サムヤン(SAMYANG Optics)——韓国が生んだレンズメーカーの半世紀と、その先

日本にはキヤノン、ニコン、ソニー、富士フイルム、パナソニック、オリンパス(現OMデジタルソリューションズ)、ペンタックス(現リコーイメージング)がある。ドイツにはライカ、ツァイス、シュナイダー・クロイツナッハがある。では韓国には?——サムヤン、ただ1社である。なぜか。
日本のカメラ産業はなぜ圧倒的なのか
韓国のカメラ産業について考える前に、まず日本がなぜこれほどカメラ産業で圧倒的なのかを理解する必要がある。
戦前から戦後へ——技術の蓄積と制度設計
日本のカメラ産業の起源は、第二次世界大戦前のドイツからの技術移転に遡る。戦前のカメラ市場はドイツが支配しており、ライカ、コンタックス、ローライ、フォクトレンダーなどが世界市場をリードしていた。日本メーカーはこれらのドイツ製品を参考に(あるいは模倣して)カメラ製造を開始した。ニコンの社名が「日本光学」であったこと、初期のニコンレンズがツァイスの設計を参考にしていたことは広く知られている。
しかし、日本のカメラ産業を決定的に飛躍させたのは、戦後の制度設計であった。Redditの写真フォーラムで紹介された分析によれば、以下のような要因が挙げられる。
「日本政府は自国のカメラ産業を改善・保護するためにいくつかの賢明な施策を行った。第一に、コピー(模倣)を禁止した。日本企業はドイツのカメラやレンズをコピーすることを禁じられ、自ら革新しなければならなかった」
「もう一つは、レンズの命名規則である。レンズは焦点距離、絞り値、特殊な仕様といった数値で定義されなければならなくなった。発明者の名前にちなんだ命名は禁止された。レンズからエゴを取り除くことで、より多くのレンズを生産し、商品化することが容易になった」
さらに、戦後の占領期にアメリカの品質管理専門家W・エドワーズ・デミングが日本に招かれ、統計的品質管理の手法を日本の製造業に伝えたことも大きい。デミングの教えは「改善(カイゼン)」の文化と結びつき、日本の製造業全体の品質レベルを飛躍的に向上させた。
「反復的改善(Iterative Design)」の文化
あるRedditユーザーは、日本のカメラ産業の強さについて以下のように述べている。
「私は日本のソフトウェア会社で1年間働いたが、彼らの反復的設計(iterative design)への熟達ぶりに驚かされた。彼らは以前のものをより良くし、それを何度も何度も繰り返す。すべての注意力と献身を注いで。『新しい』ものはほとんどなく、ほとんどのものは単に『より良い』だけだ。この設計哲学は、おそらく写真産業において驚くほど効果的だ」
この「反復的改善」の文化は、精密機械であるカメラとレンズの製造に特に適合していた。毎年少しずつ改良を加え、品質を向上させ、新技術を段階的に導入していく——このアプローチは、自動車産業におけるトヨタの生産方式と本質的に同じである。
韓国にカメラメーカーが少ない理由
では、なぜ韓国はこのカメラ産業に参入できなかったのか。あるいは、参入しようとしなかったのか。
1. 産業の成熟タイミングのずれ
韓国が本格的な工業化を始めたのは1960年代後半以降であり、日本よりも約20年遅い。日本のカメラメーカーが戦後復興期に基盤を固め、1960〜70年代にグローバル市場を席巻した時期に、韓国はまだ軽工業からの脱却を図っている段階であった。
カメラ産業は、光学設計、精密機械加工、電子制御、品質管理の4つの高度な技術が融合する分野である。これらのすべてを高いレベルで実現するには、何十年もの技術蓄積が必要だ。1970年代に交換レンズのOEM生産からスタートしたサムヤンの歩みは、まさにこの蓄積の過程を示している。
2. 韓国の産業政策——重化学工業と半導体への集中
朴正煕政権下の韓国は、限られた資源を重化学工業(鉄鋼、造船、石油化学、自動車)と、後に半導体・電子産業に集中投資する戦略を採った。サムスン、LG、現代、SKといった財閥(チェボル)は、この国家戦略に沿って巨大化していった。
カメラ産業は、これらの重点分野には含まれなかった。市場規模が相対的に小さく、すでに日本メーカーが圧倒的なシェアを持っている分野に国家資源を投入するよりも、半導体やディスプレイのような巨大市場を狙う方が合理的だったのだ。
3. サプライチェーンの問題
カメラ用レンズの製造には、高品質な光学ガラス、精密な金型技術、非球面レンズの加工技術、コーティング技術などが必要である。これらの多くは日本企業(HOYA、オハラ、住田光学など)が独占的に供給している。
韓国・毎日経済(매일경제)の報道によれば、2024年時点でLKサムヤンは「韓国で唯一の交換レンズ生産企業」である。同紙はまた、韓国のスマートフォンカメラ用レンズモジュールメーカーが「主要な材料や部品の多くを日本に依存している」と指摘しており、光学分野における日本への依存は交換レンズに限った話ではない。
4. サムスンNXの挑戦と撤退
韓国からのカメラ市場への最も本格的な参入は、サムスン電子によるNXシリーズ(2010〜2016年頃)であった。
サムスンNXシリーズは、APS-Cセンサーを搭載したミラーレスカメラシステムで、独自のサムスンNXマウントを採用していた。NX1はその革新性と画質で高い評価を受けた。あるRedditユーザーは次のように述べている。
「韓国企業のサムスンのNX1は非常に革新的で高く評価されたカメラで、素晴らしい写真が撮れる。『ダメだ』とは決して言えない。サムスンは単に、ソニーにミラーレスカメラ市場で出し抜かれたのだ。ソニーがサムスンのクロップセンサーミラーレスシステムと同等の価格でフルサイズミラーレスカメラを販売していたからだ」
しかし、デジタルカメラ市場全体がスマートフォンに押されて縮小する中、サムスンは2016年頃にカメラ事業からの撤退を決定。NXマウントのレンズ生産も終了した。NXレンズの製造は韓国のOptron-Tec社が担っていたとされるが、サムスン撤退後、この分野の技術は散逸してしまった。
PetaPixelは2020年に「オリンパスが韓国のカメラ市場から撤退」と報じており、韓国市場自体の規模の小ささも浮き彫りになった。
「日本から見ると少なく見えるだけ」なのか?
この問いに対する答えは、半分イエス、半分ノーである。
イエスの側面
日本は世界で最もカメラメーカーが集中している国であり、日本を基準に考えれば、どの国もカメラメーカーが「少ない」。ドイツですらライカ1社(ボディメーカーとして)しかない。アメリカにはシネマカメラのREDがあったが2024年にニコンに買収されており、オーストラリアにはBlackmagic Designがあるが、いずれもスチルカメラの主要メーカーではない。
つまり、「韓国にカメラメーカーが少ない」のではなく、「日本にカメラメーカーが異常に多い」というのがより正確な見方かもしれない。
ノーの側面
一方で、韓国は世界有数のエレクトロニクス大国であり、サムスンは世界最大級の半導体メーカーかつイメージセンサーメーカーである(ソニーに次ぐ世界第2位)。LGも画像処理技術に強みを持つ。つまり、カメラを作るための要素技術の多くは韓国に存在する。
にもかかわらず、カメラ完成品メーカーやレンズメーカーがサムヤンしか残っていないのは、やはり産業構造の問題と言わざるを得ない。韓国の大企業は巨大市場(半導体、スマートフォン、ディスプレイ)を志向し、ニッチ市場であるカメラに経営資源を割く動機が弱い。サムスンNXの撤退がそれを象徴している。
サムヤンが「最後の一社」として持つ意味
サムスンのカメラ事業撤退後、サムヤンは韓国唯一のカメラ用交換レンズの設計・製造企業となった。2017年に韓国政府から「世界300大企業」に認定されたのは、この「韓国光学産業の旗手」としての位置づけを反映している。
しかし、サムヤンの存在は韓国の光学産業の「誇り」であると同時に「脆弱さ」の表れでもある。従業員約130名の中小企業1社に、韓国の交換レンズ産業のすべてがかかっているのだ。
シュナイダー・クロイツナッハとの提携、Lマウントアライアンスへの加盟、そして「LK = Leading Korea」を冠した社名変更は、サムヤンが単なるレンズメーカーを超えて、韓国の光学産業を「リード」するという決意の表明なのかもしれない。
まとめ——サムヤンの物語が教えてくれること
1972年に「コリア・ワコー」として出発し、OEMの黒子として数十年を過ごし、85mm F1.4で自社ブランドに転身し、AFレンズで新時代を切り拓き、シュナイダー・クロイツナッハとの提携で新たなステージに向かう——サムヤンの物語は、韓国製造業の縮図であり、グローバルなレンズ市場の進化の一端を映し出している。
日本のカメラメーカーの圧倒的な支配が続く市場の中で、130人の小さな光学メーカーが50年以上にわたって生き延びてきた事実自体が、ひとつの偉業である。そしていま、その小さなメーカーがドイツの名門と手を組み、フルラインナップのAFズームシリーズを展開しようとしている。
サムヤンの次の50年がどうなるかは誰にもわからない。しかし、少なくとも韓国・馬山の工場からは、まだまだ面白いレンズが出てきそうだ。
サムヤン(SAMYANG Optics)——韓国が生んだレンズメーカーの半世紀と、その先
- サムヤン(SAMYANG)・ロキノン(Rokinon)とは何か
- デジタル一眼レフ以前のサムヤン——OEMとミラーレンズの時代(1972〜2007)
- デジタル一眼レフ時代のサムヤン——高品質MFレンズへの転身(2008〜2015)
- ミラーレス時代のサムヤンとAFレンズへの参入(2016〜現在)
- 中華レンズとの競合——サムヤンが切り拓いた道と新たな挑戦者たち
- 欧米市場におけるサムヤンのプレゼンス——ロキノン、バウアー、そしてLKサムヤンへ
- なぜ韓国にはカメラ関連企業が少ないのか
典拠
- Reddit r/photography — “Why are ALL major camera companies Japanese?”(https://www.reddit.com/r/photography/comments/4s5hq9/why_are_all_major_camera_companies_japanese/)
- Photo Stack Exchange — “Why do japanese companies dominate the camera market?”(https://photo.stackexchange.com/questions/119837/why-do-japanese-companies-dominate-the-camera-market)
- Wikipedia — “Samsung NX series”(https://en.wikipedia.org/wiki/Samsung_NX_series)
- PetaPixel — “Olympus Exits Camera Market in Korea”(https://petapixel.com/2020/05/20/olympus-exits-camera-market-in-korea/)
- NamuWiki — “LK삼양”(https://en.namu.wiki/w/LK삼양)
- 매일경제(毎日経済)— “Samsung Electronics, which was leading the K-optical industry, got out…”(https://www.mk.co.kr/en/business/11181079)
- The Lec — “Samsung’s South Korean lens suppliers struggling to survive”(http://www.thelec.net/news/articleView.html?idxno=3407)
- The Lec — “S.Korea relies heavily on Japan for camera lens components”(https://www.thelec.net/news/articleView.html?idxno=424)
- DPReview Forums — “Who manufactures Samsung lenses?”(https://www.dpreview.com/forums/threads/who-manufactures-samsung-lenses.3785030/)
- Camera-wiki.org — “Samsung”(https://camera-wiki.org/wiki/Samsung)
- PetaPixel — “Japanese Companies Shipped 10.6 Million Lenses in 2025″(https://petapixel.com/2026/02/03/japanese-companies-shipped-10-6-million-lenses-in-2025/)
- W. Edwards Deming — Wikipedia(https://en.wikipedia.org/wiki/W._Edwards_Deming)


