日本での爆発的普及と世界での利用分布

Evernoteの現在地、更新するか、否か(2)

日本のEvernoteユーザーには、独特の熱量がありました。書店に専門のムック本が平積みされ、ビジネス誌が特集を組み、「情報整理術」という文脈で語られる。海外の生産性ツールがここまで一般層に浸透した例は、そう多くありません。

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日本語対応から日本法人設立まで

日本語への正式対応は2010年3月です。同年6月には日本法人であるエバーノート株式会社(東京・中央区)が設立されました。米国のスタートアップが、サービス開始からわずか2年で日本に現地法人を置いたことになります。この速度自体が、Evernoteが日本市場をどれだけ重視していたかを物語っています。

さらに、同時期にはiモード対応のフィーチャーフォンからも利用できるようになりました。スマートフォンがまだ普及の途上にあった日本の事情に、明確に合わせにいった判断です。

2014年11月10日には日本経済新聞社との資本・業務提携が発表され、2,000万ドル(当時のレートで約23億円)の出資を受けています。この提携により、2015年初頭からノートの内容に応じて日経電子版の記事が表示される「コンテキスト」機能が提供され、記事をノートに引用することもできるようになりました。出資額の規模を考えれば、日本市場が単なる一販売地域ではなく、戦略上の要衝として扱われていたことがわかります。

なぜ日本でこれほど受け入れられたのか

理由はひとつではありませんが、いくつかの要因が重なったと考えられます。

第一に、日本には手帳文化と文房具文化の厚い土壌がありました。システム手帳、京大式カード、「超」整理法。情報を蓄積し、分類し、検索するという営みには長い前史があります。Evernoteはそのデジタル版として、既存の語彙で説明できる製品でした。まったく新しい概念を持ち込むのではなく、すでにある実践をクラウドに接続した。この位置づけがわかりやすかったのです。

第二に、紙のスキャン需要です。日本のオフィスと家庭は紙の書類が多く、名刺交換の慣習も根強い。富士通のScanSnapに代表されるドキュメントスキャナとEvernoteの組み合わせは、「紙をなくす」という具体的な課題に対する現実的な解答でした。スキャンした画像がそのままOCRで検索可能になるという体験は、当時としては魔法に近いものでした。この組み合わせの強さは、いまなおEvernoteを使い続ける理由として挙げられ続けています。

第三に、書き手の存在です。2010年前後の日本には、ブログや書籍を通じて仕事術・情報整理術を発信する層が厚くありました。彼らがEvernoteを題材にしたことで、使い方の型が大量に流通した。ツールは、使い方の物語がセットになったときに普及します。日本のEvernoteには、その物語が豊富にありました。

筆者自身も、この時期に流通した「とりあえず全部Evernoteに入れる」という運用を素直に受け入れた一人です。当時作ったノートは、いまも検索に引っかかります。15年前の自分のメモが一瞬で出てくるという体験は、他のどのツールでもまだ再現できていません。

世界のどこで使われていたのか、いま誰が使っているのか

Evernoteは、かつて米国のレッドウッドシティに本社を置き、オースティン、サンディエゴ、北京、ニューデリー、東京、チューリッヒといった都市にオフィスを構えていました。この配置を見れば、北米・欧州・東アジア・南アジアをまたぐ展開を志向していたことがわかります。

地域別のユーザー数について、Evernoteは近年ほとんど公式な数字を出していません。したがって「どこで使われているか」を正確に語ることは難しく、断定は避けるべきです。ただし、いくつかの傍証はあります。

第一に、日本語版ブログとヘルプが継続的に整備され続けていること。第二に、価格改定のたびに日本語圏と中国語圏のSNSで大きな反応が起きること。第三に、中国語圏では法律家や研究者による活用事例が現在も記事として書かれていること。これらから、東アジア圏に濃い利用者層が残っていると推測することはできます。

一方で、Evernoteの事業拠点は2023年にヨーロッパへ移りました。親会社のBending Spoonsはイタリア・ミラノの企業です。製品を作る側の重心は、いまや完全に欧州にあります。ユーザーの分布と開発拠点の分布が一致しなくなったことは、この製品の現在地を考えるうえで見落とせない変化です。

日本法人の解散と、それが引き起こした誤解

2024年4月26日付の官報に、日本法人エバーノート株式会社の解散公告が掲載されました。これは大きな話題になり、SNSでは「Evernoteがサービス終了する」という誤解が広がりました。

実際には、日本法人の解散はサービスの終了を意味しません。Bending Spoonsによる買収後、業務の大半が欧州本社に集約された結果として、日本の現地法人が役割を終えたというのが実態です。サービス自体は日本語で継続して提供されています。翌27日には公式アカウントが「日本国内のお客様はこれまでと同様にEvernoteのご利用が可能です」「日本法人の閉鎖は単に組織再編の一環」と投稿し、混乱を招いたことを謝罪しました。

ただし、この騒動が示したものは無視できません。ITmediaの報道が指摘したように、告知の不足とサービス内容の変更が重なった結果、ユーザーの信頼が損なわれていました。「解散」という一語だけで「終了」と信じてしまうほどに、そのときすでにユーザーの不安が高まっていた。事実としては誤報でも、そう受け取られる下地があったことのほうが重要です。

2010年に日本法人を作り、2014年に日経から出資を受け、2024年に日本法人をたたむ。この14年の軌跡は、Evernoteという製品が日本と結んだ関係の濃さと、その関係が変質していった過程を、そのまま示しています。

次章では、その変質の最大の要因、つまり製品そのものの品質問題に踏み込みます。


出典

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