Nikon N-RAWとTicoRAW|ライセンスRAWという第三の道|動画RAWコーデック解剖(10)

動画RAWコーデック解剖(10)

自社で一から作り上げるのでもなく、他社の製品をそのまま載せるのでもない。ニコンがミラーレスの旗艦Z 9で選んだN-RAWは、圧縮RAWの中核技術を社外からライセンスで調達し、それを自社の記録フォーマットとして仕立て直すという第三の道であった。本章では、N-RAWが土台とするintoPIXのTicoRAW、12bitという記録深度、HighとNormalという二つのレート、そして同じカメラでApple ProRes RAWも内部記録できる併存の設計を、ニコン公式マニュアルとintoPIX公式資料に基づいて解剖する。REDが特許で圧縮RAWを囲い込んだ第6章と対をなす、ライセンスRAWという発想の意味を読み解く。

第1章で示した「どれだけRAWか」の軸でいえば、N-RAWはセンサーのベイヤー段に近い生の信号を、カメラの中で圧縮して記録するフォーマットである。外部レコーダーを介さず、カメラ単体でRAWを完結させられる点が、後述するProRes RAWとの大きな違いになる。

目次

N-RAWの登場(Z 9、2021年)

N-RAWは、2021年に発表されたニコンの旗艦ミラーレスZ 9で初めて搭載された、12bitのRAW動画フォーマットである。従来、8Kクラスの高解像度をカメラ内部でRAW記録するには、膨大なデータレートと発熱、そして外部特許の壁が立ちはだかっていた。ニコンはこの課題を、自社開発の圧縮方式ではなく、社外のライセンス技術を採用することで解いた。intoPIXの公式発表によれば、Z 9はintoPIXのTicoRAW技術を採用し、外部DRAMを必要とせず、低消費電力かつ高速な転送で高効率のRAW記録を実現している。8Kにおいては、後の2022年のファームウェア更新で最大60fpsのN-RAW記録に対応した。

TicoRAW(intoPIX)とは何か

TicoRAWは、ベルギーの技術企業intoPIXが開発したライセンス供与型の圧縮RAW技術である。名称のTicoはTiny Codec(小さなコーデック)に由来する。intoPIX公式によれば、TicoRAWはセンサーが出力するベイヤー配列のRAW(およびHDRベイヤーなど)を対象に、低い計算負荷で圧縮するIPである。演算が軽いため専用の外部メモリを必要とせず、消費電力を抑えながら高いスループットを得られる。

ここで重要なのは、TicoRAWがニコン専用の技術ではなく、他社も採用しうる汎用のライセンスIPだという点である。カメラメーカーは、圧縮RAWの中核となる符号化技術を一から開発する必要がなく、ライセンスを受けて自社のフォーマットに組み込める。N-RAWは、このTicoRAWを土台にニコンが自社の記録フォーマット(拡張子NEV)として仕立てたものである。

TicoRAWがカメラ動画専用でない点も、汎用ライセンスIPという性格をよく表している。intoPIXの公式発表によれば、TicoRAWはニコンのミラーレス以外にも、産業用カメラ(韓国Novitecのグローバルシャッター機が、Ethernetや無線でTicoRAWのRAW映像を低遅延伝送する)、車載・自動車開発(Lattice製の低消費電力FPGA上での実装や、dSPACEの高性能データロガーへの統合)、医療・マシンビジョン、航空宇宙・リモートセンシング(衛星やドローン)まで採用が広がっている。intoPIXは符号化の水準としてロスレス、準ロスレス、視覚可逆を用意し、従来のRAWに比べ最大で10分の1のデータ量をうたう。RAW撮影・記録という枠を越えて、センサーが吐き出すCFAデータを源流で軽くするという発想が、この技術の本質である。N-RAWは、その汎用IPをカメラ内RAW動画という用途に最適化してニコンが仕立てた一例にあたる。

N-RAWの技術(12bit、HighとNormal)

N-RAWの記録深度は12bitである。ニコン公式マニュアルによれば、N-RAWにはHighとNormalの二つのビットレート設定があり、それぞれデータ量と画質のバランスが異なる。Highはより高いビットレートで階調とディテールを優先し、Normalはデータ量を抑えて長時間記録や取り回しを優先する。具体的なビットレートは、機種と解像度・フレームレートの組み合わせごとに、マニュアルの一覧表で定められている。

圧縮比については注意が必要である。現場ではHighがおよそ4対1、Normalがおよそ8対1に相当するという情報が流通しているが、これはニコン公式が明示した数値ではない。本稿では、公式マニュアルが定めるビットレート表を一次の事実として扱い、圧縮比の概数は未確定の現場情報として区別する。同様に、N-RAWがラインスキップや画素の間引きを伴うか否かも、ニコン公式は明示していないため、断定は避ける。ニコン公式で確認できるのは、旗艦のZ 9・Z 8がフルサイズFXの全幅(8256×4644)から8.3Kを読み出すこと、そしてDXクロップや各種フレームサイズでは解像度とフレームレートの上限が変わることまでである。

機種別のN-RAWビットレート(ニコン公式)

ニコンは圧縮比ではなく平均ビットレートでN-RAWを規定している。公式マニュアルによるN-RAW(High画質、12bit NEV)の平均ビットレートは次のとおりで、Normal画質はおおむねこの半分程度に下がる。前述の4対1・8対1という概数は、あくまで現場での目安である。

Z 9:記録フォーマット(High画質)平均ビットレート(NEV)
FX 8256×4644 60p約5780 Mbps
FX 8256×4644 30p約3470 Mbps
DX 5392×3032 25p約1240 Mbps
2.3×クロップ 3840×2160 120p約3020 Mbps
Z 6III:記録フォーマット(High画質)平均ビットレート(NEV)
FX 6048×3402 60p約3730 Mbps
FX 6048×3402 30p約1870 Mbps
DX 3984×2240 25p約680 Mbps

Z 8はZ 9と同じ積層センサーとEXPEED 7を搭載し、N-RAWの最大記録は同じく8.3K(8256×4644)60pに達する。RAW動画のフレームサイズは8256×4644、5392×3032、4128×2322、3840×2160が用意されている。

内部N-RAWと内部・外部ProRes RAWの使い分け

N-RAWのもう一つの特徴は、同じカメラでApple ProRes RAWも選べる点にある。Z 8とZ 6IIIは、N-RAWとProRes RAW HQのいずれもカメラ内部で記録できる。ニコン公式仕様によれば、Z 8はN-RAWで8.3K60pの12bit記録に対応し、ProRes RAW HQでは4.1K60pに対応する。撮影者は、汎用性と編集環境を重んじるならProRes RAWを、データ効率と高解像度を求めるならN-RAWを、といった使い分けができる。

注意すべきは、これらのRAWがいずれも内部記録を前提としている点である。ニコン公式マニュアルによれば、Z 8でN-RAW(NEV)またはProRes RAW HQ(MOV)を選ぶと、HDMIからの出力解像度は最大1920×1080に制限される。つまりRAWはカメラ内部に記録するのが主で、外部レコーダーへRAW相当の信号を出す設計ではない。この点は、外部レコーダーでRAW化することを出発点としたProRes RAW全体の生い立ち(第4章)とは対照的である。N-RAWを積むニコン機は、外部に頼らずカメラ内でRAWを完結させる方向に振れている。

RED特許問題との関係

圧縮RAWをカメラ内部で記録する技術は、長らくREDの特許(US 8,174,560 B2ほか)が影を落としてきた領域である。詳しくは第6章で扱うが、2021年にニコンがZ 9で内部圧縮RAWを実現できた背景に、この特許構造とどう向き合ったのかという論点がある。

ここで本稿は、一次情報で確認できる事実に限定して述べる。第6章で整理したとおり、ニコンとREDのあいだには特許をめぐる係争があり、その後2024年3月にニコンがREDを買収している。ただし、N-RAW(TicoRAW)が採用された2021年の時点で、両者の特許関係が具体的にどう処理されていたのかは、公式には開示されていない。TicoRAWが独立した圧縮技術としてライセンスされたIPであること、そしてニコンが後にREDを傘下に収めたことは事実だが、その因果や法的な整理を推測で結ぶことはしない。ライセンスRAWという選択が、特許で囲い込まれた圧縮RAWの世界にどのような別解を示したのかは、第6章と併せて読むと立体的に見えてくる。

ライセンスRAWという第三の道

N-RAWの位置づけを整理すると、その独自性が見えてくる。REDのREDCODEは、自社で開発した圧縮RAWを特許で固め、他社の参入を制限する方向に働いた。一方でApple ProRes RAWやBlackmagic RAWは、メーカー自身が規格と実装を主導した自社コーデックである。これらに対してN-RAWは、圧縮の中核をintoPIXから調達し、自社フォーマットとして再構成した。自社開発の独自コーデックでも、単なる他社製のOEMでもない、ライセンス供与型の圧縮RAWという第三の道である。

この道には合理性がある。圧縮RAWの符号化技術を一から開発するのは負担が大きく、特許のリスクも伴う。確立されたライセンスIPを使えば、開発期間と法的リスクの両方を抑えつつ、内部記録という難所を越えられる。TicoRAWが汎用のライセンス技術である以上、同じ道を他社がたどる余地もある。

2018年以降のN-RAW対応カメラ一覧

N-RAWはニコンZシリーズの上位機を中心に搭載されてきた。主な対応機種を整理する(解像度・レートはニコン公式仕様に基づく代表値であり、最終的な機種別数値は各機の公式仕様で確認すること)。

機種発売年N-RAWの到達点同時に選べるProRes RAW備考
Nikon Z 92021年8.3K/8Kは2022年ファームで最大60pProRes RAW HQ(ファーム対応)TicoRAWを初採用した旗艦機。
Nikon Z 82023年8.3K 60p 12bit N-RAW4.1K 60p ProRes RAW HQN-RAW/ProRes RAW HQを内部記録。RAW選択時のHDMI出力は最大1080p。
Nikon Z 6III2024年6K N-RAWProRes RAW部分積層センサー機。N-RAWとProRes RAWを内部記録。

解像度の到達点と制約

N-RAWの解像度の到達点は、旗艦のZ 9・Z 8が8.3K(フルサイズFXの全幅読み出し)である。DXクロップや各種フレームサイズでは、解像度とフレームレートの上限が変わる。共通する制約として、RAW記録時はカメラ内部への記録が前提となり、外部へのRAW出力は想定されていない(前述のとおりHDMIは最大1080pに制限される)。この点は、外部レコーダーで解像度上限が決まるProRes RAW(第4章)とは、上限の決まり方そのものが異なる。

他章との整合

本章はライセンスRAWの視点に絞った。REDの特許構造そのものは第6章、Apple ProRes RAWの設計と外部レコーダー中心の生い立ちは第4章、内部RAWと外部RAWで画質差が生まれる一般原理は第3章に委ねる。第3章で触れたとおり、Z 8はN-RAWもProRes RAW HQもいずれも内部記録するため、「内部RAW対外部RAW」の対比を示す典型例には向かない。この点は本章のとおり、ニコン機がRAWを内部で完結させる設計であることの裏返しである。

まとめ

N-RAWは、圧縮RAWの中核技術をintoPIXのTicoRAWからライセンスで調達し、それをニコン自身の12bit記録フォーマットとして仕立て直したものである。外部DRAMを要さず低消費電力で内部記録できるという特性は、8Kクラスのカメラ内RAWを現実にした。同じ機体でApple ProRes RAWも選べる併存の設計は、撮影者に編集環境とデータ効率の両にらみの選択肢を与える。REDが特許で囲い込み、AppleやBlackmagicが自社で規格を主導したのに対し、ニコンが選んだのはライセンスRAWという第三の道であった。その意味は、特許を扱う第6章と併せて読むことで、より深く理解できる。

出典(一次情報)


動画RAWコーデック解剖

  1. RAWとは何か|A/D変換・デベイヤーと「RAWのグラデーション」
  2. RAWの代償|データ量・熱・記録時間・メディア・ワークフロー
  3. なぜ同じ「RAW」で画質差が生まれるのか|内部収録RAWと外部ProRes RAWの技術的差異
  4. ProRes RAW|Apple×Atomosが選んだ「生に近い」設計
  5. Blackmagic RAW(BRAW)|「最適化されたRAW」という発明
  6. REDCODE RAWと特許|動画RAWを縛った知的財産の構造
  7. CanonのRAWコーデック群|Cinema RAWとCinema RAW Light(ST・HQ・LT)
  8. Sony X-OCN 前編|歴史と設計思想(FX5から遡るVENICE・F5/F55の系譜)
  9. Sony X-OCN 後編|ワークフロー・対応ソフトウェア・他RAWとの比較
  10. Nikon N-RAWとTicoRAW|ライセンスRAWという第三の道
  11. その他のRAWフォーマット概観|ARRIRAW・CinemaDNG・Panasonic・DJIほか
  12. 総合比較|「どれだけRAWか」の見取り図と2026年版マトリクス
  13. カラーマネジメントとアーカイブ|ACES・メタデータ駆動現像・長期保存
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