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アツデンの歴史|圧電技術の町工場から世界の映像現場へ(1)

AZDEN
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1952年、東京・杉並区で生まれた小さな電気部品メーカー。70年以上を経たいまも、世界の映像制作・放送・礼拝の現場で静かに使われ続ける——アツデン(Azden)。国内ではほとんど知られていないこのブランドの全貌を、5回の連載で読み解く。

アツデン(Azden)という名前を聞いて、すぐにピンとくる映像制作者はどれくらいいるだろうか。 ヨドバシカメラでもビックカメラでも都心の大型店でなければなかなか置いていない。YouTubeでレビュー動画を探しても、ほとんど見つからない。けれど、この会社は1952年から70年以上にわたって音響機器を作り続けている。しかも、北米の映像・放送・礼拝の現場では「知る人ぞ知る」どころか、ふつうに使われているブランドだ。

この第1回では、アツデンがどのように生まれ、どんな時代を経て現在の姿になったのかを、公式の沿革データをもとに追いかける。戦後日本の電子産業と歩みをともにしたその軌跡は、機材選びの背景知識としても読み応えがあるはずだ。


創業期(1952〜1966年)|電気部品メーカーとしての出発

1952年:日本圧電気株式会社として設立

アツデンの前身は 日本圧電気株式会社1952年8月16日、創業者・佐藤孝平 によって東京・杉並区に設立された。

1952年といえば、日本でテレビの本放送が始まる前年だ。ラジオが家庭の娯楽の中心で、テレビはまだ「未来の技術」だった時代。国内の電気・電子産業がまさに立ち上がろうとしていた。

社名にある「圧電気」とは、ピエゾ効果(圧電効果) を持つ素材・技術を指す。簡単に言えば、「力を加えると電気が発生する」素材のことだ。レコードの針がレコード盤の溝をなぞるとき、その微細な振動を電気信号に変換するのが圧電素子の役割だった。創業者の佐藤孝平は、この圧電技術を核にした音響部品の製造を事業の柱に据えた。

いまの映像制作者にとってはピンとこないかもしれないが、「音を電気に変える」「電気を音に変える」という技術は、マイクロフォンそのものの原理だ。アツデンの出発点には、のちのマイクメーカーとしてのDNAがすでに埋め込まれていたことになる。

1955年:レコードカートリッジの量産と三鷹への移転

創業から3年後の1955年、同社は 弾性体アマチュアカートリッジ(レコードプレーヤー用の針先部品)の量産を開始する。

当時の日本では洋楽ブームが始まりつつあり、レコードプレーヤーの需要が伸びていた。カートリッジはレコード再生の心臓部ともいえる精密部品で、この分野での量産体制を確立したことが、同社の技術力の基盤となった。

同年、主力工場を杉並区から 東京都三鷹市 へ移転。現在の本社所在地(三鷹市上連雀1-12-17)に至るまで、同社は三鷹を拠点として活動を続けている。

1957〜1961年:品質管理体制の整備と外部評価

1957年には 恒温恒湿室専用変電所が完成。精密部品の品質を安定させるための環境が整った。温度や湿度の変動は、圧電素子の特性にダイレクトに影響する。この投資は「良いものを安定して作る」という同社の姿勢を象徴している。

1958年にはオートレコードチェンジャーの開発に着手。レコードを自動で入れ替えてくれる機構だ。いまで言えば、プレイリストを自動再生するようなものだ。

1961年、創業者・佐藤孝平は 東京都知事賞 を受賞。発明の功績が外部から認められた最初の大きな節目だ。

1963〜1966年:部品メーカーから完成品メーカーへ

1963年、同社は ジュークボックス の製造を開始する。さらにラジオを内蔵したポータブルミュージックプレーヤーの開発にも着手した。部品を作る側から、製品を作る側への転換が始まった時期だ。

1966年には 高性能セラミックカートリッジダイナミックカートリッジ の量産を開始。同年、電子会計機を導入。エレクトロニクスショーへの出展も果たした。

この時期、同社の事業領域はレコード部品・家電へと広がっていた。まだマイクの「マ」の字も出てこない。だが、音を電気信号に変換するという技術の軸だけは、一貫して保たれていた。


転換期(1967〜1979年)|ワイヤレスとマイクへの軸足移動

1967年:ワイヤレス技術への参入

1967年、アツデンは ワイヤレス(無線)技術 の分野に足を踏み入れる。

いま「ワイヤレスマイク」と聞けばRØDE Wireless GOやDJI Micを思い浮かべる人が多いだろう。だが、アツデンがワイヤレス技術に取り組み始めたのは、それらの製品が登場する50年以上も前のことだ。

この決断が、後に同社の主力事業となるワイヤレスマイクシステムの出発点になる。

1968〜1970年:コンデンサーマイクロフォンの研究開発

1968年、同社は エレクトレットコンデンサーマイク の研究開発を開始する。

コンデンサーマイクは、現在のショットガンマイク・ラベリアマイクの多くが採用している方式だ。ファンタム電源(48V)やプラグインパワーで駆動するタイプのマイクは、ほぼすべてこの技術がベースになっている。

1970年には 磁気ヘッドコンデンサーマイクユニット の生産を開始。カートリッジ・ジュークボックスという従来事業に加え、マイクロフォンという新しい柱が立ち始めた。

ここまでの流れを整理すると、こうなる。

年代主な事業技術の核
1950年代レコードカートリッジ圧電素子
1960年代前半ジュークボックス・家電圧電+電子回路
1960年代後半ワイヤレス技術無線通信
1970年コンデンサーマイクユニット圧電+無線+音響

一見バラバラに見えるが、「音を電気信号に変える」という根本技術は共通している。

1969年:紫綬褒章——技術者への国家的評価

1969年、創業者・佐藤孝平は ロッシェル塩圧電素子 に関する発明の功績で 紫綬褒章 を受章した。

ロッシェル塩は圧電効果を持つ結晶素材で、初期のマイクやカートリッジに広く使われていた。佐藤孝平はこの素材の実用化に大きく貢献した人物ということになる。紫綬褒章は学術や技芸の功労者に贈られる褒章で、マーケティングではなく「技術の実績」に対する評価だ。

同年、通産省(現・経済産業省)より輸出貢献企業として表彰を受けている。1960年代末の時点ですでに、同社の製品が海外に出ていたことが公的に認められていた。

1978年:アマチュア無線事業への参入

1978年、同社はアマチュア無線機器事業にも参入し、JAIA(日本アマチュア無線機器工業会)フェア に出展した。

アマチュア無線は1970〜80年代の日本で大きなブームとなっており、無線通信技術を持つアツデンにとっては自然な展開だった。この事業は現在も続いており、同社の公式サイトにはリニアアンプなどのアマチュア無線関連製品が掲載されている。


第二世代と海外展開(1980〜1999年)

1980年:創業者の逝去と世代交代

1980年、創業者・佐藤孝平が逝去した。長子の 佐藤文典 が新社長に就任し、母の 佐藤信子 が会長となった。創業者は没後、生涯の発明への貢献に対して 勲四等瑞宝章 が追贈された。

紫綬褒章と勲四等瑞宝章。褒章と叙勲の双方を受けた創業者を持つ音響メーカーというのは、国内でもかなり珍しい部類に入る。

1983〜1984年:米国進出——なぜニューヨークだったのか

1983年、同社は シカゴに米国事務所を開設。翌1984年には岩手県の音響部品メーカー岩手北辰株式会社を買収し、岩手アツデン株式会社 に商号変更した。

さらに1984年、シカゴにAZDEN CORPORATION(米国法人)を設立。同年10月には拠点を ニューヨーク に移転した。

なぜニューヨークなのか。

ニューヨークには B&H Photo Video をはじめとするプロ向け映像・音響機材の一大集積地がある。放送局(ABC・NBC・CBS)の本部もニューヨークにあり、北米の映像・音響ビジネスの中心地だ。アツデンがプロ市場への本格参入を狙うなら、ニューヨークに拠点を置く必要があった。

この判断は、のちに同社が北米市場で一定の地位を築く土台となる。

1989〜1993年:現在の製品ラインの原型

1989年、オーディオアクセサリー・ヘッドフォン・マイクロフォンの量産を開始した。現在の同社の主力製品——ショットガンマイク、ワイヤレスマイクシステム、ラベリアマイク——に直結するカテゴリーがこの時期に揃い始める。

1993年、会社名を正式に アツデン株式会社 に変更。現在も続く日本法人の正式社名は、このとき確立された。なお、米国法人はすでに1984年に AZDEN CORPORATION として設立されており、日米でブランド名が統一された形となった。

1994年:発明賞・笹川特別賞

1994年、日本発明振興協会・日刊工業新聞社共催の 第19回発明大賞・笹川特別賞 を受賞。創業者から引き継がれた技術開発の姿勢が、第二世代でも継続的に評価されていたことを示す。

1995年:NABショー初出展と携帯電話市場への参入

1995年、アツデンは NABショー(National Association of Broadcasters) に初出展した。

NABショーは、毎年春にラスベガスで開催される放送・映像産業の世界最大規模の展示会だ。ソニー・パナソニック・キヤノンといった大手も出展する場で、アツデンのようなニッチメーカーがブースを構えるというのは、北米市場への本気度を示すものだった。

同年、携帯電話用レシーバーの量産も開始。急拡大する携帯電話市場にも対応する柔軟さを見せた。

1998年:科学技術庁長官賞

1998年、佐藤文典社長が 科学技術庁長官賞(科学技術振興功績者)を受賞。創業者に続き、第二世代の経営者も技術功績で国から表彰されるという、技術者一族の系譜が続いた。


現代(2000年以降)|品質管理と体制整備の時代

2004年:岩手工場がISO14001取得

2004年、岩手工場がISO14001認証を取得。ISO14001は環境マネジメントシステムの国際規格で、製造拠点としての環境管理体制が国際基準で認められたことを意味する。

2016年:法人統合

2016年、別法人として運営していた 岩手アツデン株式会社を吸収合併。製造と管理の一元化を図り、現在の企業体制が確立された。


70年の歴史が語ること

アツデンの歴史を通しで読むと、いくつかの特徴が浮かび上がる。

早い段階での海外志向

1969年の輸出貢献表彰、1983年の米国事務所開設、1984年の米国法人設立。同社は創業から30年余りで海外市場に本格参入している。現在、北米での認知度が日本よりも高いのは、この早期の海外投資の結果だ。

③受賞歴が示す「技術で評価される会社」

紫綬褒章・勲四等瑞宝章・発明大賞・科学技術庁長官賞。

これらはすべて、マーケティングではなく技術と発明に対する評価だ。アツデンは「広告で知られる会社」ではなく、「技術で認められてきた会社」だということを読み取れる。


アツデン年表

出来事
1952日本圧電気株式会社設立(創業者:佐藤孝平)、東京・杉並区
1955弾性体アマチュアカートリッジ生産開始、三鷹市に工場移転
1957恒温恒湿室・専用変電所完成
1958オートレコードチェンジャー開発開始
1961佐藤孝平、東京都知事賞受賞
1963ジュークボックス製造開始
1966高性能カートリッジ量産、電子会計機導入、エレクトロニクスショー出展
1967ワイヤレス技術分野に参入
1968エレクトレットコンデンサーマイク開発研究スタート
1969佐藤孝平、紫綬褒章受章。輸出貢献表彰
1970磁気ヘッド・コンデンサーマイクユニット生産開始
1978アマチュア無線事業参入、JAIAフェア出展
1980創業者・佐藤孝平逝去。佐藤文典が社長就任。勲四等瑞宝章追贈
1983シカゴに米国事務所開設
1984岩手北辰を買収、岩手アツデン株式会社に商号変更。シカゴにAZDEN CORPORATION設立、10月NY移転
1989オーディオアクセサリー・ヘッドフォン・マイク量産開始
1993アツデン株式会社に社名変更
1994第19回発明大賞・笹川特別賞受賞
1995NABショー初出展。携帯電話用レシーバー量産開始
1998佐藤文典、科学技術庁長官賞受賞
2004岩手工場ISO14001認証取得
2016岩手アツデン株式会社を吸収合併

次回予告

第2回では、アツデンが現在どんな製品を作っているのかを整理する。ショットガンマイク・ワイヤレスマイクシステム・ラベリアマイクの各セグメントについて、現行モデルと価格を具体的に紹介する。


アツデンのマイク、使ってる?アツデンの歴史

  1. アツデンの歴史|圧電技術の町工場から世界の映像現場へ
  2. アツデンの主要製品|ショットガン・ワイヤレス・ラベリア モデル解説
  3. なぜアツデンは知られていないのか|販路と認知度の構造を読み解く
  4. アツデンと教会市場|北米の教会音響市場が支えた日本メーカーの海外展開

参考

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