが、ローパスフィルターを取り払った新開発のX-Trans CMOSセンサーであり、それを支える短フランジバックのマウントと、専用設計のフジノンXFレンズ群だった。発売時のラインナップには、のちに名玉と呼ばれるXF35mm F1.4 Rなど、小型で大口径の単焦点が並んだ。マウント、センサー、レンズを三位一体で自社設計できたからこそ、富士は「画質で殴り込む」という戦略を取れたのである。

レンズ交換式カメラにおいて、マウントは数十年単位で使われ続ける「土台」だ。ボディは数年で世代交代するが、マウントの寸法は簡単には変えられない。だからこそ、最初の設計に妥協は許されない。富士フイルムがX-Pro1という一台に、これほど思想を込めたのは、それが単なる製品ではなく、その後10年以上続くシステムの礎だったからだ。

進化したハイブリッド“マルチ”ビューファインダー

X-Pro1は、X100で世界初搭載したハイブリッドビューファインダーを、レンズ交換式に対応させた「ハイブリッドマルチビューファインダー」を積んでいた。

固定レンズのX100と違い、レンズ交換式では装着するレンズの焦点距離がさまざまに変わる。そこでX-Pro1の光学ファインダーは、装着レンズに合わせてファインダー倍率を0.37倍と0.60倍で自動的に切り替え、ブライトフレーム(撮影範囲を示す枠)の大きさも変化させる仕組みを備えた。撮影情報を光学像にオーバーレイ表示でき、144万ドットの電子ファインダーへもレバー一つで切り替えられる。

これは、X100で示した「光学と電子の同居」という思想を、システムカメラへと拡張したものだ。レンジファインダー機のように光学ファインダーで世界を見ながら、必要に応じて電子ファインダーで露出やピントを精密に確認する。ライカM型を思わせるこの撮影スタイルは、X-Pro1を「デジタル時代のレンジファインダー」とも呼ばれる独特の地位に押し上げた。

「ペケ」と呼ばれた日々——Kaizenの出発点

だが、X-Pro1は最初から完成された名機だったわけではない。むしろ、その船出はかなり荒いものだった。

発売当初のX-Pro1は、オートフォーカスが遅く、操作性もこなれていなかった。富士フイルムの担当者は、後年のインタビューでこう振り返っている。

X-Pro1、X-E1を発売したとき、多くの著名な写真家に評価していただいたのですが、「初めて使ったときは(AFが思い通りに行かず、操作性や機能もこなれていなかったので)投げつけてやろうかと思った」と言う人もいました。しかし、一方で出てくる画の質は最高だ。そこだけは認めようと。

当時、「X」を「エックス」ではなく「ペケ」——つまりバツ印、失敗の意——と揶揄するカメラマンさえいたという。画質は誰もが認める。だが、道具としての使い勝手は時代遅れだった。これが、生まれたばかりのXシステムが背負ったハンディキャップだった。

しかし、富士フイルムはここから粘り強く改善を重ねていく。担当者の言葉を借りれば、X100SはX100に対して70箇所以上、X-E2はX-E1に対して60箇所以上の改良を施したという。さらに、発売後のファームウェアアップデートでも機能向上を続けた。買ったあとも進化し続ける——のちに富士フイルムの代名詞となる「Kaizen(改善)」の思想は、まさにこのX-Pro1の苦い船出から始まったのである。

そして、かつて「ペケ」と呼んだカメラマンの一人は、のちに180度態度を変え、熱心なX愛好家になったという。画質という揺るがぬ芯を信じ、使い勝手を地道に磨き続けた富士の姿勢が、ユーザーの信頼を勝ち取っていった証だ。

独自の視点——「閉じたシステム」という覚悟

X-Pro1とXマウントの誕生を、三つの視点から整理しておきたい。

第一に、富士フイルムは「自前のマウントをゼロからつくる」という、もっとも険しい道を選んだ。既存マウントに乗れば、レンズ資産も開発リソースも節約できた。だが富士は、画質とシステムを自分たちの理想どおりに設計する自由を取った。この選択は、レンズ資産ゼロからの苦しいスタートを意味したが、同時に、他社の都合に縛られない独自性の土台にもなった。前章のX100で見た「借り物ではない、自前の武器で戦う」という姿勢が、マウント設計というもっとも根源的なレベルで貫かれたのである。

第二に、X-Pro1は「画質さえ本物なら、欠点は後から直せる」という富士の信念を体現していた。AFの遅さも操作性の粗さも、ファームウェアと後継機で改善できる。だが、画質を生む土台——マウント、センサー、レンズの設計——だけは、最初に妥協すれば取り返しがつかない。富士はそこに資源を集中し、使い勝手は時間をかけて育てる道を選んだ。荒削りな船出と、その後の地道な改善の物語は、この優先順位の必然的な帰結だった。

第三に、X-Pro1は「フルサイズを作らない」という、のちのXマウントの基本姿勢を最初から内包していた。APS-Cで、フルサイズを凌ぐ解像感を狙う。短いフランジパックとゆとりあるマウント径で、小型・高画質のレンズ群を展開する。この設計思想は、姉妹連載「APS-Cクロニクル」第10章で論じられる「なぜXマウントはAPS-C専業であり続けるのか」という問いと深く結びついている。フォーマット選択の経営的・市場的な含意はそちらに譲るが、その技術的な原点が、ここX-Pro1のマウント設計にあったことは記しておきたい。

ゼロからマウントを起こし、画質に賭け、荒削りなまま世に出し、そして改善し続ける。X-Pro1は、富士フイルムがXシステムという長い旅に踏み出した、その第一歩だった。次章では、この一台が積んだ最大の挑戦——銀塩フィルムの粒子に着想を得た独自のセンサー「X-Trans CMOS」の功罪へと話を進めよう。


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