多すぎるバグとシェア喪失の理由

Evernoteの現在地、更新するか、否か(3)

ソフトウェアは、機能が足りないことではなく、見込んだ動作をしないことで見限られます。Evernoteが失ったものを考えるとき、この区別は重要です。

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2020年、v10という分水嶺

2020年後半、Evernoteはバージョン10、いわゆるv10をリリースしました。これは単なるアップデートではなく、Electronフレームワークを用いてゼロから書き直された完全な作り直しでした。複数のプラットフォームのコードベースを一本化し、保守を楽にし、今後の開発速度を上げる。そういう判断でした。

技術的には理解できる選択です。Windows版、Mac版、Web版、モバイル版をそれぞれ別チームで育てるのは、小さな企業にとって重い負担です。しかし実際にユーザーの手元に届いたものは、遅く、重く、しかもこれまでできていたことができなくなったアプリでした。

英語版Wikipediaはv10の問題を「Controversies」の項で明示的に扱っています。そこで指摘されているのは、従来のWindows版やiOS版と比べて動作が大幅に遅いこと、多くの機能が削除されたこと、そしてキーバインドがハードコードされていたためトルコ語、ラトビア語、ポーランド語など一部の標準キーボード配列で正しく入力できなかったことです。

最後の例は象徴的です。ノートアプリで文字が打てないというのは、機能の不足ではなく基礎の欠陥です。のちにショートカットのカスタマイズが可能になり、削除された機能の一部も戻されましたが、失われた信用は戻りませんでした。

同時に進んだ制限の強化

悪いことに、v10の安定化が進む前に、制限の強化が重なりました。

典型例が、端末数制限の扱いの変更です。無料プランの端末接続数には以前から上限がありましたが、ブラウザでWeb版を見る分にはカウントされていませんでした。これがv10への移行と同じ2020年10月にカウント対象となり、手持ちの端末すべてで使えなくなった人が急増しました。アプリが重くなったと同じタイミングで、使える範囲が狭くなった。ユーザーから見れば、これは単なる改悪です。さらに2024年8月6日からは、無料プランで同時に接続できる端末が1台のみに絞られました。

さらに2023年12月4日、無料プランの上限が大幅に引き下げられます。ノート数は最大10万から50へ、ノートブック数は最大250から1へ。この変更は新規ユーザーだけでなく既存の無料ユーザーにも適用されました。すでに50を超えるノートを持っている人は、閲覧・編集・エクスポート・共有・削除はできるが、新規作成はできない。データの所有権は守られたものの、実質的な無料利用は終わりました。

無料プランの変化(2023年12月4日)
ノート数:最大10万 → 50
ノートブック数:最大250 → 1
月間アップロード容量:60MB(従来どおり)

ビジネスとしての理屈はわかります。無料ユーザーの比率が極端に高いサービスは、ストレージと帯域のコストを廃業するまで背負い続けることになる。しかし、製品の品質が下がっている時期に制限を強めれば、ユーザーは「悪くなったのに高くなった」と受け取ります。順番が逆だったということになります。

シェアを失った理由を分解する

「v10が悪かったから」という説明では、半分しか説明できていません。もう少し分解してみます。

理由の一:中核機能の改善が長く止まっていた

2010年代中盤から後半にかけて、Evernoteのエディタはほとんど進化しませんでした。この間に、エディタ体験を話題にした新世代のツールが次々に登場します。ブロック単位で自由に組み替えられる編集体験や、Markdownを前提にした軽快なエディタ。「保存して検索できる」だけでは、もはや差別化要因にならなくなっていました。

理由の二:多角化によるリソースの分散

前章で触れたHelloやFood、Marketといった周辺事業は、いずれも終了しました。その間に消費された開発リソースは戻ってこない。Bending Spoonsの製品責任者は2023年の振り返りで、リソースを無制限に投入することで製品の問題すべてが解決するわけではなく、むしろ複雑さと非効率性が増して結果が悪くなりがちだったという趣旨の分析を公開しています。自己批判としては相当に踏み込んだ言及です。

理由の三:無料で使える競合の登場

OneNoteはMicrosoftの製品として事実上無料で、Windowsに最初から入っていることも多い。Appleのメモアプリはこの10年で別物になるほど改善されました。Google Keepもある。「とりあえずメモする」という用途だけなら、お金を払わなくても成立する時代になった。

理由の四:向かう先の概念が変わった

Notionはノートをデータベースとして扱う発想を持ち込み、Obsidianはノート間のリンクを中心に据えました。どちらも「進めて検索する」というEvernote型のモデルとは別の地平を提示しています。この話は第5章で詳しく扱います。

理由の五:信頼の損耗は価格では取り戻せない

これが最大の要因だと思います。ノートアプリは、ユーザーの人生の記録を預かるソフトウェアです。同期が失敗する、ノートが開かない、アプリが起動しない。こういった事象は、単なる不便ではなく「自分の記憶をここに預けていいのか」という不安に直結します。一度その不安を抱いたユーザーは、価格が下がっても戻ってこない。

公平に見るために:2023年以降の建て直し

ただし、ここで話を終わらせるのは公平ではありません。

Bending Spoonsは2023年の目標を、速度・信頼性・セキュリティの三点に絞り、イノベーションに充てるリソースを意図的に減らしたと公表しています。基礎が弱い家は長く立っていられない、という比喩を使っていました。実際、この数年で同期速度と安定性は明らかに改善されています。筆者の実感としても、v10初期のあの遅さはもうありません。

また、2024年にはレガシー版アプリの廃止が進められました。これは古いアプリを愛用していたユーザーにとっては痛手でしたが、公式の説明によれば、メンテナンスが止まったレガシー版は脆弱性の修正やデータ保護の面で数年分の遅れが生じており、古いAPIを使い続けることは製品全体のリスクになるという判断でした。この説明自体は筋が通っています。

整理すると、Evernoteの低迷は「事故」ではなく「順序の失敗」に見えます。中核の改善を止めて多角化し、基盤を書き直す大手術をユーザーの目の前で行い、その回復途上で制限と値上げを重ねた。ひとつひとつには理由があるものの、並べ方が悪かったということです。

次章では、その値上げを具体的な数字で追います。


出典

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