フィルム・クロニクル(13)

かつて写真フィルムの代名詞だった黄色い箱が、ふたたび店頭に並び始めた。 2012年に連邦破産法第11章の適用を申請し「フィルムの時代は終わった」と世界中で報じられたKodakが、わずか10年余りでフィルム増産と直販体制の構築に踏み切っている。本章では、破産・再編・復活という激動を経たKodakのフィルム事業を、企業分割の構造から2026年の最新動向まで追う。
1. 破産と再編——Eastman KodakとKodak Alisarisへの分裂
1-1. 破産申請までの経緯
2012年1月19日、Eastman Kodak Companyはニューヨーク南部地区連邦破産裁判所にChapter 11を申請した。直接的な引き金はデジタルカメラ事業の不振と特許訴訟の長期化による資金枯渇だが、根本原因はフィルム需要の急激な縮小にあった。ピーク時(2000年前後)に全世界で年間約8億本が消費されていた写真用フィルムは、2012年にはその数パーセントにまで落ち込んでいた。
Kodakは破産手続き中に、デジタルカメラ事業・フォトキオスク事業・オンラインフォトサービスを次々と売却・閉鎖し、事業の根本的な再構築を進めた。
1-2. 2013年の再出発——二つのKodak
2013年9月、Eastman Kodakは破産保護から脱却した。しかし、このとき世界のフィルムユーザーにとって重要な変化が起きていた。Kodakのフィルム事業は、実質的に二つの会社に分割されたのである。
- Eastman Kodak Company(本社:ニューヨーク州ロチェスター)——フィルムの製造を担う。ロチェスターの巨大なコーティング工場(Kodak Park)で写真用フィルムおよび映画用フィルムを生産し続ける。
- Kodak Alaris(本社:イギリス・ヘメルヘムステッド)——フィルムの販売・マーケティング・流通を担う。Kodak Professionalブランドでスチル写真用フィルムを世界中に供給する。
Kodak Alarisのオーナーは、Eastman Kodakの株主ではない。設立当初はイギリスのKodak Pension Plan(KPP)——すなわちKodakの英国年金基金——が所有する独立企業だった。Kodakの英国事業が再編される過程で、年金受給者の資産保全を目的として設立されたこの構造は、世界的にも珍しいものであった。その後KPPの資産は英国年金保護基金(PPF)に移管され、2024年8月にはロサンゼルスのプライベートエクイティ企業Kingswood Capital ManagementがPPFからKodak Alarisを買収している。つまり、店頭で「Kodak」ロゴが入ったフィルムを手にとるとき、その製造元はアメリカのEastman Kodak、販売元はイギリスのKodak Alarisという二重構造になっていたのである。
この分割構造は、後に述べる2025〜2026年の「直販シフト」を理解するうえで極めて重要だ。
2. ハリウッドがフィルム製造を救った
2-1. 映画監督たちの「フィルム存続」契約
Kodakのフィルム製造ラインが存続できた最大の要因のひとつは、ハリウッドの映画監督たちとの長期供給契約である。
2014年、クリストファー・ノーラン、クエンティン・タランティーノ、J・J・エイブラムスらが中心となり、大手映画スタジオ(ワーナー・ブラザース、ユニバーサル、パラマウントなど)がKodakとの間で映画用フィルム(VISION3シリーズ)の長期購入契約を締結した。この契約により、ロチェスター工場のコーティングラインは稼働を維持でき、写真用フィルムの製造基盤も同時に守られた。
映画用フィルムと写真用フィルムは、同じコーティング設備の上で製造される。映画用VISION3の需要が一定量を確保したことで、製造ラインそのものが存続し、写真用フィルムの少量生産が経済的に可能な状態が維持されたのである。ノーランが『インターステラー』(2014年)や『ダンケルク』(2017年)を65mm IMAXフィルムで撮影し続けたことは、単なるこだわりではなく、フィルム製造インフラ全体を支える戦略的行為でもあった。
2-2. コントラクト・コーティング——他社フィルムもKodakが塗る
ロチェスター工場の役割は、自社ブランドのフィルム製造にとどまらない。Eastman Kodakはコントラクト・コーティング(受託塗布)事業を展開しており、他社のフィルムもこの工場で製造している。
代表的な顧客は以下のとおりだ。
- CineStill——映画用Kodak VISION3フィルムのレムジェット層を除去し、C-41処理可能にしたフィルムとして知られるが、ベースとなるフィルムはKodakのロチェスター工場で製造されている。
- Lomography——ロモグラフィーが販売するカラーネガフィルムの一部は、Kodakのコーティングラインで製造される。
- Fujifilm——2022年以降、富士フイルムの一部フィルム製品がKodakのロチェスター工場で受託製造されている。かつてのライバルが同じ工場でフィルムを塗布しているという事実は、フィルム製造のインフラがいかに集約されたかを如実に物語る。
このコントラクト・コーティング事業は、Eastman Kodakにとって安定した収入源であると同時に、コーティングラインの稼働率を維持するうえで不可欠な柱となっている。
3. Ektachromeの復活——消えたリバーサルフィルムが帰ってきた
3-1. CES 2017での電撃発表
2017年1月、ラスベガスで開催されたCES(Consumer Electronics Show)で、KodakはEktachrome E100の復活を発表した。Ektachromeは2012年に製造終了が発表されたリバーサル(スライド)フィルムであり、その復活はフィルムコミュニティに衝撃を与えた。
リバーサルフィルムは、ネガフィルムと異なりポジ像(見たままの色)がフィルム上に直接記録されるため、ライトボックスやプロジェクターで鑑賞でき、印刷原稿としても高い品質を誇った。デジタル化以前の商業写真・報道写真の標準フォーマットであり、Kodachrome亡き後、Ektachromeはその最後の砦だった。
3-2. 再製造の困難——約80種の化学薬品を再調達
しかし、復活は容易ではなかった。Ektachromeの製造には約80種類の化学薬品・原材料が必要であり、製造終了から5年以上が経過するあいだにサプライヤーが廃業したり、原料の仕様が変更されたりしていた。Kodakの技術チームは、これらの薬品を一つひとつ再調達し、代替品を検証し、コーティングレシピを再構築する作業に取り組んだ。
この作業は当初の予定を大幅に超え、発表から出荷まで約1年8か月を要した。
3-3. 2018年9月、ついに出荷
2018年9月25日、Kodak Ektachrome E100の35mmフォーマットが出荷を開始した。翌10月1日にはSuper 8フォーマットも続いた。
新生Ektachrome E100は、旧バージョンと比較して粒状性が改善され、E-6処理の安定性も向上していた。フィルムコミュニティの反応は熱狂的で、発売直後から品薄が続いた。このEktachrome復活は、「フィルムは死んだ」という通念を覆す象徴的な出来事として、写真メディアだけでなく一般メディアでも広く報じられた。
4. フィルム増産と工場投資
4-1. 需要の急増と生産拡大
第12章で述べたとおり、2015年頃からフィルム需要は明確な反転を見せ始めた。Kodakのフィルム生産量は2015年から2019年の間に倍増している。
この需要増を支えるため、Kodakはロチェスター工場への投資を続けた。2022年にはフィルム製造部門で300人以上を新規雇用し、シフト体制を拡大した。フィルム産業が大規模な新規雇用を行うのは、少なくとも21世紀に入ってから初めてのことだった。
4-2. 2024年11月——全フィルム生産の一時停止
2024年11月、Eastman Kodakはすべての写真用フィルムの生産を一時停止した。理由は、ロチェスター工場のコーティング設備のアップグレードのためである。
この一時停止は、フィルムユーザーのあいだに不安を引き起こした。「Kodakがまたフィルムをやめるのではないか」という懸念がSNS上で広まったが、Kodak側は「これは生産終了ではなく、将来の増産に向けた設備投資である」と説明した。実際、この工場アップグレードの成果は、翌年以降の新ラインナップ展開という形で現れることになる。
5. 直販シフト——Eastman Kodakが自らフィルムを売り始めた
5-1. Kodak Alarisとの関係変化
前述のとおり、2013年の再編以降、写真用フィルムの販売はKodak Alarisが一手に担ってきた。しかし2025年以降、Eastman Kodak自身がフィルムの直接販売に乗り出す。
これは、フィルム事業の構造を根本から変える動きである。
5-2. Kodacolor——10年ぶりの「Eastman Kodak直販フィルム」
2025年10月、Eastman KodakはKodacolor 100とKodacolor 200を発売した。これは、Eastman Kodakが10年以上ぶりに自社名義で直接販売する写真用フィルムであり、「Kodacolor」というかつての伝説的ブランド名の復活でもあった。
ただし、中身は完全な新製品というわけではない。Kodacolor 100はKodak Alaris経由で販売されてきたPro Image 100と、Kodacolor 200はColorPlus 200と、それぞれ同一の乳剤をベースにしていると見られている。パッケージデザインはレトロな黄色い箱に刷新され、36枚撮りで約9ドル——Kodak Alarisの同等製品より約1ドル安い価格設定となった。
この価格差は小さいように見えるが、フィルム1本あたりの単価が年々上昇し続けている市場においては明確なメッセージである。製造元が直接売れば、中間マージンを省いて安くできる——そのシンプルな論理が、ついにフィルム市場にも適用され始めたのだ。
5-3. 直販ラインナップの拡大(2025〜2026年)
Kodacolorの成功を受け、Eastman Kodakは直販ラインナップを急速に拡大していく。
| 発売時期 | 製品名 | 備考 |
|---|---|---|
| 2025年10月 | Kodacolor 100 / Kodacolor 200 | Pro Image 100 / ColorPlus 200ベース。レトロ黄箱デザイン |
| 2025年11月 | Gold 200 / UltraMax 400 | Eastman Kodak直販版。レトロ黄箱デザインに変更 |
| 2026年1月 | Ektar 100 / Tri-X 400 | プロフェッショナル向け。カラーネガ+モノクロの二枚看板 |
| 2026年2月 | Ektachrome E100 | リバーサルフィルムも直販化 |
注目すべきは、Gold 200やUltraMax 400といったKodakの主力製品までもが直販ラインに組み込まれた点である。これらはKodak Alarisの最大の売れ筋であり、同一製品がEastman Kodak直販とKodak Alaris経由の二つのチャネルで並行販売される異例の状況が生まれた。
2026年1月にはEktar 100とTri-X 400、2月にはEktachrome E100が直販ラインに追加され、Eastman Kodakの直販ポートフォリオはエントリーからプロフェッショナルまでフルラインナップに近づいている。
5-4. この直販シフトが意味するもの
Eastman Kodakの直販シフトは、複数の意味で重要である。
- 価格競争の開始——製造元が直販することで、中間マージンが削減され、消費者価格の低下圧力が生まれる。フィルム価格の高騰がリバイバルのボトルネックになりつつあるなか、これは市場全体にとってポジティブなシグナルである。
- サプライチェーンの短縮——製造元から消費者への距離が短くなることで、在庫管理や品質管理の効率が向上する。
- Kodak Alarisとの関係の変化——両社の関係がどう推移するかは、今後のフィルム市場の構造を左右する。競合関係に発展するのか、棲み分けが進むのか、あるいは再統合が起きるのか——2026年3月現在、その答えはまだ出ていない。
6. Eastman Kodakの企業としての現在
6-1. 事業ポートフォリオの多角化
2026年現在のEastman Kodakは、「フィルム会社」とは呼びがたい企業構造を持っている。同社の2022年度の売上高は約12億500万ドル(前年比+5%)であり、そのセグメント構成は以下のとおりだ。
- Print(印刷事業)——売上の約67%。商業印刷・パッケージ印刷向けのプレートやインクジェット技術が中核。
- Advanced Materials & Chemicals(先端素材・化学事業)——売上の約29%。フィルムコーティング技術を応用した機能性フィルム、さらには医薬品原料の受託製造が急成長中。
- Brand Licensing & Film——残りの数パーセント。写真用フィルム・映画用フィルムの売上はここに含まれるが、全社売上に占める比率は限定的。
皮肉なことに、Kodakを「復活」させたのはフィルムではなく、フィルム製造で培ったコーティング技術と化学合成能力の他分野への展開だった。とりわけ医薬品中間体の受託製造は、COVID-19パンデミック期のアメリカ国内製造回帰(リショアリング)の流れに乗り、急速に拡大している。
6-2. 「ゴーイング・コンサーン」と財務的課題
一方で、Eastman Kodakの財務状況は盤石とは言いがたい。2025年、同社はSEC(米国証券取引委員会)への提出書類において「ゴーイング・コンサーン(継続企業の前提)」に関する注記を記載した。これは、監査法人が企業の事業継続能力に疑義があると判断した場合に付される記載であり、市場に動揺を与えた。
「Kodakがまた潰れる」という報道が一部で流れたが、Kodak自身はこれを否定し、「工場のアップグレード投資と事業転換期の一時的な財務指標の悪化であり、フィルム事業の縮小・撤退を意味するものではない」と説明している。
実際、2024〜2026年にかけてのフィルム増産投資や直販体制の構築は、フィルム事業へのコミットメントを示す行動である。ただし、フィルム事業単体での収益性が持続可能な水準にあるかどうかは、公開情報からは明確に読み取れない。
7. Kodakの復活が意味するもの
7-1. 「フィルムの灯は消えない」という証明
Kodakの復活劇は、フィルム写真にとって単なる一企業の復活以上の意味を持つ。世界最大のフィルム製造インフラが存続し、さらに拡張されているという事実そのものが、フィルム写真の未来を担保している。
ロチェスター工場は、写真用フィルム・映画用フィルム・受託コーティングのすべてを賄う世界最大のフィルム製造拠点である。この工場が稼働し続ける限り、フィルムの供給は途絶えない。そして2024年の生産一時停止が「撤退」ではなく「アップグレード」であったことは、Kodakがフィルム製造を中長期の事業として位置づけていることを示している。
7-2. 価格とアクセシビリティの課題
とはいえ、課題は残る。フィルム価格は2015年以降、年々上昇を続けており、エントリーユーザーにとってのハードルは高くなっている。Kodacolorのような廉価ラインの直販は、この課題への一つの回答ではあるが、現像・プリントのコストまで含めたトータルコストの問題は依然として存在する(この点は第18章で詳述する)。
7-3. カメラ産業との接点
Kodakのフィルム復活は、フィルムカメラ市場にも波及している。フィルムの安定供給が見込めるようになったことで、新品フィルムカメラの開発(第16章で詳述)や中古フィルムカメラ市場の活性化(第17章で詳述)が促進されている。フィルムとカメラは不可分の関係にあり、Kodakの復活はフィルムカメラ市場全体の「生態系」を支える基盤でもある。
なお、カメラメーカー各社の戦略的動向については、姉妹連載『カメラ覇権の地殻変動』で詳しく論じている。
まとめ
2012年の破産から2026年の直販フルラインナップ化まで、Kodakのフィルム事業は激動の14年間を経た。その歩みを振り返ると、以下の構造が浮かび上がる。
- ハリウッドの長期契約が製造インフラを存続させた
- コントラクト・コーティングがコーティングラインの稼働率を維持した
- Ektachromeの復活がフィルムリバイバルの象徴となった
- 需要の反転を受けて増産と雇用拡大に転じた
- 直販シフトが価格競争と流通構造の変革を始動させた
Kodakの黄色い箱は、いま再び世界中のカメラ店の棚に並んでいる。その箱の中身が、ロチェスターの巨大工場で塗布された銀塩乳剤であることは、100年前と変わらない。変わったのは、その箱がたどる流通経路と、それを手にする人々の動機である。
フィルム・クロニクル
Part I:銀塩写真の誕生と発展(19世紀〜20世紀前半)
- 1.写真の記録方法の概観——ダゲレオタイプからロールフィルムへ(1839〜1900年代)
- 2.Kodakの革命——「You Press the Button, We Do the Rest」(1888〜1930年代)
- 3.フィルムフォーマット戦争——35mm、120、大判、そして消えた規格たち
Part II:フィルムの黄金時代(1950年代〜1990年代)
- 4.カラーフィルムの民主化——Kodachrome、Ektachrome、Fujicolor
- 5.フィルムメーカーの群雄割拠——Kodak・Fujifilm以外の巨人たち
- 6.インスタントカメラの衝撃——Polaroid、特許戦争、そしてInstaxの世紀
- 7.写真が「消費」されるものになった時代——使い捨てカメラ、ミニラボ、そしてフィルム消費のピーク
Part III:デジタルの衝撃とフィルムの退潮(1990年代〜2010年代)
- 8.デジタル写真の黎明——フィルムを殺す技術はフィルム会社から生まれた
- 9.カメラ付き携帯電話——写真を「撮る」から「送る」へ変えた破壊者
- 10.フィルムカメラメーカーの淘汰——2000年代、消えたブランドと残ったブランド
- 11.デジタル一眼レフ時代のフィルム——「暗黒時代」を生き延びた銀塩の灯火
Part IV:フィルムの復興(2010年代〜現在)
- 12.フィルムリバイバルの始まり——SNS世代が銀塩に手を伸ばした理由
- 13.Kodakの復活——破産から再びフィルムを世界に届けるまで
- 14.Fujifilmのフィルム戦略——「フィルムの会社」が選んだ縮小と拡大の二重奏
- 15.新興・復活フィルムメーカー——ポストKodak/Fujifilm時代の製造地図
- 16.現行フィルムカメラ——2025年、新品で買えるフィルムカメラの世界地図
- 17.中古フィルムカメラ市場——「新品が存在しない」時代の流通構造
- 18.フィルム写真のコスト構造——1枚のシャッターに、いくらかかるのか
- 19.フィルム写真の現在と未来——誰がフィルムを選び、なぜ撮り続けるのか
Part V:総括
出典・参考資料
- Eastman Kodak Company, SEC Annual Report (Form 10-K), 2022–2025
- Kodak Alaris公式サイト(kodakalaris.com)
- “Kodak Files for Bankruptcy Protection,” The New York Times, January 19, 2012
- “How Hollywoodeli helped save Kodak,” The Wall Street Journal, 2014
- “Kodak brings back Ektachrome film,” The Verge, CES 2017
- “Kodak hires 300+ workers for film production,” Rochester Democrat and Chronicle, 2022
- “Kodak pauses all film production for factory upgrade,” PetaPixel, November 2024
- “Eastman Kodak launches Kodacolor film,” Kosmo Foto, October 2025
- “Kodak adds Gold 200 and UltraMax 400 to direct distribution,” 35mmc, November 2025
- “Ektar 100 and Tri-X join Kodak direct sales,” Emulsive, January 2026
- “Ektachrome E100 now available directly from Eastman Kodak,” Japan Camera Hunter, February 2026
- CineStill Film公式サイト(cinestillfilm.com)
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