Xマウントの軌跡 富士フイルムはなぜ「色」を選んだのか (17)
なぜ、人は富士フイルムの「色」に恋をするのか。鮮やかな青空、血色のよい肌、どこか懐かしい風景——それらは偶然の産物ではない。富士フイルムが90年近くフィルムを作り続けるなかで磨いてきた、「色とは何か」という問いへの答えそのものだ。本章では、Xシリーズの心臓である「色」の源流を、銀塩フィルムの時代にまで遡って探る。鍵となるのは、ひとつの言葉である——「記憶色」。
第Ⅳ部までで、Xマウントというシステムの誕生と、それを支えるセンサー・エンジン・デザインの技術を見てきた。ここからの第Ⅴ部では、いよいよこの連載の中核——富士フイルムの「色」と「表現」に分け入っていく。その最初の一歩となる本章のテーマは、技術そのものではなく、その奥にある思想だ。富士フイルムはなぜ、これほどまでに色にこだわるのか。そのこだわりは、デジタルカメラのはるか手前、銀塩フィルムの色設計から脈々と受け継がれてきたものである。
「記録」ではなく「記憶」——富士の色の根本思想
まず、富士フイルムの色づくりを理解するうえで欠かせない対立軸がある。「記録色」と「記憶色」だ。
記録色とは、目の前の被写体を測色的に正確に写し取った色——いわば、物理的に「正しい」色である。一方の記憶色とは、人が頭の中で覚えている色、印象として残る色を指す。たとえば青空を思い出すとき、人の記憶の中の空は、実際の測定値よりもいくぶん鮮やかな青であることが多い。新緑も、実物より少し生き生きとした緑として記憶される。
富士フイルムの色づくりは、長らくこの「記憶色」の側に軸足を置いてきた。開発陣自身も、富士の考える記憶色とは「測色に近い忠実な色再現をベースにしながらも、写真として見たときに自然で心地よいと感じられる色を目指したものだ」と語っている。ただ正確に写すだけでは足りない——人の心が「美しい」と感じたあの瞬間の色を、もう一度立ち上げること。それが富士の目指してきた色だった。
この思想は、富士フイルムが2025年に掲げたブランドタグライン「愛おしさという哲学」にも通じる。コンセプトムービーは語る。「どれほど解像度が高く、どれほど正確な一枚が撮れても、愛おしさまで写すことは難しい」。追い求めるべきは、目新しいだけの機能ではなく、「人の記憶を揺さぶる光」だと。正確さの先にある、心を動かす色——富士の色への執着は、ここに源流を持つ。

肌の色への執着——わずかなマゼンタという設計
記憶色の思想がもっとも繊細に表れるのが、肌の色の再現だ。
ポートレートを撮る人なら誰もが知るように、富士フイルムのカメラは「肌がきれいに写る」と長く評価されてきた。これは感覚的な印象だけの話ではなく、色設計の方向性に裏づけがある。富士フイルムの開発陣は、リバーサル系のフィルムシミュレーションであるPROVIA・ASTIA・Velviaが、測色的な正解よりも少しマゼンタ(赤み)寄りに振られていると説明している。青空のヌケのよさを出すためにわずかにマゼンタへ転がす——その同じ発想は肌の再現にも通じており、肌の血色をよく見せるために、ほんのわずかに赤みを乗せているのだという。これは「正しくない」色だ。だが、人物の肌に薄く赤みを足すことで、被写体は健康的に、生き生きと見える。測色の正解から意図的にずらすことで、人が「美しい」と感じる記憶色へ近づける——肌の色は、その思想の凝縮された一例なのである。
逆に、彩度を抑えたクラシッククロームのスキントーンはウォーム(暖色)方向にシフトしている、といった具合に、富士は色ごと・明度ごとに緻密な味つけを施している。「肌をどう見せたいか」という問いに対する答えが、ひとつひとつの色設計に刻まれているのだ。

REALAと「第4の感色層」——人間の眼に挑んだ色科学
では、この色への執着は、いつ、どのように技術として結実したのか。その象徴が、1989年に発売されたカラーネガフィルム「フジカラー REALA(リアラ)」である。
REALAは、世界で初めて「第4の感色層技術」を導入したフィルムだった。通常のカラーフィルムは、赤・緑・青の光に反応する3つの感色層から成る。だがそれだけでは、人間の眼が実際に感じている色との間に、どうしてもズレが生じる。とりわけ紫や黄緑といった複雑な色は、忠実に再現するのが難しかった。
そこで富士フイルムは、人間の眼の光応答理論を研究し、4層目の感色層を加えた。海外の技術解説によれば、この第4の層はシアンに感応する層で、人間の眼の感度特性(CIE等色関数における赤の応答曲線の負の部分)を模したものだという。これにより、従来は困難だった黄緑や紫の領域で、格段に高い色再現精度が得られるようになった。「目で見たままに近い忠実な色再現」——REALAが掲げたこの理想は、まさに人間の眼そのものに技術で挑んだ成果だった。
この第4の感色層技術は高く評価され、REALAは独立行政法人国立科学博物館により「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」に登録されている。さらにこの技術は、映画用フィルム「REALA 500D」にも展開され、シネマの世界でも忠実な色再現を支えた。
そして時を経て、この名と思想はデジタルへと甦る。2023年に登場した「REALA ACE」は、第4の感色層技術を導入したネガフィルムREALAをルーツとするフィルムシミュレーションだ。写真家・内田ユキオはこのREALA ACEについて、ネガフィルムとしての歴史を背負った色だと語る。銀塩時代に「人間の眼に近づこう」とした執念が、デジタルカメラの色として再び息を吹き返したのである。

リバーサルフィルムが刻んだ「発色の記憶」
REALAがネガフィルムの色科学を代表するなら、もう一方の系譜がリバーサルフィルム(ポジフィルム)だ。
富士フイルムは、Velvia・PROVIA・ASTIAという3本のリバーサルフィルムを世に送り出してきた。これらは現在もフィルムシミュレーションの名として残るが、もとは実在するフィルムの銘柄であり、それぞれが明確に異なる色の個性を持っていた。
Velviaは、心が高鳴るような大胆な彩度が身上だ。その鮮烈で迫力ある発色は多くの風景写真家を惹きつけ、富士の「記憶色」を象徴するフィルムとして愛されてきた。対してPROVIAは、自然で落ち着いた色味が持ち味だ。Velviaが色を鮮やかに盛った記憶色なら、PROVIAはどぎつくない、ナチュラルでやさしい色を描く。そしてASTIAは、鮮やかな発色を保ちながらも階調がやわらかく、肌の血色がよく写るため人物撮影に向く——青や緑の記憶色が美しく出るよう作られている。
この「風景のVelvia」「標準のPROVIA」「人物のASTIA」という色の描き分けは、フィルムという物理的な製品として、撮影者の体に刻み込まれていた。フィルムを選ぶことは、色を選ぶことだった。のちにXシリーズが「フィルムを取り替えるように色を選べる」機能を載せたとき、その発想の土台には、こうしたリバーサルフィルムが残した「発色の記憶」があったのだ。

「フィルムの模倣」ではない——色を移植するという執念
ここで、ひとつの重要な事実を押さえておきたい。富士フイルムのフィルムシミュレーションは、しばしば「往年のフィルムの色を再現したもの」と語られる。だが、開発者自身の説明は、もう少し踏み込んだものだ。
2020年のデジカメ Watchのインタビューで、画質設計を担う入江公祐氏(光学・電子映像商品開発センター 技術マネージャー)らは、フィルムシミュレーションの設計思想を語っている。その要点を、開発陣の発言をまとめた記録から引くと——フィルムシミュレーションは個別のフィルムを単純に模倣したものではなく、各フィルムが目指した「理想の画質」をデジタルで実現することを目標としたものだ、という。
つまり、Velviaという銘柄の分光特性をそっくりコピーしているのではない。Velviaというフィルムが「こう写したい」と狙っていた理想——心が高鳴る鮮やかさ——を、デジタルの画づくりとして立ち上げ直している。だからこそ、富士は「フィルムを取り替えるように楽しめるのであって、フィルムの色味を模倣したものではない」と慎重に言葉を選ぶ。一見、言葉遊びのようにも聞こえるが、ここには富士の矜持がある。模倣ではなく、思想の移植なのだ。

この色づくりは、長年のフィルム研究で培った色再現技術をデジタルへ応用したものだと、富士自身が説明している。開発陣の証言からは、その緻密さもうかがえる。たとえばフィルムシミュレーションの中でもPRO Neg.系は、もっとも測色に近い素直な特性を持つ。モノクロはPROVIAをベースにグレースケール化したものだが、ACROSはフィルムの分光感度曲線を参考に、色に対するグレーのトーンを再現させている——一本一本の色とトーンに、フィルムメーカーとしての知見が注ぎ込まれている。
銀塩フィルムで人間の眼に挑み、リバーサルで発色の記憶を刻んだ富士フイルム。その色への執念は、デジタルの時代になっても薄れるどころか、「理想の画質をデジタルで実現する」という新たな挑戦として受け継がれた。これこそが、Xシリーズが「色で選ばれる」理由の源流である。
富士フイルムの色への執着を、三つの視点から整理しておきたい。
第一に、富士の色は「設計された記憶」だという点だ。記憶色という思想は、ともすれば「盛った色」「不正確な色」と批判されうる。実際、忠実さを求める層からは、記憶色は写真と現実が乖離してリアルではない、という反発もあった。だが富士は、測色的な正解から意図的にずらすことで、人の心に残る色を作り出す道を選んだ。これは技術的な妥協ではなく、「人は何を美しいと感じるか」という問いに対する、明確な美学的選択である。
第二に、富士の色は「フィルムメーカーだからこそ」の蓄積に支えられている。REALAの第4の感色層が示すように、富士は人間の眼の応答特性を研究し、色科学の最前線で技術を磨いてきた。この蓄積は、一朝一夕にスペックで追いつけるものではない。他社がセンサーやAFのスペックで競うなか、富士が「色」という土俵で独自性を保てるのは、90年分の色の知見という堀があるからだ。

第三に、富士の色は「移植され、進化し続ける」ものだという点だ。フィルムシミュレーションは、過去のフィルムを懐かしむための機能ではない。REALA ACEのように、銀塩時代の理想がデジタルで甦り、新たな色として再設計される。富士の色は博物館の標本ではなく、いまも更新され続ける生きた思想なのである。
次章では、いよいよその思想が結実したひとつひとつの色——PROVIA、Velvia、クラシッククローム、ETERNAといったフィルムシミュレーションの系譜を、一本ずつ解きほぐしていく。
出典
- 富士フイルム公式「色調や階調をコントロールしてみませんか?」(フィルムシミュレーションとは/リバーサル・ネガ・モノクロ・映画用フィルムの再現/記憶色の思想) https://fujifilm.jp/support/digitalcamera/knowledge/color_control/index.html
- デジカメ Watch「カラーネガフィルム『フジカラーREALA』が未来技術遺産に登録」(世界初の第4の感色層技術/1989年発売/人間の眼の光応答理論/紫・黄緑の再現/国立科学博物館登録) https://dc.watch.impress.co.jp/docs/news/1080348.html
- Cinematography.com「Fuji’s 4th Layer Technology」(第4の感色層=シアン感応層/CIE等色関数の赤応答曲線の負の部分を模す/黄緑・紫の精度向上/REALA 500Dも同技術) https://cinematography.com/index.php?/forums/topic/14122-fujis-4th-layer-technology/
- 富士フイルム「フジカラー REALA ACE データシート」(第4の感光層の付与/軟調設計/忠実で自然な色再現性) https://asset.fujifilm.com/www/jp/files/2024-04/2dca996da7fa6b3e34edda4c943870c2/datasheet_realaace_01.pdf
- デジカメ Watch「富士フイルムのフィルムシミュレーションはどのようにつくられているのか(前編)」(入江公祐氏ら開発者インタビュー/フィルム製造の蓄積を背景にした色再現) https://dc.watch.impress.co.jp/docs/interview/1291049.html
- irodori-x「写真家・内田ユキオのREALA ACEへの思い 〜後編:デジタルで甦る」(REALA ACEのネガフィルムとしての歴史/GFX100 IIへの搭載) https://irodori-x.com/special/17419/
- irodori-x「色に恋する富士フイルムの秘密〜tsubaki vol.3」(長年のフィルム研究で培った色再現技術をデジタルへ応用) https://irodori-x.com/column/26169/
- カメラのナニワ「【独断と偏見で選ぶ】オススメフィルムシミュレーション5選」(PROVIA・Velvia・ASTIAはリバーサルフィルムの再現/青・緑の記憶色がきれいに写る設計/ASTIAは肌の血色・ピンクの発色) https://www.cameranonaniwa.co.jp/blogs/2220580581/
- 富士フイルム「愛おしさという哲学。」ブランドサイト(フィルムメーカーがこだわり抜いたデジタルカメラ/人の記憶を揺さぶる光) https://www.fujifilm-x.com/ja-jp/special/x-gfx-brand/

