フィルム・クロニクル(14)

世界で唯一、写真用フィルムとインスタントフィルムの両方を自社製造し続ける企業がある。 富士フイルム——かつてKodakと世界市場を二分したこの日本企業は、スチル写真用フィルムを戦略的に縮小しながら、インスタントフィルム「instax」には数百億円規模の投資を続けている。本章では、Fujifilmのフィルム事業が歩んだ「縮小と拡大の二重奏」を、ディスコン(製造終了)の年表からinstaxの爆発的成長、そしてデジタルカメラに宿る「フィルムの記憶」まで追う。
1. Fujifilmの全体像——フィルム会社から素材・ヘルスケア企業へ
1-1. 売上3兆円超の巨大コングロマリット
まず前提を共有しておく。2026年現在のFujifilm Holdings Corporationは、写真フィルムの会社ではない。2024年3月期(FY2023)の連結売上高は約2兆9,609億円(3兆円に迫る水準)に達し、事業領域はヘルスケア(内視鏡・MRI・CT・バイオCDMO)、半導体材料、機能性素材、グラフィックシステム、そしてイメージングにまたがる。従業員は世界40か国以上で約7万人を擁する。
写真フィルムで培ったコーティング技術と精密化学の知見を、医療・半導体・化粧品へと展開する「第二の創業」は、古森重隆社長(当時)の主導で2000年代に本格化した。Kodakが破産した2012年、Fujifilmの連結売上は2兆2000億円を超えており、フィルム需要の消滅を乗り越えた「成功した多角化」の事例として世界的に知られている。
カメラメーカー各社の戦略的多角化については、姉妹連載『カメラ覇権の地殻変動』で詳しく論じているが、Fujifilmのフィルム事業戦略を理解するには、同社がもはやフィルムに依存していないという前提が不可欠である。
1-2. イメージング事業のなかのフィルム
Fujifilmの「イメージング」セグメントは、大きく二つに分かれる。
- コンシューマーイメージング——instaxシリーズ(カメラ・フィルム・プリンター)、写真プリント、スチル写真用フィルム
- プロフェッショナルイメージング——Xシリーズ・GFXシリーズのデジタルカメラ、交換レンズ、業務用映像機器
このうち、コンシューマーイメージングの売上の過半をinstaxが占めている。スチル写真用フィルム(35mm・120判のネガ・ポジフィルム)は、セグメント全体のなかでは極めて小さな存在にすぎない。
ここにFujifilmのフィルム戦略の本質がある。instaxは拡大し、スチルフィルムは管理された縮小のなかにある。この二重構造を理解しなければ、Fujifilmのフィルム事業の全容は見えてこない。
2. スチルフィルムの戦略的縮小——ディスコンの年表
2-1. 2017〜2018年:モノクロフィルムの全面撤退
Fujifilmのスチルフィルム縮小は、2010年代後半に加速する。
2017年10月、Fujifilmは日本国内向けにマルチパックフィルムの一部廃番を発表した。続く2018年4月、同社はすべてのモノクロフィルムおよびモノクロ印画紙の製造終了を発表した。対象には、長年愛されてきたNeopan 100 Acrosが含まれていた。
Fujifilmの説明は明快だった。製造効率の改善やコスト削減の努力を続けてきたが、原材料調達と生産量の両面で経済性を維持できなくなったというものである。モノクロフィルム市場は、Ilford(Harman Technology)が圧倒的なシェアを持ち、Fujifilmにとっては小さく縮み続ける市場だった。
2-2. 2019年:Acros IIの限定的復活
ただし、Acros 100の製造終了は大きな反響を呼んだ。Fujifilmは2019年にNeopan 100 Acros IIとして、一部処方を変更したうえで復活させた。これはFujifilm自身のモノクロフィルムへの完全撤退ではなく、「需要が存在するラインに限って維持する」という姿勢の表れだった。
とはいえ、Acros II以外のモノクロフィルム(Neopan 400 Prestoなど)は復活しておらず、モノクロのラインナップはAcros IIの1銘柄のみとなっている。
2-3. 2021年:Pro 400Hの製造終了
2021年1月14日、FujifilmはPro 400Hの製造終了を発表した。35mmは即日終了、120判は在庫がなくなるまでの割当販売とされた。
Pro 400Hは、ウェディングフォトグラファーやポートレート愛好家のあいだで熱狂的な支持を集めていたプロ用カラーネガフィルムである。特有の第4層(Fourth Color Layer)構造による柔らかな色調とハイライトの粘りが特徴で、デジタルカメラの「フィルムシミュレーション」でも再現が試みられるほどの人気を誇った。
廃番の理由は、この第4層に必要な特殊原材料の調達が困難になったためとされた。Pro 400Hの消滅は、Fujifilmのプロ用カラーネガフィルムが事実上ゼロになったことを意味する。
2-4. その後の縮小——C200、Superia X-Tra 400
コンシューマー向けカラーネガフィルムも縮小を続けた。
- Fujicolor C200——世界中で「安くて写りがいい」と愛された入門用フィルム。北米市場では製造終了となり、他地域でも供給が不安定化した。
- Superia X-Tra 400——2025年6月、Fujifilmは公式にこのフィルムが製造終了のままであることを確認した。一時、Fujifilmの消費者向けフィルムウェブサイトに再掲載されたことで復活の期待が高まったが、「サイトの更新ミスであり、製造終了に変更はない」との公式声明が出された。
2-5. 2026年現在のスチルフィルム・ラインナップ
2026年3月現在、Fujifilmが製造・販売を続けているスチル写真用フィルムは、以下に限られる。
| カテゴリ | 銘柄 | フォーマット | 備考 |
|---|---|---|---|
| カラーネガ | Fujicolor 200 | 35mm | コンシューマー向け。地域により入手性にばらつき |
| カラーネガ | Fujicolor 400 | 35mm | 一部ロットはKodakロチェスター工場での受託製造と見られる |
| カラーネガ | Superia Premium 400 | 35mm | 日本市場向け。2026年初頭に販売店が「廃番」表示→Fujifilmは生産継続を確認 |
| リバーサル | Velvia 50 / Velvia 100 | 35mm / 120 | 風景写真の定番。高彩度 |
| リバーサル | Provia 100F | 35mm / 120 | ニュートラルなリバーサル |
| モノクロ | Neopan 100 Acros II | 35mm / 120 | 2019年復活。Fujifilm唯一のモノクロ |
プロ用カラーネガはゼロ。コンシューマー用カラーネガは2〜3銘柄。リバーサルは3銘柄。モノクロは1銘柄。合計で6〜7銘柄——ピーク時に数十銘柄を揃えていた時代と比較すれば、劇的な縮小である。
2-6. Fujicolor 400の謎——Kodak製造説
フィルムコミュニティで注目を集めているのが、Fujicolor 400の製造元問題である。2022年以降に流通しているFujicolor 400の一部ロットについて、Kodakのロチェスター工場で受託製造されているとの指摘が複数のソースからなされている。
第13章で述べたとおり、Kodakのロチェスター工場はコントラクト・コーティング事業を展開しており、Fujifilmもその顧客の一つとされる。かつて世界市場を争った二大メーカーの一方が、もう一方の工場でフィルムを製造しているという事実は、フィルム製造インフラの集約がいかに進んだかを象徴的に示している。
Fujifilm自身はこの件について公式にコメントしていないが、もし事実であれば、Fujifilmの「フィルム製造能力」のうちカラーネガ領域はすでに外部委託に移行しつつある可能性がある。
2-7. Superia Premium 400——「生産中だが手に入らない」問題
2026年1月、日本国内の大手カメラ量販店(ビックカメラ、ヨドバシカメラなど)がSuperia Premium 400を「販売終了」と表示し、フィルムコミュニティに衝撃が走った。しかしFujifilmに直接問い合わせたところ、「Superia Premiumは現在も生産中であり、廃番の予定はない」との回答が得られたとのことである。
原材料調達の問題により生産量が限定されており、店頭に並ばない状態が常態化しているのだという。「生産中だが手に入らない」というこの状況は、Fujifilmのスチルフィルム事業の現状を端的に表している。需要は存在するが、それに応えるだけの生産を行う意思——あるいは能力——が限られているのだ。
3. 値上げの連鎖——フィルムはいくらになったのか
3-1. 2022年の衝撃的値上げ
Fujifilmは2022年4月1日付で、写真用フィルム製品の20〜60%の大幅値上げを実施した。原材料費の高騰と生産量の減少による単位コストの上昇が理由とされた。
この値上げは単なるコスト転嫁ではなく、需要を抑制する方向の価格設定であるとも解釈できた。Fujifilmは需要に追いつかない限定的な生産を続けているが、増産への大規模投資を行う気配はない。値上げによって需要と供給のバランスを価格メカニズムで調整するという、経済学的には合理的だが消費者には厳しい選択である。
3-2. 「安いフィルム」の消滅
かつてFujicolor C200は世界中で「最も安いまともなカラーネガフィルム」として知られ、36枚撮り1本が3〜5ドル程度で購入できた。2026年現在、Fujifilmのカラーネガフィルムは1本10ドル以上が一般的であり、入手可能であればという条件付きでもある。
安価なエントリーフィルムの不在は、新規ユーザーの参入障壁を高めている。この空白を埋めようとしているのが、第13章で述べたKodakのKodacolor(約9ドル)であり、第15章で扱う新興フィルムメーカーたちである。
4. instax——Fujifilmの「もう一つのフィルム」
4-1. instaxとは何か
instaxは、Fujifilmが1998年に発売したインスタントフィルムシステムである。専用カメラで撮影すると、その場でクレジットカードサイズ(instax mini)の写真プリントが出力される。2010年代以降、SNS世代を中心に世界的な大ヒット商品となった。
第6章で述べたPolaroidのインスタントフィルムの系譜に連なるが、instaxは「手軽さ」「デザイン性」「価格の手頃さ」で独自のポジションを確立した。2025年4月には累計販売台数が1億台を突破し、カメラ本体だけでなくフィルムの販売が巨大な反復収益を生んでいる。
4-2. 売上1000億円超の巨大事業
instax事業の規模は、スチルフィルムとは比較にならない。
- FY2023(2024年3月期):instax関連売上は約1500億円(約9億5200万ドル)を達成。目標だった1500億円を1年前倒しで達成した。
- イメージング部門の50%超をinstaxが占める。
- 販売国は100か国以上。売上の90%が日本国外。
2025年11月のFujifilmの四半期決算では、イメージングセグメント全体で前年同期比13.3%の増収が報告され、コンシューマーイメージング(主にinstax)が773億円、プロフェッショナルイメージング(主にデジタルカメラ)が680億円という構成だった。
4-3. 50%の生産能力増強——累計115億円の投資
Fujifilmは、instaxフィルムの増産に対して惜しみない投資を続けている。
| 時期 | 投資額 | 内容 |
|---|---|---|
| 2022年 | 約20億円 | 神奈川工場足柄サイトの生産設備増強 |
| 2023年9月 | 約45億円 | 同サイトの生産能力20%増強(2024年秋から段階的稼働) |
| 2025年12月 | 約50億円 | 同サイトの生産能力さらに10%増強(2026年春〜秋に段階的稼働) |
| 累計 | 約115億円 | FY2022比で生産能力約50%増 |
製造拠点は、神奈川県南足柄市の神奈川工場足柄サイト——かつてスチルフィルムの主力工場だった場所である。instaxフィルムへの累計約115億円の投資により、2026年秋にはFY2022比で生産能力が約50%増加する見込みだ。
この数字を、スチルフィルムへの投資と比較してみてほしい。Fujifilmがスチルフィルムの増産に数十億円を投じたという報道は、少なくとも2020年代には存在しない。同じ「フィルム」でも、instaxとスチルフィルムでは投資の桁が違うのである。
4-4. なぜinstaxは成功したのか
instaxの成功要因は複合的だが、核心は**「写真を物理的なモノとして手渡す体験」**にある。
- デジタル疲れへの解毒剤——スマートフォンのカメラロールに溜まり続ける膨大なデジタル画像に対して、instaxの「その場で1枚だけ出てくる」体験は明確なコントラストを提供する。
- SNSとの共存——instaxで撮った写真をスマートフォンで撮影してInstagramに投稿するという行為は矛盾のようだが、「フィジカルな写真を持っている」こと自体がSNS上でのコンテンツになっている。
- ハイブリッド化——instax WIDE Evo、instax mini Evoなどのハイブリッドモデルは、デジタルセンサーで撮影した画像をinstaxフィルムにプリントする。撮り直しができるため失敗のリスクが低く、デジタルネイティブ世代にも受け入れやすい。
- グローバル展開——売上の90%が日本国外であり、北米・ヨーロッパ・アジア太平洋地域で幅広く浸透している。
instaxは、写真用フィルムの「復活」とは異なる文脈で成長している。スチルフィルムが「かつての技術への回帰」であるのに対し、instaxは「新しいフィジカル写真体験」として、デジタル世代のなかに独自の居場所を作った。
5. 二つの「フィルム戦略」が意味するもの
5-1. Fujifilmの合理的選択
Fujifilmのフィルム戦略は、感情的には受け入れがたいが、企業としては合理的である。
- instaxは年間1500億円超の売上を生み、成長を続けている → 積極投資
- スチルフィルムは全社売上のごく一部であり、原材料調達が困難化している → 管理された縮小
instaxフィルムは独自のフォーマットであり、製造設備もスチルフィルムとは異なる。instaxへの投資がスチルフィルムの延命に直接つながるわけではない。しかし、足柄サイトという製造拠点が「フィルム工場」として存続すること自体は、スチルフィルム製造の完全撤退に対する一定の歯止めにはなっている。
5-2. Kodakとの対照
第13章で述べたKodakの戦略と比較すると、両社の方向性の違いが鮮明になる。
| Eastman Kodak | Fujifilm | |
|---|---|---|
| スチルフィルムへの姿勢 | 増産・直販体制構築 | 管理された縮小・限定生産 |
| インスタントフィルム | なし | instaxに年間数十億円投資 |
| 受託製造 | CineStill・Lomography・Fujifilmの受託 | 一部カラーネガをKodakに委託 |
| 全社売上 | 約12億ドル(2022年) | 約3兆円超(2024年3月期) |
| フィルム事業の位置づけ | 中核事業の一つ | 全社売上のごく一部 |
Kodakにとってフィルムは依然として中核事業であり、増産と直販に舵を切っている。Fujifilmにとってスチルフィルムは、3兆円企業のなかの一製品ラインにすぎない。この企業規模と事業構成の違いが、両社のフィルム戦略を根本的に分けている。
5-3. スチルフィルムユーザーにとっての意味
Fujifilmの戦略的縮小は、スチルフィルムユーザーにとって複雑な状況を生み出している。
- 選択肢の減少——かつて「Kodak派」「Fuji派」と二択だったカラーネガフィルム市場で、Fujiの選択肢は激減した。Velvia・Proviaのリバーサルフィルムは健在だが、カラーネガで「Fujiらしい」色調を求めるユーザーの受け皿はほぼ消滅している。
- 価格の高騰——供給の制約と値上げにより、Fujifilmのフィルムは「安くて高品質」という旧来のイメージから大きく離れた。
- 入手性の不安定化——「生産中だが手に入らない」状態が常態化し、ユーザーは常に在庫を心配しなければならない。
一方で、Fujifilmが完全撤退していないことも重要な事実である。Velvia・Provia・Acros IIというプロ向け・作品向けのフィルムは製造を続けており、とくにリバーサルフィルム領域ではKodak Ektachrome E100と並ぶ二大ブランドであり続けている。
6. デジタルカメラに宿る「フィルムの記憶」
6-1. フィルムシミュレーション
Fujifilmのフィルム戦略を語るうえで、もう一つ触れなければならないのがフィルムシミュレーションである。
Fujifilmのデジタルカメラ(Xシリーズ・GFXシリーズ)には、かつての自社フィルムの色調を再現する「フィルムシミュレーション」機能が搭載されている。Velvia、Provia、Astia、Classic Chrome、Acros——これらの名称は、いずれもFujifilmのフィルム製品に由来する。
2025年以降、「フィルムシミュレーションレシピ」と呼ばれるカスタム設定がSNS上で爆発的に流行し、Fujifilmのデジタルカメラの大きなセールスポイントとなっている。ユーザーたちは「Kodak Portra風レシピ」「Kodachrome 64風レシピ」など、他社のフィルムの色調までもフィルムシミュレーションで再現しようとしている。
6-2. 物理フィルムの精神的後継者
フィルムシミュレーションは、物理的なフィルムとは異なる。しかし、「フィルムの色」への欲求がデジタルカメラの購買動機になっているという事実は、フィルム文化の影響力が物理的な媒体を超えて存続していることを示している。
Fujifilmにとって、フィルムシミュレーションは物理フィルムの「精神的後継者」であると同時に、デジタルカメラの差別化要因でもある。Sony、Canon、Nikonのデジタルカメラにはない「フィルムの記憶」を売ることで、Fujifilmはフィルム時代の遺産をデジタル製品の付加価値に転換している。
6-3. MyFUJIFILMの直販展開
2025〜2026年にかけて、Fujifilmはヨーロッパ市場でB2C(消費者直販)ウェブショップMyFUJIFILMを通じたスチルフィルムの直販を拡大している。スペインで先行していたFujicolor 200・Fujicolor 400の販売が、ドイツ、スウェーデン、オランダ、オーストリア、ベルギー、フランスに拡大され、Acros IIやSuperia X-Tra 400も追加された。
この動きは、Kodakの直販シフト(第13章)と軌を一にしており、従来の卸売・代理店経由の流通から、メーカー自身による消費者直販への移行というトレンドの一環と見ることができる。ただし、Fujifilmの場合は「増産」を伴わない直販であり、限られた生産量をより効率的に消費者に届けるための施策という色彩が強い。
7. Fujifilmのフィルム戦略が示す未来
7-1. 「完全撤退はしない、しかし拡大もしない」
Fujifilmのスチルフィルム戦略を一言で表すなら、「完全撤退はしない、しかし拡大もしない」である。
リバーサルフィルム(Velvia・Provia)は、Kodak Ektachromeと並ぶ世界で数少ないリバーサルフィルムであり、その独自性ゆえに製造を続ける意義がある。Acros IIも同様に、Fujifilmブランドの象徴的製品として維持されている。
一方、コンシューマー向けカラーネガフィルムは、Kodakとの競争において劣位にあり、自社製造を維持するインセンティブが薄い。Kodakのロチェスター工場に受託製造を委託しているとすれば、それは製造を外注しつつブランドだけは維持するという選択であり、スチルフィルム事業からの「段階的撤退」の一形態とも読める。
7-2. instaxとスチルフィルムの断絶
instaxの成功は、しばしば「フィルムの復活」の文脈で語られるが、スチルフィルムユーザーにとっては注意が必要だ。instaxのフィルムとスチルフィルムは、製造設備も化学処方も流通チャネルも異なる。instaxがいくら売れても、Velvia 50の製造が保証されるわけではない。
とはいえ、Fujifilmが「フィルムを作る会社」としてのアイデンティティを完全に捨てていないことは、スチルフィルムの存続にとって間接的なプラスではある。足柄サイトが「フィルム製造の拠点」であり続けること、フィルムシミュレーションがデジタルカメラの核心的セールスポイントであること——これらはすべて、Fujifilmとフィルムの結びつきを維持する要因である。
7-3. フィルムユーザーへの示唆
Fujifilmのフィルム戦略から読み取れるのは、以下のことだ。
- Velvia・Provia・Acros IIは当面維持される可能性が高い——これらはFujifilmのブランドアイデンティティに直結する製品であり、フィルムシミュレーションの「本物」としての存在意義がある。
- コンシューマー用カラーネガは予断を許さない——Superia Premiumの入手困難が示すとおり、いつ製造終了になってもおかしくない状況にある。
- instaxの成功はスチルフィルムの延命を直接的には保証しない——しかし、Fujifilmの「フィルムメーカー」としての企業アイデンティティを支える間接的な効果はある。
まとめ
Fujifilmのフィルム戦略は、Kodakの「復活と増産」とは対照的な「管理された縮小」である。スチルフィルムのラインナップは激減し、値上げと品薄が常態化する一方、instaxには累計115億円を投じて50%の生産能力増強を進めている。
この二重構造は、3兆円企業としてのFujifilmの合理的選択ではあるが、スチルフィルムユーザーにとっては「Fujiの色」を手に入れることが年々難しくなっているという現実でもある。Fujifilmは完全撤退こそしていないが、スチルフィルムの復興を牽引する意思は見せていない。
その役割は、Kodakと、第15章で扱う新興・復活フィルムメーカーたちに委ねられつつある。
フィルム・クロニクル
Part I:銀塩写真の誕生と発展(19世紀〜20世紀前半)
- 1.写真の記録方法の概観——ダゲレオタイプからロールフィルムへ(1839〜1900年代)
- 2.Kodakの革命——「You Press the Button, We Do the Rest」(1888〜1930年代)
- 3.フィルムフォーマット戦争——35mm、120、大判、そして消えた規格たち
Part II:フィルムの黄金時代(1950年代〜1990年代)
- 4.カラーフィルムの民主化——Kodachrome、Ektachrome、Fujicolor
- 5.フィルムメーカーの群雄割拠——Kodak・Fujifilm以外の巨人たち
- 6.インスタントカメラの衝撃——Polaroid、特許戦争、そしてInstaxの世紀
- 7.写真が「消費」されるものになった時代——使い捨てカメラ、ミニラボ、そしてフィルム消費のピーク
Part III:デジタルの衝撃とフィルムの退潮(1990年代〜2010年代)
- 8.デジタル写真の黎明——フィルムを殺す技術はフィルム会社から生まれた
- 9.カメラ付き携帯電話——写真を「撮る」から「送る」へ変えた破壊者
- 10.フィルムカメラメーカーの淘汰——2000年代、消えたブランドと残ったブランド
- 11.デジタル一眼レフ時代のフィルム——「暗黒時代」を生き延びた銀塩の灯火
Part IV:フィルムの復興(2010年代〜現在)
- 12.フィルムリバイバルの始まり——SNS世代が銀塩に手を伸ばした理由
- 13.Kodakの復活——破産から再びフィルムを世界に届けるまで
- 14.Fujifilmのフィルム戦略——「フィルムの会社」が選んだ縮小と拡大の二重奏
- 15.新興・復活フィルムメーカー——ポストKodak/Fujifilm時代の製造地図
- 16.現行フィルムカメラ——2025年、新品で買えるフィルムカメラの世界地図
- 17.中古フィルムカメラ市場——「新品が存在しない」時代の流通構造
- 18.フィルム写真のコスト構造——1枚のシャッターに、いくらかかるのか
- 19.フィルム写真の現在と未来——誰がフィルムを選び、なぜ撮り続けるのか
Part V:総括
出典・参考資料
- FUJIFILM Holdings Corporation, Integrated Report 2025
- FUJIFILM Holdings Corporation, Financial Results FY2023–FY2025
- “Fujifilm Reinforces Production Facilities for instax Films,” FUJIFILM Corporation Press Release, December 18, 2025
- “Fujifilm Invests $30M to Boost Instax Film Production by 20%,” PetaPixel, September 6, 2023
- “Fujifilm to Spend Nearly $32 Million to Expand Instax Film Production,” PetaPixel, December 19, 2025
- “Instax is More Than 50% of Fujifilm’s Imaging Business and is Still Growing,” PetaPixel, December 7, 2023
- “Fujifilm Instax sales to exceed $1 billion,” Yahoo Finance, January 24, 2025
- “Fujifilm Says Superia Premium Is Still in Production Despite Its Unavailability,” PetaPixel, January 29, 2026
- “Fujifilm Says Beloved 400H and Superia Films Remain Discontinued,” PetaPixel, June 30, 2025
- “Fujifilm Officially Killing Off All B&W Film and Photo Paper,” PetaPixel, April 6, 2018
- “Fuji Pro 400H Discontinued,” Casual Photophile, February 5, 2021
- FUJIFILM North America Corporation, Discontinuation Notice: PRO 400H, January 14, 2021
- “Fujifilm film prices increasing by 20-60% starting April 1,” Reddit r/AnalogCommunity, 2022
- “How instax took over the world,” CNN
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